大統領選挙での敗北後、ブッシュは慣例にしたがって政治活動から引退した。特に息子がテキサス州の知事となり、共和党の有力な大統領候補として頭角を現すようになってからは、その妨げとならないよう、他の退任した大統領よりも増して公の場には極力姿を表さないよう心がけていた。
そのブッシュを公の席に「引っぱり出した」のが、意外にもビル・クリントンだった。クリントンは自らの退任後、同じ「元大統領」としてブッシュをさまざまな非政治的な式典や被災地の慰問などに誘った。そうしたことから両者の仲は極めて親密なものとなり、その関係は相互の家庭を時折訪問するほどまでになった。息子の嫁のローラ夫人はその仲よしぶりを「うちの家族にはミスタープレジデントが三人もいるんですよ」と評したこともある。
ブッシュは一期限りの大統領だったが、任期中に大統領の名を汚すようなスキャンダルには一切見舞われなかったことから、退任後はその名がさまざまな施設や艦船につけられることになった(逆に揉み消しスキャンダルで辞任したニクソンや、セックススキャンダルが弾劾審理にまで発展したクリントンの名は忌避される傾向にある)。1997年には地元テキサス州ヒューストンの空港が「ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港」と改名され、2002年にはニミッツ級航空母艦の10番艦が「ジョージ・H・W・ブッシュ」と命名されることになった。存命中の元大統領の名前が合衆国海軍の艦船に冠せられるのは、カーター、レーガンに続き史上3人目。
1992年1月7日に来日した際、最初に京都御所を見学し、その場で行われていた蹴鞠に飛び入りで参加した。翌日、今上天皇(明仁)と2回テニスのダブルスで対戦しているが、2回ともブッシュ側が負けている。その日の宮澤喜一総理大臣主催の晩餐会の最中、突然椅子から崩れるように倒れ、その様子は世界中のマスメディアが ⇒トップニュースとして報道した。バーバラ・ブッシュ夫人がとっさの機転で「ブッシュ家は負けることに慣れていないのです」とジョークを飛ばし、その場を救った。日本政府は、慶應義塾大学病院を手配したが、アメリカ側は、ただのインフルエンザに過ぎないからとこれを受諾せず、アメリカ大使館の医務官が対応した。
大のブロッコリー嫌いで知られており、大統領専用機の機内食のメニューからブロッコリーを削除した。また、「ブロッコリーは嫌い。二度と食べない。ポーランド市民がソ連と闘ったように私もブロッコリーと闘う」と発言したことに怒ったブロッコリー農家から、大量のブロッコリーを送りつけられたことがある。
太平洋戦争で撃墜された愛機の名前は後の妻の名前である“バーバラ”だった。ちなみに撃墜された後、3日間、太平洋をひとりぼっちで漂流し他の4人のパイロットとともにフィンバックに救助された。なお、このとき他にも4機の米軍機が撃墜されたが、8人の米軍兵士が捕虜として日本兵により人肉食されていたことが戦後の裁判で明らかになり、日本国民はその事実に驚愕することになる。この小笠原事件は、ブッシュの対日観に長いこと影を落としたといわれている。
内閣北米自由貿易協定調印、1992年10月
職名氏名任期
大統領ジョージ・H・W・ブッシュ1989 - 1993
副大統領ダン・クエール1989 - 1993
国務長官ジェイムズ・ベイカー1989 - 1992
ローレンス・イーグルバーガー1992 - 1993
財務長官ニコラス・ブレイディ1989 - 1993
国防長官リチャード・チェイニー1989 - 1993
司法長官リチャード・ソーンバーグ1989 - 1991
ウィリアム・バー1991 - 1993
内務長官マヌエル・ルージャン1989 - 1993
商務長官ロバート・モスバカー1989 - 1992
バーバラ・フランクリン1992 - 1993
労働長官エリザベス・ドール1989 - 1991
リン・マーティン1991 - 1993
農務長官クレイトン・ヤイター1989 - 1991
エドワード・マディガン1991 - 1993
保健社会福祉長官ルイス・サリヴァン1989 - 1993
教育長官ラウロ・カヴァーゾス1989 - 1990
ラマー・アレクサンダー1991 - 1993
都市住宅開発長官ジャック・ケンプ1989 - 1993
運輸長官サミュエル・スキナー1989 - 1992
アンドリュー・カード1992 - 1993
エネルギー長官ジェームズ・ワトキンス1989 - 1993
退役軍人長官エドワード・ダーウィンスキー1989 - 1993
関連項目
ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(息子 第43代大統領)
バーバラ・ピアーズ・ブッシュ