バトゥの征西はポーランドからハンガリーまで達し、ルーシのみならず西ヨーロッパ・カトリック圏にも大きな衝撃を与えているが、西ヨーロッパの人々は、ロシア語のタタールという名をさらにギリシャ語で地獄の住民を意味するタルタロスに重ね合わせ、モンゴル人たちをタルタル人と呼んだ。そしてモンゴル帝国以来、中央ユーラシア、中央アジア、北アジアの諸民族をタルタル人と呼ぶ言い方が長く残ることになる。
例えばモンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた。17世紀に中国で清を立てた満州人はツングース系の非遊牧民であるが、彼らもヨーロッパ人にはタルタル人の一種とみなされていた。近代に中央ユーラシアの諸民族に関する知識がヨーロッパの人々に根付くにつれ、タルタルの名は使われなくなっていくが、その名残は現代において払拭されてはいない。例えば、ヴォルガ・タタール人などのタタールの名を関する民族が英語圏で言及されるとき、Tatars ではなく Tartars と綴られることもしばしばである。延いては黄禍論の淵源と見なしうる。
モンゴル帝国の諸政権のうち中国とモンゴル高原を支配した元は、1368年に北へ逃れて北元となったが、やがて1388年にクビライの直系のハーンが殺害されてクビライの王統が断絶し、モンゴル高原東部の諸部族がオイラト部族連合を形成してモンゴル部族連合から分裂した。
こうしてクビライ王統断絶後のモンゴル高原では、モンゴル系の遊牧諸部族がモンゴルとオイラトの2大集団に分かれて対立するが、中国の明ではこのうちのモンゴルを元以来の呼称である「蒙古」で呼ぶのをやめ、かつてのモンゴル系遊牧民の総称であった「韃靼」と呼ぶことになった。このため明代に記された史料や明朝の正史『明史』では、モンゴルは韃靼の名で記録されている。日本では、明代の表記に従って、伝統的に明代モンゴルのことを韃靼、あるいはタタールと呼んだ。この名称の変化から、当時のモンゴル高原の形勢であるモンゴルからのオイラトの分立とモンゴル・オイラトの対立が、モンゴル部族連合がタタールとオイラトへ分裂し、対立したとして誤って理解されることも多い。
モンゴルと自称する集団が韃靼と呼ばれるようになった明代でも、モンゴル高原の東に住む女真(のちの満州人)はモンゴルのことをMongo(モンゴ)と呼びつづけていた。のちに明に代わって満州人が立てた清は韃靼の名称を採用せず、モンゴルの漢字表記は「韃靼」から「蒙古」に戻った。
日本では江戸時代頃は北アジアの諸民族を漠然と「韃靼」と呼んでおり、清を立てた満州人のことも韃靼人と呼んでいた。中国や朝鮮では、女真・満州を含めて北方の諸民族のことを「韃虜」「韃子」などと蔑称することがあった。
関連項目
北元 - 明代のいわゆるタタールの歴史について。
タタール人
クリミア・タタール人
間宮海峡(タタール海峡/韃靼海峡)
タルタルステーキ
ダッタンソバ
アレクサンドル・ボロディン:ロシアの音楽家。オペラ「イーゴリ公」にある『だったん人の踊り』という曲が有名。
タタールスタン共和国
タタール (ヒップホップ)
ケレイト
ナイマン
メルキト
モンゴル帝国
ジョチ・ウルス
チンギス・ハーン
中国の少数民族
アチャン族(阿昌族) ・ イ族(彝族) ・ ウイグル族(維吾爾族) ・ ウズベク族(烏孜別克族) ・ エヴェンキ族(鄂温克族)
オロス族(俄羅斯族) ・ オロチョン族(鄂倫春族) ・ 回族 ・ カザフ族(哈薩克族) ・ 漢族 ・ キルギス族(柯爾克孜族)
キン族(京族) ・ 高山族 ・ コーラオ族(i?族) ・ サラール族(撒拉族) ・ シェ族(?族) ・ ジーヌオ族(基諾族) ・ シボ族(錫伯族)
スイ族(水族) ・ タイ族(?族) ・ ダウール族(達斡爾族) ・ タジク族(塔吉克族)
タタール族(塔塔爾族) ・ チベット族(蔵族) ・ チャン族(羌族) ・ 朝鮮族 ・ チワン族(壮族) ・ チンプオ族(景頗族)
ドアン族(徳昂族) ・ トゥ族(土族) ・ トゥチャ族(土家族) ・ トーロン族(独龍族) ・ トン族(?族)
ドンシャン族(東郷族) ・ ナシ族(納西族) ・ ホジェン族(赫哲族) ・ ヌー族(怒族) ・ バオアン族(保安族)