ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
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ザ・フーとの関係

モンタレー・ポップ・フェスティバル(1967年6月)には、ヘンドリックスと同様に楽器破壊パフォーマンスを売りにしていたザ・フーも出演している。主催者はジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・フーを連続してステージに登場させようとしたため、両バンドは大いに困惑した。先に出演した方が、観客に与える衝撃度が確実に高いからだ。ザ・フーのギタリストのピート・タウンゼントは、ヘンドリックスに「君は天才ミュージシャンだが、俺達には楽器破壊の芸しかない。俺達を先に出させてほしい」と懇願したという(タウンゼント自身の談話)。話はまとまらず、主催者側のジョン・フィリップス(ママス&パパス)がコインを投げ、その裏表で出演順を決定することになった。結果、ザ・フーが先、ヘンドリックス達は後という出演順になっている。

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスとザ・フーは宣伝担当エージェントが共通で、しばしば同じステージに立ったりしていた。イギリスではザ・フーの方が先にデビューしていたため、ヘンドリックスがザ・フーの前座として出演することもあったという。ピート・タウンゼントは「ジミから『ザ・フーのみんなにはとても世話になった』と、とても丁重に礼を言われたことがある。だが本当の友人になることができないうちに、彼は死んでしまった」と残念そうに語っている。タウンゼントはヘンドリックスのギターに惚れ込み、ヘンドリックスの渡英後間もない時期には可能な限りステージに通い詰めていたと言われる。ヘンドリックスが出演しているクラブにタウンゼントが出向いた際、出入り口でジェフ・ベックと擦れ違い「あいつ(ヘンドリックス)は俺の真似をしているんじゃないか?」と悔しそうに言われたというエピソードがある。


マイルス・デイビスとの関係

ジャズ界の帝王、マイルス・デイビスはヘンドリックスの才能を絶賛しており、ヘンドリックスの死後に「あれほど音感のいい人間は滅多にいるものじゃない」と語っている。これはデイビスとヘンドリックスがセッションした際、ヘンドリックスが譜面を読めないためデイビスがピアノなどでコードを弾いてやると、ヘンドリックスが即座に反応してギター演奏で返してきたというエピソードに基づく(口述筆記によるデイビス自伝より)。

またデイビスは自身のバンドのギタリストに対し、「ジミ・ヘンドリックスのように弾くんだ」と常々指示していた。バンドに参加していたギタリストのジョン・マクラフリンマイク・スターンが、いわゆるジャズ的な演奏をしても決して満足せず、ロック風な演奏をすると「それだ!」と喜んだという逸話もある。ヘンドリックスと同年代のマクラフリンは、ヘンドリックスと度々セッションを行っており、後に「ジミは後年の全てのギタリストに影響を与えた。私もジミに何らかの影響を与えられたのだろうか(自分では何とも言えない)」と述べている。スターンはヘンドリックスより若く、ヘンドリックスの影響を大きく受けたジャズギタリストとして知られる。

デイビスの妻だったベティ・デイビス(黒人の歌手、同名の白人ハリウッド女優とは別人)はヘンドリックスと不倫関係にあったと言われるが、デイビスはそれに構わずヘンドリックスを自宅に招きセッションを行ったと言われる。デイビスとヘンドリックスを引き合わせたのはジョン・マクラフリンらしい。

デイビスのバンドのベーシストだったデイブ・ホランド(ヘンドリックスとも度々セッションを行っていた)によると、ヘンドリックスとデイビスのレコーディングの仕方は非常に良く似ている面があったらしい。どちらかがどちらかに影響を与えていたのか、そうでなかったのかは不明。ただし、いわゆる“電化マイルス”という方向性が、ヘンドリックスの影響によるものだったことは広く知られている。

ヘンドリックスとデイビスは共同でアルバムを制作する寸前だったが、直前にデイビス側から「前金でギャラが欲しい」という申し出があり、お流れになってしまったらしい(ジョン・マクダーモットによるヘンドリックスの伝記より)。


三大ギタリストとの関係

いわゆる三大ギタリストの内、エリック・クラプトンとジェフ・ベックはヘンドリックスと友人だったと言われているが、ジミー・ペイジはニュー・ヤードバーズ、すなわち後のレッド・ツェッペリン立ち上げの時期で忙しく、ヘンドリックスのステージを観る機会が一度もなく会うこともできなかったという。ただしペイジがレッド・ツェッペリンのアメリカ公演の合間にニューヨークのクラブに出向いた際、偶然同じ店に来ていたヘンドリックスと同じテーブルに着いたことがある。その時のヘンドリックスは完全に酩酊状態で、まともに話をすることもできなかったらしい(ヘンドリックスはあまり酒が強くなかったと言われている)。結局ペイジが生前のヘンドリックスと会えたのはその時だけだった(ペイジ本人の談話)。

ジェフ・ベック・グループが初のアメリカ公演を行った際(1968年6月)、アンコールにヘンドリックスが登場し、ベックと共演したことがあるという。ベックは「ステージでジミと一緒に演奏していると、自分が歴史の一ページに立ち会っているんだというような深い感慨があった」と述べている。雑誌の記者に「若手ロックギタリストに最も大きな影響を及ぼしているのはジミ・ヘンドリックスとあなた」と言われたベックは「本当か!」と驚喜したという。ヘンドリックスもベックのことを「イギリスで最高のギタリスト」と評したことがある。ベックは1980年代半ば、ヘンドリックスの演奏で有名な「Wild Thing」(オリジナルはトロッグス)をヘンドリックス風のアレンジでレコーディングしている(珍しくベックがリードボーカルを務めた)。またヘンドリックスのトリビュート・アルバムで「Manic Depression」をカバーしている。コンサートのアンコールで、ミッチ・ミッチェル、ノエル・レディング(いずれも元エクスペリエンス)とトリオで演奏したこともある。

クリームの名曲「Sunshine of your love」は、クリームのメンバー3人(ジャック・ブルースジンジャー・ベイカー、エリック・クラプトン)がヘンドリックスのステージを鑑賞した夜、ヘンドリックスの演奏に触発されて生まれたという(ブルースとベイカーの談話)。それを知っていたかどうかは不明だが、ヘンドリックスも同曲を気に入っており、たびたびステージで演奏していた。イギリスのTV番組「ルル・ショー」(生放送)にヘンドリックスが出演した際、司会のルル(女優兼歌手)と「Hey Joe」をデュエットするという予定を無視し、解散したばかりのクリームに捧げるため同曲を演奏したのは有名(1969年1月)。

ヘンドリックスとエリック・クラプトンはたびたびセッションを行っていたとされるが、ヘンドリックスから見るとクラプトンのサイドギターの技術は芳しくなかったらしい。ヘンドリックスはクラプトンに対し「おまえはギターよりベースを弾いた方がいい」と面と向かって発言し、クラプトンが怒って帰ってしまうということもあったらしい。

クリーム時代のエリック・クラプトンが生み出したウーマントーンは一般にギブソンのレスポールまたはSGによるものと思われているが、ストラトキャスターのフロントピックアップによるものという説がある。ウーマントーンの代表曲「Sunshine of your love」のレコーディングはストラトキャスターで行われたという証言も存在する。これが正しいとすれば明らかにヘンドリックスの影響だろう。クラプトンはヘンドリックスと同じような“エレクトリックヘア”(チリチリのアフロヘア)にしたり、東洋風のヒラヒラした衣装(キモノ)を着用したりしていた時期があり、ヘンドリックスから強い影響を受けていたことが知られている。

クラプトンは、デレク&ザ・ドミノスとしてのアルバム『いとしのレイラ』(1970年)で、ヘンドリックスの代表的なバラード「Little Wing」をカバー。その後もヘンドリックスのトリビュートアルバムに参加し「Stone Free」をカバーしている。


ギル・エヴァンスとの関係

ジャズ編曲家ギル・エヴァンスもヘンドリックスの才能を高く評価し、自分のオーケストラのソリストに起用することを考えていたと言われる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki