ジャンヌ・ダルク
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偽ジャンヌ・ダルクと私生児説

ジャンヌが処刑されてから5年後の1436年5月30日、ジャンヌを名乗る女性がロレーヌ地方のメスに現れた。ジャンヌの兄ピエールとジャンはこの女性をジャンヌと認めたため、近隣の領主たちの歓迎を受けることになった。同年秋、彼女は当時ルクセンブルク公領だったアルロンで、ロレーヌ地方の領主ロベール・デ・ザルモアーズと結婚した。そのため、彼女はジャンヌ・デ・ザルモアーズの名で後世に知られることになった。1439年8月、オルレアンにて町を救った功績として金銭を贈られた。1440年、パリの国王裁判所に出頭させられて説諭を受けたが、制裁を受けることもなく姿を消した。1457年、ジャンヌの名を騙ったことについての赦免状を求めるためにアンジューに現れたという記録が残されている。

ジャンヌは実は王家の私生児であったという説もある。この説によると、ジャンヌはシャルル6世の妃であったイザボーと、義弟ルイ・ドルレアンとの間に生まれたとされる。イザボー王妃の息子フィリップは1407年11月10日に死去し、ルイ・ドルレアンは同年11月23日に暗殺されているが、このフィリップこそがジャンヌのことであり、男の子が生まれたが死産した、ということにして密かにジャック・ダルクの元に預けられた、というのである。ジャンヌ私生児説を主張する者たちの中には、この女性こそ王家の私生児であった本物のジャンヌであり、処刑されたのはジャンヌの身代わりであるという、ジャンヌ生存説を唱える者もいる。だが、研究家たちにはこれらの説は否定的に見られている。

なお、シャルル7世の「王太子の兆候(シーニュ)」とは、シャルル7世が王妃イザボーの不義の子であるという噂を否定するものであり、ジャンヌこそがイザボーの不義の子だということを示したものであるという説もあるが、この説も研究家たちには否定的に見られている。


後世の評価ジャンヌ・ダルク自筆の署名。
1430年3月28日付ランス住民宛書簡。マレーシー家蔵ジャンヌは不識字だったという。この署名は「n」が「m」に誤って書かれている[要出典]。

ナポレオン・ボナパルトは、フランス人として初めてジャンヌ・ダルクを評価し、フランスの救世主として大々的に紹介した。ただし、これはナポレオン自身の皇帝という身分への自己正当化のためであった。その後フランスのナショナリズムの高まりと共に、ジャンヌについての史料の編纂・研究が行われ、多くの文学・芸術作品のモチーフとなった。最近ではフランス国民の愛国主義・国民統合のシンボルとして祭りあげる動きもある(フランスの右翼政治家ジャン=マリー・ル・ペンなど)。

一方、敗北したイギリス側ではジャンヌに対して長く「魔女」としてのレッテルを貼り続けていた。王家の腐敗が描かれる一方で愛国的姿勢も見受けられるシェイクスピアの史劇『ヘンリー六世・第一部』(Henry VI, Part 1、1592年)でのジャンヌの描き方はその典型例である。

だが、近代以後には「もしイギリスが百年戦争に勝利してフランスを併合していたら、イギリス=フランスに絶対王政が成立して今日の自由主義はイギリスに存在しなかったかも知れない(シャルル7世との抗争にイングランド勢が勝利した暁には、ヘンリー6世らイングランド王族が、豊かなフランス側を本拠とする為に結果的にはイングランドがフランス側に事実上併合される可能性があった)。結果的にはジャンヌはイギリスをも救った」という見方も現われるようになったという。[要出典]更には、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『聖女ジョーン』で表わされるように、プロテスタント殉教者として評価する者まで出た。

ジャンヌ・ダルクは1909年4月18日ローマ教皇ピウス10世によって列福された。次いで1920年5月16日ベネディクトゥス15世によって列聖され、聖人となった。


医学的研究

ジャンヌ・ダルクの神がかり的な言動については、発作を伴わない幻覚症状のみの側頭葉癲癇によるものだとする見解がある。癲癇によるエクスタシー体験はドストエフスキーのものが有名で、ジャンヌは過剰に道徳的・自律的だが、時として攻撃的になるという典型的な癲癇気質であったことがこの説を支持する要素となる[1]

また、癲癇の原因としてはなどから感染した、ないし教会などが原因となる音楽原性の結核があったとみられ、これについては

火刑で心臓が焼け残ったのは結核性心膜炎や腸管結核によるもの

無月経で痩せていたのは悪液質のため

などが結核の傍証として挙げられる[1]

なお、幻覚などからは統合失調症の可能性もある。


ジャンヌ・ダルクが登場する作品1429年5月10日にパリ高等法院書記クレマン・ド・フォーカンベルグが描いた素描(フランス国民議会図書館蔵)実は公的文書の隅に描かれたいたずら書きであったが、ジャンヌの特徴をよく捉えている。


日本以外


戯曲

ウィリアム・シェイクスピア 『ヘンリー六世・第一部』 1592年 - 魔女的側面が強調されて描かれている。

フリードリヒ・フォン・シラー 『オルレアンの乙女』 1801年


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki