ハディースがスンナという容れ物にそのまま含まれるのかどうかという問題は論争的問題であって、どう扱うかは法学者や文脈に高度に依存している。たとえばイスラーム法の文脈ではイマーム・シャーフィイーはハディースが預言者のスンナそのものを示すと考えたのに対し、マーリク・イブン・アナスやハナフィー学派の法学者らはこれを区別する。たとえばイマーム・マーリクは、ムハンマドから累々と伝えられ彼に到達したハディースのいくつかを拒絶しているが、マーリクによると、それらのハディースがマディーナの人びとの定まった慣行に反するものであったからであるという。
ハディースが口承とその継承者の確認の集成であるのに対し、スンナは、スンナ派においては教友の合意によって確認されたムハンマドの慣行や範例であり、シーア派においてはムハンマドおよび十二イマームの行為と範例である。慣行や範例は伝承によって伝わるものであり、伝承を参照して理解しうるものであるから、スンナとハディースは時に同義となる。しかしこれは文脈に応じて変動するもので、常に同義のものとはいえない。
ハディースは、伝承内容(マトン)とその伝承者の鎖(イスナード)に基づいて、その信頼性が分類される。ハディース学者は、ハディースそれぞれの真正性ないし虚偽性について、イスナードで伝承者それぞれの信用性と、マトンにおいて伝承内容の文脈的論理性を研究し確認していったのである。このようなハディース学のあり方は、初期のイスラーム哲学や現代科学の引用・出典確認の方法に影響を与えている。具体的には、ハディース学者はハディースの伝承者たち(イスナード)の研究、すなわち異なる伝承者たちを通じてもたらされたハディースのそれぞれを比較し、あるいは各人物を研究することによって、それぞれのハディースの内容が、真正か、良好か、脆弱か、誤謬かを立証する体系を編み出した。文書化された伝承には、ムハンマド伝(イルム・アッ=リジャール)にあるものと、累々伝えられ妥当性検証を通じてもたらされたたハディースの双方がある。
さて、スンナは大部分は預言者伝ならびに預言者の言行、範例に関わるハディースによって受け継がれてきたものではあるが、必ずしもイスラーム法的テクストを通じてのみ確立されるものではない。実際的な慣例を通じて継承されるものでもある。たとえば礼拝の方法は、個人礼拝と集団礼拝ともに、ムハンマドからその信徒に具体的な動作を示すことで伝えられ、さらにそれが世代間で継承されていったものである。このような範例がハディースによって文書化された形で示されるのは後世のことであり、実際の継承はこのように具体的なあり方をもって学ばれ、伝えられてきたのであった。一方でムハンマドの行いや習慣の多くは、第一にハディースを通じて伝えられるものであった。
スンナは法(フィクフ)ともクルアーンとも異なる。前者は古典的法学者の法意見であり、後者は神の啓示であって記録ではない。スンナは他のイスラームに関わる術語と同じく、アラビア語からの翻訳、特にさまざまな意味合いを損ねずに翻訳するのは非常に困難である。さらにスンナについてのさまざまな見解がイスラーム内部でも現れていた歴史もまた翻訳を困難にした要因である。
初期スンナ派学者は、ハディースそれぞれの妥当性が十分に検証されていなかったことから、スィーラをスンナと等しいものとみなし、さらにムハンマドの同時代人の説明を大いに用いた。ハディースの文書化が進み、ハディースの妥当性を検証した学者らが名声を博すと、スンナのほとんどはハディースを通じて知られることになった。このころには、異なる記述を持つ、あるいは虚構のムハンマド伝が流布し、そのうち一部は中傷的な記述を含むキリスト教世界から入ったものであったが、古典イスラームにおいてスンナはハディースと同一視されるようになったのである。
近代のスンナ派学者らは、過去における解釈の積み重ねで成り立っている法学を修正するに十分な根拠があることを示すためにスィーラとハディースの双方を研究した。このようなあり方とは別にスンナはまたスンナ派においては預言者自身の社会的ふるまいへの言及(ハディース)を通して、シーア派においてはこれに加えて十二イマームのそれを通じて、道徳的なあり方、倫理的指針の提供の中心的機能をになっている、とする。
唯一クルアーンのみを奉ずるムスリムは、疑わしい点のあるムハンマドのスンナを拒絶する。これはムハンマドの役目はクルアーンを人びとに届けること、ただそれだけであるという以下のようなクルアーンの教えに従ってのものである。
「汝はただお告げを伝えさえすればそれで結構」(42:48)[1]
「が、いずれにしても汝の役目はただ(我らの意向)を伝えさえすればよい」(13:40)[2]
「使徒の務めはただ(神からの)伝言を伝えるだけ」(5:99)[3]
さらにまたクルアーンのみを奉ずるべきとする人びとは、ムハンマドの伝えたかったのはただクルアーンのみであったとし、以下の章句を挙げる。
「せっかく、こうしてお前たちのお諭を盛った啓典を下してやったに、お前たちそれがわからないのか」(21:10)[4]
「もしも彼(マホメット)が我ら(アッラー)のお言葉と詐ってでまかせな言葉を喋っているのであれば、彼の右手をむんずと掴み、大動脈をぶっつり切ってやったであろう」(69:44-46)[5]
つまり唯一クルアーンのみを支持するムスリムは、ただ一つ、クルアーンというスンナを認めるのである。
前節のような見解とは逆に、伝統的ムスリムは次のような章句をとり、スンナを正当なものとする。
「同じくまた我らは汝らのうちから一人を(選び)、使徒として汝らのもとに遣わし、汝らのために我らの神兆(ここでは『コーラン』のこと)を読誦してきかせ、汝らを浄化し、また汝らに聖典と聖智とを教え、汝らが今まで知らないで来たことをいろいろ教えさせようとした」(2:151)[6]
そして彼らにとって、これらのスンナの多くは、クルアーンに
「……純正な信仰の人イブラーヒーム(アブラハム)の跡に従う人間にまさるものがどこにあろうか。アッラー御自らイブラーヒームを伴侶となし給うたではないか」(4:125)[7]
と言及されることを根拠として、イブラーヒームをその起源として取る。
預言者の役割は唯一啓示を伝達することであったとすることに対しては、先述の章句のうち「汝らを浄化し、また汝らに聖典と聖智とを教え」から、啓典の伝達のみならず、聖典、聖智の説明となる教えを伝えることもまたムハンマドの役割であったとして、スンナについての考え方をクルアーンと結びつけるのである。さらに
「まことに、神の使徒(マホメット)だけは(今度の戦闘でも)、ひたむきにアッラーと最後の日を望み、絶えずアッラーを心に念ずる人間(つまり神の道のために、至誠をもって異教徒と戦う人)の見事な実例であった」(33:21)[8]
は、ムハンマドのおこないを神の嘉例として、ムスリムはそれに続くべきものと示唆しているとする。
伝統的ムスリムの立場は、上記の議論に引用されたクルアーンの章句に示されるとおり、ムハンマドの役割は啓典の伝達であって、決して崇拝され、神格化されているわけではないというものである。そしてここで言う啓典、すなわちクルアーンはそれそのもののみではなく、説明と導きを含めてのことであって、それはスンナのなかに示されているのである、という立場なのである。
脚注^ 井筒俊彦訳『コーラン』下巻, 岩波書店(ワイド版岩波文庫), 2004., p. 95. なお以下のクルアーンの章句番号はすべてカイロ版によるものである。
^ 井筒俊彦訳『コーラン』中巻, 岩波書店(ワイド版岩波文庫), 2004., p. 55.
^ 井筒俊彦訳『コーラン』上巻, 岩波書店(ワイド版岩波文庫), 2004., p. 165.
^ 井筒俊彦訳『コーラン』中巻, 岩波書店(ワイド版岩波文庫), 2004., p. 153.