2007年10月26日、浜松オートレース場にて消音機付きマフラーの運用テストが行われた[2]。この消音機はマフラーに増設するのではなく、予めマフラーそのものに内蔵されており、1976年頃、騒音問題で揺れていた川口オートレース場で試作され、運用を見送られ現在に至るもなお保存されている物とは異なる。
この消音機付きマフラーを装着すると、セア独特の甲高い金属音が軽減される。これにより、音色自体はやや内に篭ったトラのようなものになるという。また、当然ながら音の大きさ自体も軽減される。
10月26日の浜松一般開催の前検日にて、試験走行及び模擬レースが行われた。音量のみならず、スタートタイミングや乗り味にも変化を及ぼすため、実際に採用されるか、仮に採用されるとしても時期がいつになるかは未定であるが、今後もテストを継続していくとされている。
セアで一躍頭角を現したのは、何と言っても片平巧(19期、船橋オートレース場所属)である。元々強い選手だったが体が弱く、1990年の第22回日本選手権オートレースで優勝して以降、フジの振動のせいかいまひとつ結果を出せずにいた片平だが、セア導入直後の1993年11月に開催された第25回日本選手権オートレースで圧倒的な強さで優勝。セアでは不可能と言われていた競走タイム3.38台をマークする。その後片平は名実共に最強となり、「セアの申し子」と讃えられた。 もう1人の「セアの申し子」として、高橋貢(22期、伊勢崎オートレース場所属)が挙げられる。セア一斉乗り換え後の最初のレースで勝利を飾ったのがこの高橋貢であった。その後彼は、片平をすら凌駕する強さを誇り、「絶対王者」の異名を奉られることとなったのである。
関連項目
スズキ (自動車メーカー)
脚注^ ⇒セア360度クランクエンジン検討結果報告
^ ⇒消音機の運用テストについて
参考文献
日本小型自動車振興会『オートレース三十年史』(1981年)
日本小型自動車振興会『オートレース五十年史』(2001年)
カテゴリ: 競走車用エンジン
更新日時:2008年6月22日(日)06:33
取得日時:2008/08/20 20:25