ジョニー・ロットン
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ジョン・ライドン
PiL - ライブ公演 (2013年10月)
基本情報
出生名ジョン・ジョセフ・ライドン
John Joseph Lydon
別名ジョニー・ロットン
生誕 (1956-01-31) 1956年1月31日(68歳)
出身地 イングランド
ロンドンイズリントン区 ハロウェイないしフィンズベリー・パーク界隈
ジャンルパンク・ロック
ポスト・パンク
オルタナティヴ・ロック
職業ミュージシャン
ボーカリスト
シンガーソングライター
担当楽器ボーカル
ギターサクソフォンベース
シュトロー・ヴァイオリン
ヴァイオリンシンセサイザー
キーボードパーカッション
活動期間1975年 - 現在
共同作業者セックス・ピストルズ
パブリック・イメージ・リミテッド
タイム・ゾーン
公式サイトwww.johnlydon.com

ジョン・ライドン(John Lydon、1956年1月31日 - )は、イギリスミュージシャン。ジョニー・ロットン(Johnny Rotten、「腐れのジョニー」の意)のニックネームでパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのリード・ボーカルを務め、解散後はパブリック・イメージ・リミテッド(PiL)を結成した。

ジョニー・ロットンという名前は彼がセックス・ピストルズに加入したとき、ギタリストのスティーヴ・ジョーンズが彼の歯の汚い状態を見て「腐ってる! お前の歯、腐ってるぞ!(You're rotten! Look at you, your teeth are rotten!)」と発言したことがきっかけで彼のニックネームとなった[1]

2002年BBCが行った歴史上「100名の最も偉大な英国人」投票にて第87位に選ばれている。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第14位[2]
経歴若き日のパンク仲間 (右から二人目がライドン)
出生

ジョン・ライドンは1956年1月31日、ロンドンの現イズリントン区のハロウェイ(Holloway area of north London)[3][4]、ないしフィンズベリー・パーク(Finsbury Park)界隈で生まれた[5]。父はトラックの運転手、母は飲食店の女給である典型的なアイルランド系労働者階級の家庭で育ち[5]、三人の弟と共に界隈のアイリッシュ系やジャマイカ系の貧しい移民地区で成長した。当時のイギリスにおけるアイルランド移民は、ジャマイカ系などの黒人と同様に激しい差別を受けていた。ライドンは自伝『No Irish, No Blacks, No Dogs』で子供のころ、通学の途中で差別による投石を頻繁にうけたと語っている。

7歳の時に髄膜炎を患い、3か月近く昏睡状態に陥った後遺症から記憶の大部分を喪失する[6]。意識が戻った時には両親の顔は無論、自分の名前すら思い出せない状態だったため、医師の勧めで脳の機能を回復させるための刺激療法を受けることになり[7][8]、髄膜炎治療の入院に1年、周囲との隔たりを埋めていくのに3年もの時間を費やした[6]。それが原因で小学生のころはいじめられっ子であった。何もかも一からやり直しの状態であったが、母親の熱心な教育のおかげで人並み以上のレベルまで取り戻すことができた。彼はこの病気の過去を「“ロットン”への道を歩み始める第一歩」と語っている。なお、この病の影響で20歳代に10cm以上身長が伸びた。
セックス・ピストルズセックス・ピストルズ時代 (1977年)

小学生時代とは打って変わり、中学生からのライドンは退学処分を受けるほどの不良となり、10代後半はマルコム・マクラーレン(デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが共同経営者)のブティック「Sex」に頻繁に出入りするようになる[5]。この店を溜まり場としていたライドンをリーダー格とする不良グループ“ジョンズ”は、メンバー全員の名がJohnであることから名づけられた。

1975年にマクラーレンがアメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズとの小ツアーから帰り、スティーヴ・ジョーンズやポール・クックと共に新たなバンドの結成を模索していたとき、ライドンが現れた。ライドンは「I Hate」とサインペンでなぐり書きされたピンク・フロイドのTシャツを着ており、店内でのオーディションでアリス・クーパーの「エイティーン」を歌った[5]。そしてバンドへ加入、バンド名はセックス・ピストルズに決まる。ピストルズは「アナーキー・イン・ザ・UK」や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」などの歴史的な曲を発表し、パンクの有名バンドとなった。曲は主に、メンバーのグレン・マトロックが書いていた。

ピストルズの後期、ライドンは、ヘロイン中毒である親友のシド・ヴィシャスの薬物治療の手助けをするが、結局シド・ヴィシャスはヘロインをやめられずまともに演奏できる状態ではなくなった。メンバー間の不仲も頂点に達し、バンドは最悪の状態になり、1978年1月14日、アメリカツアーのサンフランシスコ最終公演を最後にライドンは脱退を表明。ラストライブの最後に「騙された気分はどうだい」と言い放っている[9][10]。脱退表明時には「ロックは死んだ」と宣言した[11]
ピストルズ脱退後PiL再結成ライブ (2011年)

ライドンは1978年4月に、ベースのジャー・ウォブル、ギターのキース・レヴィン、ドラムのジム・ウオーカーと共にパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)を結成し、ファースト・アルバム『パブリック・イメージ』(Public Image - First Issue) を発表する[12]。メンバーと音楽性を変遷させながら活動を継続するが、1992年に活動休止となる[12]

1993年、初の自伝『Rotten: No Irish, No Blacks, No Dogs』を発表[13]。日本では1994年に『STILL A PUNK―ジョン・ライドン自伝』のタイトルで発売された[14]

1996年にセックス・ピストルズを再結成。ワールドツアーを開催し、約1か月にも及ぶ来日ツアー公演を行う[15]1997年には初のソロ・アルバム『サイコパス』(Psychos-Path) を発表する[12]

2007年、音楽ゲーム『ギターヒーロー3 レジェンド オブ ロック』に「アナーキー・イン・ザ・U.K.」が採用されたことで、本作のPRを始めるようになりセックス・ピストルズとして久しぶりに活動することになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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