ジョニー・キャッシュ
出生名J. R. Cash
生誕1932年2月26日
死没 (2003-09-12) 2003年9月12日(71歳没)
ジャンルカントリー、ロカビリー、フォーク、ロック、ブルース、クリスチャン・ミュージック
担当楽器ボーカル、ギター
活動期間1954年 - 2003年
公式サイト ⇒johnnycash.com
ジョン・R・"ジョニー"・キャッシュ(John R. "Johnny" Cash、1932年2月26日 - 2003年9月12日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、俳優、作家[1]、カントリー、ロック、ロカビリー歌手、作曲家。 カントリー・ミュージシャンを中心に、20世紀の一部のミュージシャンに影響を与えたと見られている[2]。カントリーのアイコンとして知られているが、曲やサウンドのジャンルの幅はロック、ロカビリー、ブルース、ロック、クリスチャン・ミュージックと多岐に亘る。この多様性により、カントリー・ミュージック殿堂、ロックの殿堂、ゴスペル・ミュージックの殿堂
人物
特徴のある深いバス=バリトンの声[a][4]、バックバンドのザ・テネシー・スリー
の独特のサウンド、憂鬱と謙虚な振る舞い[3]を併せ持つ反逆のイメージ[5][6]、刑務所の無料コンサート[7][8]、ニックネーム「メン・イン・ブラック」の元となったトレードマークの黒服の着用で知られている[b]。コンサートでは常にシンプルに「Hello, I'm Johnny Cash. 」で始まり[c]、続いて名曲『Folsom Prison Blues 』を演奏していた。キャッシュの音楽の多く、特に後年の作品は悲哀、道徳的試練、贖罪をテーマにしている[3][11]。『I Walk the Line 』、『Folsom Prison Blues 』、『Ring of Fire 』、『Ghost Riders in the Sky[12]』、『Guess Things Happen That Way 』、『Man in Black 』などの曲で知られている。他にも『One Piece at a Time 』、『A Boy Named Sue 』[13]、後に妻となるジューン・カーター・キャッシュ(en:June Carter Cash)とのデュエット『Jackson 』、鉄道をテーマにした『ヘイ・ポーター』、『Rock Island Line 』などユーモラスな曲もある[14]。後年、キャッシュはナイン・インチ・ネイルズの『Hurt 』など、20世紀のロックをいくつかカヴァーした。
2003年に死去するまでに放ったヒット曲数は140曲以上で、そのヒット曲最多売上曲数は世界記録保持者エルヴィス・プレスリーの151曲に迫る数字である。年間4枚以上アルバムを発売した年も多い。レコードとCDの累計売上がこれまでに5,000万枚を記録しており、グラミー賞も11回受賞し、ほかにも数々の受賞歴を持っている。「ロックの反逆性と、カントリーの哀愁、フォークの語り口」といわれる独自の世界観を持つ歌が特徴で、クリス・クリストファーソンやリック・ルービン、マール・ハガード、U2のボノ、ボブ・ディラン、ウィリー・ネルソン、ウェイロン・ジェニングス、アル・ゴア[15]らから共感や尊敬を得ている。支持政党はアメリカ民主党。
キャッシュは53歳の時に、カントリーぎらいで有名なフランク・ザッパと出会った。両者とも民主党支持だったため相性が良かったのか、後日ザッパはコンサートでキャッシュの「リング・オブ・ファイア」を歌った[16]。
前妻との娘ローザンヌ・キャッシュ[17](81年に「セブン・イヤー・エイク」のヒットあり)や、ジューンとの息子ジョン・カーター・キャッシュ、ジューンと前前夫の娘カーリーン・カーターなども歌手である。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第21位[18]。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第31位[19]。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第14位[20]。 1932年、アーカンソー州キングスランドに[21]レイ・キャッシュ(1897年5月13日 - 1985年12月23日)[22]とキャリー・クロヴリー(旧姓リヴァーズ、1904年3月13日 - 1991年3月11日)[23][24]のもとに7人きょうだいの4番目として生まれた。空軍に入隊する際、イニシャルの使用ができなかったため法的にジョン・R・キャッシュと名付けた。1955年、サン・レコードと契約する際、芸名としてジョニー・キャッシュと名付けた[25]。 キャッシュの兄弟は、ロイ、マーガレット・ルイーズ、ジャック、J・R、リーバ、ジョアンヌ、トミーである[26][27]。キャッシュの末の弟のトミー・キャッシュ
プロフィールジョニー・キャッシュとニクソン大統領、キャッシュはこの時ニクソンに監獄法の改正を訴えた。1972年7月、ホワイトハウスにて。
生い立ち
1935年3月、キャッシュが3歳の時、アーカンソー州ダイエスに住んでいた。一家は同州ダイエスの失業救済局作業場で綿花を育て生計を立てており、彼も5歳頃から兄ジャックとともに家族の農業の手伝いをし、働きながら家族で歌っていた。この農場は少なくとも2回洪水被害に遭っており、この経験を基に後に『Five Feet High and Rising 』を作曲した[28]。