引退後は種牡馬となったが当時は海外から輸入した種牡馬の活躍が著しく、内国産種牡馬の成績は低迷していた[49]。そのような状況に配慮してシンザンを繋用した谷川牧場[50]は、「儲ける事よりもシンザンの血統を後世に伝える事が重要」と考えシンザンの種付け料は20万円に設定した。
スガノホマレがレコードタイムを5回記録し、シルバーランドが日本で初めて芝2000mを2分を切るタイムで走破するなど 産駒がスピードを示すようになるとシンザンの種牡馬としての人気は次第に高まり、1978年の5位を最高に合計7回種牡馬ランキングのトップ10に入った。ライターの山河拓也は、シンザンの活躍によって内国産種牡馬が見直され、アローエクスプレスやトウショウボーイの活躍に繋がったとしている[51]。1980年代に入ると種牡馬成績は次第に下降し、1980年に内国産種牡馬1位の座をアローエクスプレスに奪われ[52]、1985年にはリーディングサイアートップ10から陥落した。
産駒からは八大競走などの大レースを勝つ馬がなかなか出なかったが、1981年にミナガワマンナが菊花賞を優勝した。この時点でシンザンは高齢であったためミナガワマンナは「シンザン最後の大物」とも呼ばれたが、さらにその後代表産駒となる二冠馬ミホシンザン(他に天皇賞(春)等を優勝)が登場した。
シンザンはミホシンザンが天皇賞(春)を制した1987年に、受精能力低下により種牡馬を引退した。最終的に産駒の重賞勝利数は49勝[53]に達した。この記録は戦後の内国産馬としては最多である[54]。また、1969年〜1992年には産駒24年連続勝利の記録を打ち立てた[55]。
種牡馬成績
産駒数/種付け数 805/1122頭
産駒勝利数625勝
産駒重賞勝利数 49勝(20頭)
産駒GI級競走勝利数 5勝(3頭、*安田記念含む)
勝利数はいずれも中央競馬のみの集計。
主な産駒代表産駒ミホシンザン
GI級競走優勝馬
ミホシンザン - 皐月賞、菊花賞、天皇賞(春)他JRAGII4勝 産駒にマイシンザン他
ミナガワマンナ - 菊花賞、アルゼンチン共和国杯連覇
ロイヤルシンザン - 安田記念
重賞優勝馬
スガノホマレ - 日本短波賞、京王杯オータムハンデキャップ、CBC賞、東京新聞杯、レコード勝ち5回。
グレートタイタン - 京都記念2回、阪神大賞典、金杯(西)、愛知杯
シルバーランド - マイラーズカップ、愛知杯2回、CBC賞、京阪杯、芝2000m2分の壁を初めて破る。
ハシコトブキ - 朝日チャレンジカップ、京都記念、愛知杯
キャプテンナムラ - 阪神大賞典、鳴尾記念、菊花賞2着、日経新春杯2着、毎日王冠2着
フジマドンナ - カブトヤマ記念、福島記念、中日新聞杯、中山牝馬ステークス連覇 40戦して10勝、堅実に走り着外は僅か6回、最終的に2億以上稼ぎ出して当時の賞金女王になった。
シングン 金鯱賞、朝日チャレンジカップ、シンザン記念2着、日経新春杯2着。中京記念2着 シンザン産駒初の重賞優勝馬、シンザン記念でも好走。その後供用2年目で死亡。
シンザンミサキ - 鳴尾記念、愛知杯、高松宮杯2着、天皇賞春3着 愛知杯ではスガノホマレを破った。
ウラカワチェリー - 北九州記念、阪神牝馬特別、函館記念2着、函館3歳ステークス2着
ゴールデンボート - 京王杯スプリングハンデキャップ
アサヒダイオー - カブトヤマ記念、天皇賞(秋)3着。アサヒテイオーの全兄、アサヒエンペラーの半兄。
アサヒテイオー - 日経賞。アサヒダイオーの全弟
ブルスイショー - カブトヤマ記念、クモハタ記念、アメリカジョッキークラブカップ2着、オールカマー2着
ヒヨシシカイナミ - 愛知杯
フジリンデン - 北九州記念
キョウワシンザン - 小倉3歳ステークス。最後の重賞優勝馬。
グレートエコー - 京都大障害(秋)、阪神障害ステークス(秋)。唯一の障害重賞勝ち馬。東京優駿にも出走した。
その他
ハシストーム - 平地障害で計12勝、 日経新春杯2着、中京記念2着 産駒にエントリーストーム。
ハシピゴラス - ハシストームの弟。馬術競技馬。競走馬としては中央準OP
スーパーシンザン - シンザン最後の産駒。福島テレビ杯、ストークステークス。1994年引退。
スピードシンザン - 優駿牝馬2着
シンザンの直系にあたる種牡馬はミホシンザンを始め10頭近くいた[56]が多くは成功できず、ハシコトブキとミホシンザンが重賞優勝馬を2頭ずつ出すに留まった。