ムガベははじめは黒人と白人の融和政策を進め[1] 、国際的にも歓迎されてきたが、2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラック」が開始された[1]。この結果、白人の持っていた農業技術が失われ、食糧危機や第二次世界大戦後世界最悪とも言われるインフレーションが発生した。こうした経済混乱に、長期政権・一党支配に対する不満とあいまって治安の悪化も問題となっている。また、言論の統制などの強権的な政策は外国や人権団体などから批判を受けている。
2005年5月には「ムラムバツビナ作戦」によって地方の貧しい都市地域および周辺都市地域を標的に大規模な強制退去と住居破壊を行い[2]、さらには2007年3月11日、警察によって活動家ギフト・タンダレが暗殺されている[3]。女性差別は依然存在するばかりか激しさを増しており、女性活動家の行動はおろか生活すらも統制され、トウモロコシを穀物流通公社に売ることさえもできなくなっている[4]。
ローデシア共和国初代首相であったイアン・スミスは、政界復帰を狙っていると伝えられていたが、2007年11月20日に南アフリカ共和国・ケープタウンの自宅で心不全により88歳で死去した。グレートジンバブエ遺跡の「大囲壁」の外観。Randall-MacIver,D.1906より
2008年3月29日より大統領選挙が始まり、現職の与党ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線のムガベ大統領他、与党から造反したシンバ・マコニ元財務相と最大野党の民主変革運動のモーガン・ツァンギライ議長が立候補していたが、ムガベ政権からの弾圧によりツァンギライ議長は出馬の取り止めを余儀なくされた。これにより、ムガベ大統領は欧米からの決選投票延期要請を無視し、投票を強行、勝利したと宣言した。
政治
ジンバブエの政党
野党勢力への迫害が強く、野党の政治家、野党支持者への暴行・虐殺・拉致などが常態化している。事実上、ムガベ大統領の独裁政治体制が続いている。 2008年6月の大統領選挙においても国連から公正な選挙がなされておらず、不正選挙にて大統領が選出され非難声明が出されている。国連の介入の議論がされたが、ロシアと中国が拒否権を行使し否決された。
国内では報道規制が厳しく、CNN・BBCをはじめ国外のマスコミの取材が禁止されている。
詳細はジンバブエの行政区画を参照
ハラレ市
ブラワヨ市
マニカランド州(東部)
マショナランド中央州(北部)
マショナランド東部州(北部)
マショナランド西部州(北部)
マスィンゴ州(南東部)
北マタベレランド州(西部)
南マタベレランド州(西部)
ミッドランズ州
アフリカ南部に位置し、モザンビーク、南アフリカ、ボツワナ、ザンビアと国境を接する。ザンビア国境にはヴィクトリア滝が位置する。内陸国であり海岸線をもたない。座標は東経30度・南緯20度のあたり。
面積は390,580 km2、うち陸地面積が 386,670 km2、内水面面積が 3,910 km2を占める。 気候は熱帯性であるが、高度のためやや温暖である。雨季は11月から3月にかけて続く。 地形は中央高地をもつ高原が大部分を占める。国の東部は山岳地帯である。 国内最低地点はルンデ川とサヴェ川の合流地点で標高162 m、最高地点はインヤンガリで標高2,592 m。
石炭、クロム鉱石、アスベスト、金、ニッケル、銅、鉄鉱石、バナジウム、リチウム、錫、プラチナ族金属を産する。
通貨はジンバブエ・ドル(ZWD)。アメリカの評論誌Foreign Policyによれば、2007年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つ[5]。世界で最もインフレが激しく、2008年5月に1億と2億5000万の額面のジンバブエ・ドル札が発行された後も、50億、250億、500億ドル札の発行と続き、7月には1000億ドル札の発行が行われた。そのため、コンピュータの処理にトラブルが発生していることから、中央銀行はデノミネーションを実施し、大幅な通貨単位の引き下げを実施することが決定した(1000億ドル紙幣が10ドルとなるレベル)。それに対応した新紙幣を8月1日から発行することも正式に決定している。
詳細はジンバブエ・ドルを参照
かつては農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済であった。特に、白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われていた。外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国で、かつては「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたほどであった、[1]。
しかし、これを支えていたのは、低賃金で過酷な労働使役についていた黒人達である。その恩恵を本来の国民である彼等が受けることはなく、経済のバランスとは全く無縁にただ貧困に喘ぎ続ける状況だった。国土の90%以上を所有していた白人農場主には、欧米の本国に住みながらの不在地主も多かった。
しかし白人農家に対する強制土地収用政策の開始後、ノウハウを持つ白人農家の消滅、大規模商業農業システムの崩壊、[1]により、農作物の収量は激減。基幹産業の農業の崩壊によって生じた外貨不足は、さらに部品を輸入で調達していた工業にも打撃を与え、経済は極度に悪化した[1]。経済成長率は-12.1%(2002年)を記録し、経済システムは崩壊した。ちなみに、農場主と地元民との交渉による自主的な返還も多く、すべての土地が強制的に収容されたわけではない。
さらに旱魃により食糧不足が深刻化し、飢饉となっている。加えて欧米各国による経済制裁が影響し、2003年末には600%のインフレが発生。