ジョージ・ブッシュは、プレスコット・ブッシュとドロシー・ウォーカー夫妻の息子として生まれた。父親はコネチカット州のリベラルな共和党上院議員で、著名な投資銀行「ブラウン・ブラザース・ハリマン」に在籍していた。
ブッシュは高校卒業後、国への義務を果たすべく海軍に志願する。彼は第二次世界大戦における最も若い海軍艦上攻撃機パイロットだった。1942年より太平洋戦線に従軍しており、少尉時代の1944年マリアナ沖海戦では日本機の銃撃によって、中尉時代の1944年9月2日には小笠原諸島沖で父島地上砲台の対空砲火を浴びて乗機アベンジャーを撃墜されているが、いずれも味方に救助され生還している。二度目の際には敵地近くであり、同乗していたウィリアム・ホワイトとジョン・デラニーは戦死し自身も捕虜になる危機を迎えたが当時9度目の哨戒任務で同海域にいたガトー級潜水艦フィンバックに救助され、その後しばらくフィンバックで勤務した。後に航空殊勲十字章などいくつかの勲章を受章した。その後大尉にまで昇進し退役。エール大学に進学し、4年次には有名なクラブに所属している。
1945年1月6日にバーバラ・ピアスと結婚し、6人の子供をもうけた。
ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(George Walker Bush, 1946年7月6日 - 第43代大統領)
ポーリン・ロビンソン「ロビン」・ブッシュ('Pauline Robinson "Robin" Bush, 1949年12月20日 - 1953年10月11日。白血病で死去。)
ジョン・エリス「ジェブ」・ブッシュ(John Ellis "Jeb" Bush, 1953年2月11日 - フロリダ州知事)
ニール・マローン・ブッシュ (Neil Mallon Bush)
マーヴィン・ブッシュ (Marvin Bush)
ドロシー・ウォーカー・ブッシュ・コッチ(Dorothy Walker Bush Koch, 1959年8月18日 - )
父親の上院議員職、長男ジョージ・W・ブッシュのテキサス州知事および大統領、三男ジェブ・ブッシュのフロリダ州知事などの政治的な成功で、ブッシュ家は王朝としてなぞらえられ、ジョン・アダムズおよびケネディ家のそれと比較された。
政治経歴副大統領を務めたロナルド・レーガン政権の閣僚とともに、1981年2月4日
1964年にブッシュは、テキサスの共和党員ジョン・タワー上院議員を含む南部の政治家のほとんどが反対した公民権法に賛成した民主党の上院議員ラルフ・ヤーボローに対抗して上院議員選に出馬し、政界に乗り出した。ヤーボローがブッシュを「ちょうど彼らがニューヨーク証券取引所の席を買ったように」上院議員の席を買おうとする「渡り政治屋」であると批判したことに対し、ブッシュはヤーボローを「極論者」および「左翼扇動政治家」と呼んで対抗したが、ブッシュは1964年の民主党の地滑り勝利により敗北を喫した。
ブッシュは1966年と1968年の終わりにテキサスの第7区から下院議員に選任された。彼はその後1970年に、民主党の予備選挙でヤーボローを破ったロイド・ベンツェンに、二度目の上院議員選挙で敗れた。ブッシュは70年代を通してリチャード・ニクソンおよびジェラルド・フォード大統領の下で、共和党全国委員会議長、アメリカ国連大使、中華人民共和国への特命全権公使(米中連絡事務所長)、CIA長官(1976年1月30日 ? 1977年1月20日)、危機委員会評議員などの要職を歴任した。
1981年 - 1989年: ロナルド・レーガン政権副大統領
1980年に彼は共和党の大統領指名を争う予備選に出馬する。そこで彼はレーガンの経済政策を「おまじない経済学」と批判したものの、結局は指名を得ることに失敗。党大会直前に、レーガンに副大統領候補として指名され、1981年に副大統領に就任する。
ブッシュはレーガンと予備選挙の時こそ対立したものの、副大統領としてはレーガンに忠実に仕えた。レーガンも銃撃事件をきっかけにブッシュの謙虚な人格を信頼するようになった。
ブッシュは外交・安全保障に並々ならぬ関心をもった副大統領であった。
二期にわたって副大統領を務めた後、満を持して出馬した1988年の大統領選では、マサチューセッツ州知事・マイケル・デュカキスに地滑り的な大勝をおさめた。在任中の副大統領としてはマーティン・ヴァンビューレン以来144年ぶり四人目、二期目を務めている最中の副大統領としては実にジョン・アダムズ以来192年ぶり二人目の大統領当選者で、「副大統領は長く務めるほど大統領選が不利になる」というジンクスを覆した。
→ 詳細は「1988年の大統領選挙」の項を参照。
1989年第41代大統領に就任したブッシュが最初に取り組んだのは国内における麻薬の浄化であった。彼はその一環として中南米で麻薬交易の中継となっているパナマのマヌエル・ノリエガ政権に対する侵攻を決意する(パナマ侵攻)。