シンザンの血統 (ボワルセル系/Gainsborough4×4=12.5%)
父
*ヒンドスタン
Hindostan
1946 黒鹿毛Bois Roussel
1935VatoutPrince Chimay
Vasthi
Plucky LiegeSpearmint
Concertina
Sonibai
1939SolarioGainsborough
Sun Worship
UdaipurBlandford
Uganda
母
ハヤノボリ
1949 栗毛ハヤタケ
1939 鹿毛*セフトTetratema
Voleuse
飛竜*クラックマンナン
*オーフロラ(Yinkari)
第五バッカナムビューチー
1941 栗毛*トウルヌソルGainsborough
Soliste
バッカナムビューチー*シアンモア
第三ビューチフルドリーマー F.12
母ハヤノボリは競走馬として5勝をあげた。母の半妹には優駿牝馬優勝馬ジツホマレ、甥に皐月賞優勝馬カズヨシがいる。牝系(ファミリーライン)は1907年にイギリスから小岩井農場が高額で輸入したビューチフルドリーマー系(参照:小岩井農場の基礎輸入牝馬)に属する[86]。
シンザンの尻尾の付け根には白色の毛が混じっていたが、これは母の父の父にあたるセフトの遺伝といわれている[87]。また、調教師の武田は初めてシンザンを見た時に母の母の父にあたるトウルヌソルの特徴が強く出ていると感じた[88]。
兄にリンデン(5勝。京都4歳特別、中京4歳特別、4歳抽せん馬特別)、オンワードスタン(9勝。中山記念、アメリカジョッキークラブカップ、天皇賞3着、日経賞3着)、ケンスターツ(3勝)などがいる。兄に比べ弟妹はさっぱり走らず、チヨノキク(牝系子孫現存)が南関東で2勝をあげた程度でほか4頭は未勝利に終わった。
関連項目
マイシンザン(本馬の孫)
シンザン記念(本馬を記念した競走)
参考文献
大寺駿『黄金の馬シンザン』日経通信社、1982年 ISBN 4-8187-0055-X
吉永みち子『シンザン物語』大和出版、1995年 ISBN 4-8047-6044-X
大川慶次郎『大川慶次郎回想録 まっすぐ競馬道 杉綾の人生』 日本短波放送、1998年 ISBN 4931367291
山河拓也「名馬物語 シンザン」 『サラブレ』2003年11月号、p163-169、エンターブレイン
畠山直毅「消えた主戦騎手“天才”栗田勝、謎の失踪の裏ドラマ」『競馬名勝負列伝』p232-247、競馬名勝負愛好会(編)、洋泉社、2006年 ISBN 4862480063
『サラブレ』2007年9月号 エンターブレイン
雑誌『Gallop臨時増刊 20世紀の100名馬Vol.52 マイシンザン』産業経済新聞社、2001年
中央競馬 編「サラブレッド世界百名馬」中央競馬ピーアール・センター、1978年
「Number PLUS」1999年10月号 文藝春秋
脚注^ 「シンザン物語」p.212による。より古い「黄金の馬シンザン」p.300によると300万円。ちなみに当時東京優駿の優勝賞金は700万円であった。
^ 人為的に仔馬を母馬から引き離すこと
^ 小規模な松橋牧場で育つことを嫌った武田の意向による(「黄金の馬シンザン」p28)
^ 「黄金の馬シンザン」p35-39
^ 当時の関西の3歳チャンピオン決定戦
^ 武田はプリマドンナとオンワードセカンドを阪神3歳ステークスに出走させ、プリマドンナが優勝した。
^ 「シンザン物語」p63-65
^ 「シンザン物語」p56-57、「黄金の馬シンザン」p48
^ 武田が管理したクラシック二冠馬
^ 「シンザン物語」p58-61
^ 「シンザン物語」p76-77
^ 『大川慶次郎回想録 まっすぐ競馬道 杉綾の人生』p177
^ スプリングステークスは本来中山競馬場で行われるが、この年は中山競馬場の改修工事が行われていたため東京競馬場で行われた。後述の皐月賞も同様。
^ シンザンは関東に遠征した時には中村の厩舎で管理された。その際には武田は中村の自宅に宿泊した(「黄金の馬シンザン」p114)
^ 武田の決定の根拠は、京都の夏の気温に対応した状態にあるシンザンを北海道へ送り、さらに涼しくなった北海道に対応した状態で残暑の厳しい京都へ戻すことによるリスクを回避することにあった。
^ 厩舎が使った氷は一日60貫で、ひと夏に20万円の費用を要した。