タタール
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バトゥの征西で大被害を受けたルーシは、続けてバトゥがヴォルガ川下流に留まって建国したキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の支配下に入り、モンゴルへの服従と貢納を強制された。モスクワ大公国が1480年に貢納を廃止し、他地域も独立するまで約200年前後にわたって続くことになる、このモンゴル=タタールによる支配のことをロシア史ではタタールの軛(くびき)と呼ぶ。

キプチャク・ハン国のモンゴル人たちはやがて言語的にはテュルク語化、宗教的にはイスラム教化してゆく。15世紀にはキプチャク・ハン国は再編と解体が進んでクリミア半島クリミア・ハン国、ヴォルガ川中流域にカザン・ハン国、西シベリアシビル・ハン国などが生まれるが、これらの地域ではかつてのモンゴル系支配者と土着のテュルク系などの様々な人々が混交し、現在クリミア・タタール、ヴォルガ・タタール、シベリア・タタールと呼ばれるような民族が形成されていった。タタールの中には、ロシアやルーマニアに移住して、キリスト教を受け入れて現地に同化する者も多く現われており、ユスポフ家、カンテミール家など有力な貴族となった家もある。

ロシアは、16世紀頃までに「タタールの軛(くびき)」を脱するが、その後もクリミアやヴォルガ、シベリアなどに広く散らばるテュルク=モンゴル系の人々をタタールと呼んだ。ロシア帝国18世紀までにこれらのタタールはほとんど全てを支配下に置く。

ロシア治下のタタールのうち、ヴォルガ川中流域のカザン周辺に住むヴォルガ・タタール(カザン・タタールともいう)が経済的・文化的に成長し、ロシア領内のムスリム(イスラム教徒)中で最大の共同体へと発展していった。ロシア・ソビエト連邦ではさまざまな民族に分かれたタタールたちをまとめてタタール民族として扱っていたが、それらのうちでタタールの自治共和国を持つことができたのはヴォルガ・タタール人のみであった。このため、ロシア領を話題とする多くの文脈で、単にタタール人といったときも、狭義にはヴォルガ・タタール人を指していることが多い。


西ヨーロッパのタタール

バトゥの征西はポーランドからハンガリーまで達し、ルーシのみならず西ヨーロッパ・カトリック圏にも大きな衝撃を与えているが、西ヨーロッパの人々は、ロシア語のタタールという名をさらにギリシャ語で地獄の住民を意味するタルタロスに重ね合わせ、モンゴル人たちをタルタル人と呼んだ。そしてモンゴル帝国以来、中央ユーラシア、中央アジア、北アジアの諸民族をタルタル人と呼ぶ言い方が長く残ることになる。

例えばモンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた。17世紀に中国でを立てた満州人はツングース系の非遊牧民であるが、彼らもヨーロッパ人にはタルタル人の一種とみなされていた。近代に中央ユーラシアの諸民族に関する知識がヨーロッパの人々に根付くにつれ、タルタルの名は使われなくなっていくが、その名残は現代において払拭されてはいない。例えば、ヴォルガ・タタール人などのタタールの名を関する民族が英語圏で言及されるとき、Tatars ではなく Tartars と綴られることもしばしばである。延いては黄禍論の淵源と見なしうる。


東アジアのタタール

モンゴル帝国の諸政権のうち中国とモンゴル高原を支配したは、1368年に北へ逃れて北元となったが、やがて1388年クビライの直系のハーンが殺害されてクビライの王統が断絶し、モンゴル高原東部の諸部族がオイラト部族連合を形成してモンゴル部族連合から分裂した。

こうしてクビライ王統断絶後のモンゴル高原では、モンゴル系の遊牧諸部族がモンゴルとオイラトの2大集団に分かれて対立するが、中国のではこのうちのモンゴルを元以来の呼称である「蒙古」で呼ぶのをやめ、かつてのモンゴル系遊牧民の総称であった「韃靼」と呼ぶことになった。このため明代に記された史料や明朝の正史明史』では、モンゴルは韃靼の名で記録されている。日本では、明代の表記に従って、伝統的に明代モンゴルのことを韃靼、あるいはタタールと呼んだ。この名称の変化から、当時のモンゴル高原の形勢であるモンゴルからのオイラトの分立とモンゴル・オイラトの対立が、モンゴル部族連合がタタールとオイラトへ分裂し、対立したとして誤って理解されることも多い。

モンゴルと自称する集団が韃靼と呼ばれるようになった明代でも、モンゴル高原の東に住む女真(のちの満州人)はモンゴルのことをMongo(モンゴ)と呼びつづけていた。のちに明に代わって満州人が立てたは韃靼の名称を採用せず、モンゴルの漢字表記は「韃靼」から「蒙古」に戻った。

日本では江戸時代頃は北アジアの諸民族を漠然と「韃靼」と呼んでおり、清を立てた満州人のことも韃靼人と呼んでいた。中国や朝鮮では、女真・満州を含めて北方の諸民族のことを「韃虜」「韃子」などと蔑称することがあった。


関連項目

北元 - 明代のいわゆるタタールの歴史について。

タタール人

クリミア・タタール人

間宮海峡(タタール海峡/韃靼海峡)

タルタルステーキ

ダッタンソバ

アレクサンドル・ボロディン:ロシアの音楽家。オペラ「イーゴリ公」にある『だったん人の踊り』という曲が有名。

タタールスタン共和国

タタール (ヒップホップ)


ケレイト

ナイマン

メルキト

モンゴル帝国

ジョチ・ウルス

チンギス・ハーン

中国の少数民族

中華民族 中華人民共和国民族識別工作による分類


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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