ザ・ベストテン
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概要


内容

毎週生放送で独自の邦楽ランキング上位10曲をカウントダウン形式で発表し、ランキングされた曲を歌手が披露する歌番組である。


ランキングの決定方法

ランキングは、レコード売り上げ(オリコン、ミュージック・ラボ、ミュージック・リサーチの3社のランキングを使用)・有線放送リクエスト(全国有線音楽放送協会のデータを使用)、ラジオ放送のリクエストチャート(TBSラジオ系列)・番組に寄せられたはがきのリクエスト(番組冒頭で発表)を合わせたポイント制で決定された。

番組開始時の配点比率は「レコード2:有線1:ラジオリクエスト3:はがきリクエスト4」とはがきのポイントが高く、レコードや有線で20位以内に入らない曲がベストテンに入ることもあった。だが1979年2月に配点比率を「レコード3:有線1:ラジオ3:はがき3」に改め、この時はTBSから番組の中でなく週刊誌などを通じて周知された。配点比率はその後も見直され、1981年頃から「レコード45:有線10:ラジオ21.9:リクエスト23.1」になり、1986年からは「レコード60:有線10:ラジオ10:リクエスト20」となったが、配点見直しの公式通知はなかった。


ランキングの客観性

  この記事や節には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。Wikipedia:独自研究は載せないを確認の上、情報、解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してくださいテンプレート)。

ランキングは客観的なデータに基づくものとされていたが、実際には番組制作側の恣意的な操作があったと根強く言われている[要出典]。制作側によるランキングの恣意的操作に確証はないが、一方でランキングが本当に客観的であるという確証もない。

本番組でのランキングは歌手の人気度のランク付けにも少なからず影響を与えたため、番組制作側と歌手側(レコード会社や所属事務所を含む)との対立も生まれたとされ[要出典]、郷ひろみの出演拒否(1982年)の真の原因はそこにあると指摘する向きもある[要出典]。


番組構成、ならびにセット

ランキングは、当時世界各国の国際空港で出発・到着案内として用いられていた反転フラップ式案内表示機(通称:パタパタ)をヒントに考案された「ランキングボード」を使って発表された。

歌手が登場する際は、オーケストラの演奏(10?2位と1位では登場音色が多少異なる)をバックに「ミラーゲート」を通って登場。1位の歌手がスタジオに出演した際、くす玉割りや様々なプレゼントをスタッフが用意することもあった。

スタジオでの歌の演奏は、基本的にオーケストラによる生演奏だったが、末期はカラオケになることが多かった。セットは『ザ・ベストテン』ならではの独特の演出で、まれに意図がよく分からない時があり、長渕剛など、歌手によってはセットは不要という歌手もいた。

ランクインしたが都合でスタジオに来られない歌手は、生中継で歌を披露したが、そのために歌手や関係者が番組制作側の都合に振り回され、歌手が出演しているコンサートの進行に影響が出たり、駅などの公共交通機関に混乱が生じたりといった騒動も少なくなかった。テレビでの露出度が命である歌謡曲歌手にはそれを上回るメリットもあるが、コンサートに足を運んでくれるファンを重視するニューミュージック系歌手が出演拒否することにも理由があった。1980年代後半にはグループのメンバーの一部が別行動している際には、そのメンバーを他のメンバーがいる中継先の映像にビデオ合成するということも行われた。

ランキング外の1・2曲をピックアップして「今週のスポットライト」というコーナーで紹介した。11?20位の曲もVTRで紹介され、出演者が少ない時には30位や50位からの発表もあった。

番組の最後には、出演者全員で集合写真を撮影し、それをリクエストはがきが採用された視聴者にプレゼントするのが恒例だった。なお、番組終了時にこれらの集合写真を本にまとめ、国立国会図書館および各都道府県立の図書館に寄贈した。ネットした各放送局も所蔵しているが、開局記念イベント等以外は非公開となっている。


年間ベストテン

毎年末(番組が終了した1989年を除く)に「年間ベストテン」、1981年からは6月に「上半期年間ベストテン」(「上半期ベストテン」が意味としては正しいが、番組ではこのように表現していた)を発表し、1988年には「月間ベストテン」も放送。1978年から1980年までは、年間ランキングでは得点は発表されなかった。また、年間ランキングの回が3時間の「豪華版」となって「年間ベストテン」を発表したのは1982年からである。それ以前は通常放送と同じく1時間枠内でその週のベストテンの後で放送しており、1978年は1位のみ、1979年は3位と1位、1980年は3位・2位・1位、1981年は2位と1位がスタジオで歌われた。

1986年1月には、1985年の歌手別年間ランキングが発表された。テロップと字幕での発表でランキングボードは使われなかった。なお、歌手別ランキングが発表されたのはこの年だけだった。


歴代司会者

初代:黒柳徹子久米宏
1978年1月19日?1985年4月25日(第1回?第375回)

黒柳徹子・男性司会者輪番制(進行補佐として松宮一彦生島ヒロシ松下賢次
1985年5月2日?1985年9月26日(第376回?第397回)

2代目:黒柳徹子・小西博之
1985年10月3日?1986年9月25日(第398回?第448回)

3代目:黒柳徹子・松下賢次
1986年10月2日?1989年1月5日(第449回?第565回)

4代目:黒柳徹子・渡辺正行・柄沢晃弘
1989年1月12日?1989年9月28日(第566回?第603回)

初回放送の前週に放送された『ザ・ベストテン前夜祭』(1978年1月12日)が黒柳・久米コンビの司会スタート。正式の最終回(1989年10月5日)は4代目の黒柳・渡辺・柄沢トリオが主に司会を担当した。

なお、上記の放送回数はランキング紹介を行ったレギュラー放送回についての通算回数を表記しており、この前夜祭と正規最終回の回数は含まれていない(これらを含むと通算放送回数は605回)。また、初代男性司会者の久米については前番組に当たる『トップスターショー・歌ある限り』のサブ司会を担当しており、それを含めたTBS木曜21時枠での通算司会期間は計9年7ヶ月となる。


歴史


前夜祭

初回放送の前週(1978年1月12日)に『ザ・ベストテン前夜祭』が放送された。 1977年の年間ランキングが、レコード売り上げと有線放送のデータのみに基づいて発表された。

第1位:青春時代森田公一とトップギャラン


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki