ジーコ
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個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグリーグ戦リーグ杯オープン杯期間通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
ブラジルリーグ戦ブラジル杯オープン杯期間通算
1971フラメンゴ全国1部152
1972フラメンゴ全国1部60
1973フラメンゴ全国1部358
1974フラメンゴ全国1部5032
1975フラメンゴ全国1部5541
1976フラメンゴ全国1部4732
1977フラメンゴ全国1部4736
1978フラメンゴ全国1部2219
1979フラメンゴ全国1部2227
1980フラメンゴ全国1部4521
1981フラメンゴ全国1部4128
1982フラメンゴ全国1部3620
1983フラメンゴ全国1部4842
イタリアリーグ戦イタリア杯オープン杯期間通算
1983-84ウディネーゼセリエA2419
1984-85ウディネーゼセリエA163
ブラジルリーグ戦ブラジル杯オープン杯期間通算
1985フラメンゴ全国1部32
1986フラメンゴ全国1部43
1987フラメンゴ全国1部176
1988フラメンゴ全国1部184
1989フラメンゴ全国1部194
日本リーグ戦JSL杯/ナビスコ杯天皇杯期間通算
1991-92住友JSL2部2221-
1992鹿島-J-10621127
1993鹿島-J16931422312
1994鹿島-J7500-75
通算ブラジル全国1部530327
イタリアセリエA4022
日本J2314137634224
日本JSL2部2221
総通算384


指導歴

2002年-2006年  日本代表

2006年-2008年  フェネルバフチェSK


ジーコジャパン

フィリップ・トルシエ元日本代表監督の後任として、2002年に日本代表監督に就任した。日本代表監督最高額の年俸だった。


2002年

10月16日ジャマイカに臨み、これが初試合となった。中田英寿・中村俊輔小野伸二稲本潤一の4人を初めて同時に起用し(黄金のカルテット)話題を呼んだが、結果は1-1の引き分け。


2003年

4月16日ソウルワールドカップ競技場での韓国戦で初勝利を挙げる。 後半終了間際に韓国DFがクリアしたボールがFW永井雄一郎 の足にあたり、直接ゴールしたものであった。

6月8日キリンカップ2003でのアルゼンチン戦で1-4で完敗。これを機にディフェンスライン4人を全員入れ替えた。

6月18日からのFIFAコンフェデレーションズカップ2003の予選グループ、1勝2敗の成績に終わり決勝トーナメント進出を逃した。

8月20日ナイジェリア戦でホームゲーム初勝利。


2004年

2月7日、ジーコの慣れ親しんだ鹿島にて、親善試合マレーシア戦を行う。このドイツW杯予選を控えた日本代表の鹿島合宿中に市内のキャバレークラブに久保竜彦奥大介小笠原満男山田卓也都築龍太茂庭照幸大久保嘉人山田暢久(山田は、入店せず)が無断外出し問題起こしてしまったことがスキャンダルとして取り上げられてしまい「信頼関係を失った」と言い代表チームへの一時招集を見送られることになった。

2月18日ドイツW杯アジア1次予選初戦、オマーンと戦い、これを1−0で勝利。続くシンガポール戦も藤田俊哉の決勝点で勝利した。この内容を「苦戦」であるとした一部のサポーターが解任デモを行った。デモの参加者は当事者が想定した人数を大幅に下回るが、ドイツW杯組織委員でも彼等の主張は取り上げらる等一定の反響を得た。しかしながら、その殆どが、W杯組織委員長のベッケンバウアーの「勝っているのにそういうことをするのは日本人がサッカーを知らないからだ」というコメントや、当時ブラジルの監督を勤めていたパレイラの「W杯予選では勝ち点を取る為の戦い方が必要なのをジーコは分かっている」と同様の見解を述べる等、世界的な有識者からの顰蹙の声であった。更に後の欧州遠征の結果を受け、デモ行進の当事者達が当初から計画していた二回目以降のデモは延期という名目のもとに消滅した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen