スウェーデン
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8.1.1 民族音楽

8.1.2 クラシック音楽

8.1.3 ポピュラー音楽


8.2 スポーツ

8.3 世界遺産

8.4 聖ルシア祭

8.5 祝祭日


9 交通

9.1 鉄道

9.2 バス

9.3 航空

9.4 道路


10 著名人

11 脚注

12 参考文献

13 関連項目

14 外部リンク

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国名

正式名称は、Konungariket Sverige(スウェーデン語: コゥーネゥンガリケト・スヴェリエ)。通称、Sverige。

日本語の表記は、スウェーデン王国。通称、スウェーデン。他に、スエーデン、スェーデンという表記もされる。また文化面では、英語の形容詞形スウィディッシュが使われる。漢字による当て字は、瑞典で、瑞と略される。


歴史

詳細はスウェーデンの歴史を参照

古代はスウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)として主に東方で活動した。ヨーロッパ文化やキリスト教も受容し、13世紀頃にはフォルクンガ朝が現在のフィンランドを含む地域を統一。1397年にデンマーク・ノルウェーとカルマル同盟を結んで同君連合となる。

1523年カルマル同盟から離脱し王政となる(ヴァーサ朝)。16世紀宗教改革ではプロテスタントを受容し、バルト海地域へ進出する。17世紀グスタフ2世アドルフ(獅子王)の時代にバルト帝国を建国する。新大陸にも植民地を築き、王国は最盛期を迎える。1654年プファルツ朝に王朝替えするもバルト帝国を維持。しかし18世紀初頭にカール12世はバルト海の覇権を争い、ピョートル1世の時代のロシア帝国大北方戦争で戦って敗れ、沿岸の領土を失い一時没落する。18世紀後半にホルシュタイン=ゴットルプ朝グスタフ3世が中興させるも、ナポレオン戦争の経過によって、フィンランドを失った。

1809年革命立憲君主制が成立、1814年キール条約ノルウェーを併合。1818年よりフランス人ベルナドット元帥(カール14世ヨハン)が国王に即位しベルナドッテ朝が始まる。ウィーン体制ではノルウェー同君連合1814年-1905年)を結ぶが、1905年に分離。19世紀半ばにスウェーデン王の推奨した汎スカンディナヴィア主義が頓挫し、北欧は小国化に向かう。1932年社会民主労働党政権となり、以降のスウェーデンは福祉国家路線が支配的イデオロギーとなった。武装中立政策を取り、第一次世界大戦第二次世界大戦の両大戦にも参加していないが、両大戦とも義勇軍を組織していた事は事実である。第二次大戦の中立違反の政策は、戦中も戦後も、国内外から批判を浴びている。ただし、当時は連合国も枢軸国も国際法を守っておらず、一方的に批判されることではなく、デンマーク、ノルウェー、フィンランド人の反ナチスレジスタンスを匿い、ユダヤ人を保護したことは、人道にもっとも重きを置いた決定と言える。

東西冷戦中は、ノルディックバランスを構築し、アメリカ寄りの政策と中立主義政策を行き来したが、冷戦終結後は、中立主義を放棄し、1995年欧州連合 (EU) に加盟した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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