セントラル・リーグ
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沿革

1949年、新チーム加盟の是非をめぐり日本野球連盟が分裂し、加盟反対派の読売ジャイアンツ(巨人)、松竹ロビンス中日ドラゴンズ(一時期(1951年 - 53年)は地元企業である名鉄(名古屋鉄道)が共同での球団経営に参加したため名古屋ドラゴンズを名乗っていた。)を中心に、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、新球団の大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)、広島カープ(現・広島東洋カープ)、西日本パイレーツを加えた計7球団でセントラル野球連盟が発足。翌1950年1月には国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)も加盟し、8球団に。1951年シーズン開始直前、西日本パイレーツがパ・リーグの西鉄クリッパースと合併し脱退。さらに、1952年シーズン終了後には大洋ホエールズが松竹ロビンスを吸収する形で合併し、6球団に。以降、親会社ならびにチーム名の変更こそあるものの、チーム数そのものの増減はなく、現在に至っている。


加盟球団

セントラル・リーグの加盟球団と成績球団名優勝回数試合勝利敗戦引分勝率
阪神タイガース5768337483702233.503
中日ドラゴンズ7767339173507249.528
広島東洋カープ6767035153859296.475
東京ヤクルトスワローズ6767034563961253.466
横浜ベイスターズ2767133534069249.452
読売ジャイアンツ31767142793156236.576

1950年から2007年まで。2007年現在の加盟球団のみ。


加盟球団とその変遷

(注)太字は現在の加盟球団。1リーグ時代の名称は省略


現存する加盟球団

読売ジャイアンツ(1947-)

大阪タイガース(1947-60)→阪神タイガース(1961-)

中日ドラゴンズ(1947-50)→名古屋ドラゴンズ(1951-53)→中日ドラゴンズ(1954-)

大洋ホエールズ(1950-52)→大洋松竹ロビンス(1953-54)→大洋ホエールズ(1955-77)→横浜大洋ホエールズ(1978-92)→横浜ベイスターズ(1993-)

広島カープ(1950-67)→広島東洋カープ(1968-)

国鉄スワローズ(1950-1965途中)→サンケイスワローズ(1965途中-1965閉幕)→サンケイアトムズ(1966-68)→アトムズ(1969)→ヤクルトアトムズ(1970-73)→ヤクルトスワローズ(1974-2005)→東京ヤクルトスワローズ(2006-)


過去に存在した加盟球団

西日本パイレーツ(1950)→西鉄ライオンズパシフィック・リーグ・西鉄クリッパースと合併)

松竹ロビンス(1950?52)→大洋松竹ロビンス(大洋ホエールズと合併)


試合方式


総当り回数

1950-1952年 20回

1953-1962年 26回 130試合

1963-1965年 28回 140試合

1966-1996年 26回 130試合

1997-2000年 27回(*1) 135試合

2001-2004年 28回 140試合

2005-2006年 22回 + 対パ・リーグ6チーム6回(交流試合) 146試合

2007年-    24回 + 対パ・リーグ6チーム4回(交流試合) 144試合
※1952年のフランチャイズホームタウン)制度が採用後はホーム・アンド・アウェー方式で、原則それぞれ半分ずつの試合を行う。(*1)1997年-2000年は総当りが奇数回となるため、対戦カードのどちらか一方がホームゲームを1試合多い14試合を行う形だった。

上記が規定上の対戦回数であるが、諸事情により公式戦を一部中止した年度がある。

1950年 日本シリーズの日程関係のため一部試合を中止。

1951年 広島カープが存続問題から第一節(3月29日-4月6日)の参加を見送り。この期間の対広島戦中止。また、同年10月20日より予定されていた日米野球の日程関係のため同月9日でペナントレースを打ち切り。

1953年 10月17日より開催のアメリカメジャーリーグ遠征チームとの交流試合のため、一部の試合を残してペナントレースを打ち切り。

2004年 プロ野球ストライキの関係で一部の試合を中止。


引き分け再試合制度実施年:1962年、66-68年、90-2000年

引き分けを0.5勝扱いで勝率計算した年:1956-60年


回数・時間制限

年内容
1950、1951年シングルの場合は回数・時間制限なし。(デーゲームの場合日没まで続けた)
ダブルヘッダー(以下ダブルと略す)の第1試合は延長戦は原則として12回。但しナイトゲーム(薄暮開催含む)は9回まで
1952-1954年5月24日までシングル、ダブルとも原則として勝敗が決するまで時間・回数無制限だが、ナイトゲームは深夜24時を過ぎて次のイニングに入らない
1954年5月25日?同年の閉幕までデーゲームで開催のシングルの場合は時間・回数制限なし(日没まで。以後1973年まで同じ)
ダブル第1試合は延長12回まで(回数制限は1962年まで同じ)、ナイトゲームは22:30まで
1955-1958年ナイトゲームは22:15まで
1959-1962年ナイトゲームは22:30まで(時間制限は1963年も同じ)
1963年ダブル第1試合は延長13回まで
1964、1965年ダブル第1試合は延長12回まで
ナイトゲームは22:15まで(時間制限は1967年まで同じ)
1966、1967年ダブル第1試合は延長11回まで
1968-1970年ダブル第1試合は延長12回まで
ナイトゲームは22:20まで
1971年ダブル第1試合は延長12回まで
ナイトゲームは原則として試合開始時刻から3時間20分を過ぎて次のイニングに入らない。但し19時以降開始の場合は経過時間に関わらず22:20を過ぎて次のイニングに入らない(但し9回を満たさずに時間が来た場合であっても、9回までは必ず試合する 時間制限は1973年まで同じ)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki