参照^ 例えばコーラン第九章第八十一節には『居残り組の者どもは、アッラーの使徒が(出征した)後に残されて大喜び。もともと、彼らとしては、己が財産と生命を擲ってアッラーの道に闘うのは嫌だと思っていた』の「闘う」の部分にジハードの動詞形の三人称複数活用形“yuj?hid?"が用いられている。
^ この論理の典拠としては、コーランの第二章第百九十三節にある『騒擾がすっかりなくなる時まで。宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条になる時まで、彼等(メッカの多神教徒)を相手に戦いぬけ。』という文言などが挙げられている
^ コーランの第9章第5節には『だが、(四ヶ月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。ひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待ち伏せよ。しかし、もし彼等が改悛し、礼拝の務めを果たし、喜捨も喜んで出すようなら、その時は遁がしてやるがよい。』という文言、また第9章29節に『アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え。』という文言があるように、当初多神教徒は死か改宗かを突きつけられた
^ コーラン第8章15節『信仰する者よ、あなたがたが不信者の進撃に会う時は、決してかれらに背を向けてはならない。』および16節、『その日かれらに背を向ける者は、作戦上または(味方の)軍に合流するための外、必ずアッラーの怒りを被り、その住まいは地獄である。何と悪い帰り所であることよ。』
^ ジハードにおける献身をたたえ、その忌避を戒めるコーランの章句は、第47章4節、『あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。凡そアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない。』、および第48章16節『あと居残った砂漠のアラブたちに言ってやるがいい。「今にあなたがたは、強大な勇武の民に対して(戦うために)召集されよう。あなたがたが戦い抜くのか、またはかれらが服従するかのいずれかである。だがこの命令に従えば、アッラーは見事な報奨をあなたがたに与えよう。だがもし以前背いたように背き去るならば、かれは痛ましい懲罰であなたがたを処罰されよう。』などもある
^ 前述の第二章第百九十三節に続く一文『しかしもし向こうが止めたなら、(汝等も)害意を捨てねばならぬぞ、悪心抜き難き者どもだけは別として。』が該当部分である。しかしイスラーム過激派はこれもイスラームの優越に屈服する限りに於いて和平を認めるというものだと解釈する傾向にある
^ 但し、純粋な形式論の話ではあるが一回の休戦協定は10年以上の効力を有さないとする法学者が多数であり、よって恒久的和平のためには適宜更新が必要である
^ ジル・ケペル 『ジハード−イスラーム主義の発展と衰退』p540