1970年代を境に、下り坂になり停滞期に入った共産党独裁体制化での国家財政で計画を継続させる困難さが増大していった事の他、「チーフ・デザイナー(主任設計員)」と呼称され、「宇宙旅行の父」であるコンスタンチン・E・ツィオルコフスキーの後継者も同然、或いは旧ソ連宇宙開発の父とも呼ばれたセルゲイ・パヴロヴィッチ・コロリョフの夭折(1966年1月 結腸癌の治療手術中に起きた事故で死去)、彼の技術的政敵(ヴァレンティン・グルシュコ、ウラジミール・チェロメイ)との確執、後継者(ワシリー・ミーシン)の力量不足など、多数の障壁が明らかになっているが、中でも「ソビエト版サターン・ロケットとも言える肝心の超大型運搬ロケット「N1」の開発・実用化にとうとう至らなかった」事が計画を頓挫させた最も大きな要因とされている。
L3計画に不可欠だったN1ロケットの開発失敗N1ロケット画像
N1ロケットは5段ロケットで構成されるが、下段にいく程、束ねられたロケットエンジンの数は半端ではなく、三段目は4基、二段目は8基、そして最下部の一段目は実に30基のエンジンをクラスタさせて、高い精度で同期制御させるという技術的命題が課せられていた。スプートニクロケット、ボストークロケット、ソユーズロケット、そして今日に使用されているプロトンロケットと同じく、旧ソ連・ロシアの宇宙ロケットのお家芸とも言えるクラスター・ロケットではあるが、旧来から使用していた小推力のロケットエンジンを流用出来て(使用実績も長く蓄積されているので信頼性も高い)、より推力の大きな新型ロケットエンジンを開発する場合に掛かる膨大な費用や開発期間を考慮せずに済む反面、運搬物が重くなればなる程、推力も比例して大きくさせねばならぬ手前、束ねて同期制御すべきロケットエンジンの基数も増やしていかねばならない。N1ロケットの開発実験では、失敗の全てが30基もの大量のエンジンを束ねている一段目部分に集中していた。これだけの数のロケットエンジンを完全に同期制御させる事は、現在の科学技術水準を持ってしてもかなり困難であり、それを40年前、しかも当時の世界の先端を走っていたとはいえ旧ソ連一国で開発に挑んでいた事の無謀さ・クラスター・ロケットへの過度の執着こそが、同計画の実現を結果的に阻んだと言えるだろう。
一見、N1ロケットはクラスター・ロケットに見えないが、全段全ての筐体がロケットエンジン部分を包んで覆っている為である。
競合相手であったアメリカが開発に成功していたサターンロケットも厳密にはクラスター・ロケットである。
サターン1B(全2段):1段目にケロシン-液体酸素のロケットエンジン × 8基
サターンV(全3段):1段目にケロシン-液体酸素のロケットエンジン × 5基。2段目に液体水素-液体酸素のエンジン × 5基。3段目に液体水素-液体酸素のエンジン × 1基
関連項目
ソユーズL1計画
ソユーズL3計画
ルナ計画
宇宙開発競争
外部リンク
⇒N1ロケット開発失敗の顛末
⇒まぼろしの月ロケットN-1 僕たちの失敗
⇒小型エンジンをたばねて推力を高めたクラスターロケット
⇒ソビエト宇宙征服
⇒Red Moon Shot
⇒N1ロケット開発小史
⇒N1を巡る「対立」(液酸・ケロシンエンジンを推すコロリョフとNTO/UDMHエンジンを推すグルシコの対立)
⇒不合理な「競争」(月着陸計画と月周回計画の各管轄設計局、分散の経緯)
⇒N1ロケット HISTORY
⇒コロリョフ,セルゲイ・D(生前の年表)
⇒ロシア宇宙開発史
⇒「ソ連宇宙開発の父」セルゲイ・コロリョフ
⇒夢を追い続けたコロリョフの闘争
⇒欠陥だらけだった新宇宙船の悲劇
⇒アポロに負けたソ連の選んだ道
⇒ソ連の宇宙開発−真実の歴史(前編)
⇒「ゾンド」の思い出
⇒SOVIET ZOND PROGRAM PROLOGUE
⇒LUNA PROGRAM PROLOGUE
⇒Soviet Manned Lunar Program Gallery ※英語 ユーロ・ディズニーランドで展示されている有人月着陸船・月面用宇宙服の画像が豊富
⇒El modulo lunar ruso LK
⇒Nositel N-1 Launch Vehicle ※英語
⇒Welcome to the N1 - L3 mission page ※英語
⇒N-1 Photo Clearinghouse ※英語
⇒Soviet N-1 rocket booster ※英語
⇒The N1 Story ※英語
カテゴリ: 月探査
更新日時:2008年7月3日(木)10:41
取得日時:2008/08/16 15:08