ソユーズの後継となる有人宇宙船は何度か噂が飛び交ったりロシアから案が出たものの、2007年現在、今まで実現したものはない。
ソビエト連邦はブランと呼ばれる再使用型宇宙往還機を1988年に無人飛行させているが、ソ連崩壊とロシアの財政難が重なって現在はゴーリキイ公園のオブジェとされてしまっている。スペースシャトルを運用するNASAもシャトルの存在意義に見切りをつけているため、これがソユーズの後継となる可能性はほとんどない。
ロシアは2006年、新型の宇宙船としてクリーペルと呼ばれる小型の翼が付いた宇宙船を開発中であると発言しているが、これがどれほど研究が進んでいるのか、いつ頃初飛行するのかなどは2007年末現在まだ分かっていない。計画のみで終わる可能性ももちろんある。
2007年末現在利用されているソユーズはTMA型だが、これも使われているコンピューターの多くは古いものであるため、機体の基本構造は現在のものを使ったままコンピューター類を新しいものにしたソユーズ(ソユーズKと呼ばれることもある)が現在のところ最も有力視されている。
以上のことから、内部や細部は改良が加えられつつも、ソユーズの根幹はその信頼性や経済性に支えられ、今後もしばらくは使われ続けられると見られる。
ソユーズはスペースシャトル以上の安全性と信頼性から、2008年現在、もっとも、そして唯一の民間人が宇宙旅行を行える手段でもある。
ロシア宇宙局は政府の財政難のため、国際宇宙ステーションと往復する「ソユーズの座席」を世界に向けて販売している。これが2008年現在の宇宙旅行の手段である。2001年にアメリカの富豪であるデニス・チトーを約2000万ドル(日本円に換算した場合、2001年当時のレートで約24億円)でソユーズTM-32により宇宙に1週間滞在させたのを皮切りに、世界から募った民間人を宇宙まで打ち上げている。
なお一般公募していたわけではないが、チトーが宇宙に行く11年前の1990年、すでに日本人ジャーナリストの秋山豊寛が、TBSが費用を負担することでソユーズTM-11に乗って宇宙に行っている。 全て費用を私費で負担し宇宙に行った民間人を宇宙旅行者とした場合、その最初の人はチトーで間違いないのだが、民間人の宇宙旅行者とした場合は秋山が最初である。
便宜上ソユーズ以外の記事にも触れる。
1964年8月3日 ソユーズOK(地球周回)、ソユーズL1(有人月周回)、ソユーズL3(有人月面着陸)開発に対するソ連政府許可が下りる。有人月周回は革命50周年にあたる1967年後半を、月面着陸は1970年第四四半期を予定していた。
1967年4月、ソユーズ計画最初の一人乗りソユーズ1号は打ち上げ・地球周回飛行に成功した後、大気圏再突入したが、着陸用パラシュートが開かずに地面に墜落。ウラジーミル・コマロフ飛行士が死亡(粉砕死)した。
1968年10月、ソユーズ3号が無人の2号とのランデブーに成功。
1968年12月9日 有人ソユーズL1(月周回)打ち上げ予定日。飛行士(レオノフ・マカロフ)はバイコヌール基地で待機し準備は完全であったが、結局政府許可が下りず延期。
1969年1月、4号と5号のドッキングに成功し、15日に5号乗組員が4号に乗り移った。5号の再突入時、帰還船が機械船から分離せずそのまま突入、かろうじて分離はするも着陸時の逆噴射ロケットが作動せず、ボリス・ボリノフ飛行士が重傷。
1969年10月、ソユーズ6号、7号、8号が、史上初の有人宇宙船グループ飛行を行う。
1970年10月30日、ソユーズL1計画(有人月周回計画)の中止が決定。
1971年4月19日、世界初の宇宙ステーションサリュートの打ち上げ成功。
1971年4月23日、10号がサリュートとドッキングするが搭乗に失敗、25日に帰還。
1971年6月7日、11号がサリュートにドッキング。6月29日にサリュートを離れ、30日地球に帰還するが、機体の気密が漏れたため飛行士3人(ゲオルギ・ドブロボルスキー、ウラジスラフ・ボルコフ、ビクトール・バチャエフ)が窒息死した。
1974年6月、14号がサリュート3号とドッキング、飛行士がサリュート3号に乗り移った。
1974年6月23日、ソユーズL3計画(有人月着陸計画)の中止が決定。
1975年4月5日、18号を打ち上げるロケットが第2段の分離に失敗した。宇宙船は高度192kmで緊急に切り離され帰還に成功したが、無理な大気圏突入(15Gもの力が掛かった)のため飛行士は重傷。
1975年5月24日、代替の18号が打ち上げられ、サリュート4号とドッキングした。
1975年7月15日、19号がアメリカ合衆国のアポロ18号とのドッキングに成功(アポロ・ソユーズテスト)。
1976年10月14日、23号がサリュート5号とのドッキングに失敗、2日後に帰還するも帰還予定地から東およそ200kmのカザフスタンのテンギツ湖に着水、マイナス20℃近いブリザードの中、一晩閉じ込められる。
1983年9月26日、打ち上げ時に爆発、ウラジミール・チトフら2人の宇宙飛行士は緊急脱出システムで無事。後にソビエトのチャレンジャーと呼ばれた。
1985年11月21日、サリュート7号の運用停止。
1986年2月19日、宇宙ステーションミールの打ち上げに成功、運用開始。
1988年9月、TM5号が地球への帰還のためロケットを噴射した直後、コンピュータがシステムの不具合を検出してエンジンを緊急停止した。ロシア人船長のリャホフがモスクワからの指示を悠然と待っている間、アフガニスタン人の副操縦士ムハンマドは自分なりの経験に基づいて計器盤をチェックしたところ、コンピュータが自動モードに入ったままの状態であるのを発見した。