コロンビア
■即会いH掲示板■
■18歳以上「入口」■

[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]


国家安全保障

ボゴタソ以降、1960年代から内戦が本格化し、現在までコロンビア内戦が継続している。

1980年代の和平によりM-19が離脱し、現在敵対する左翼ゲリラ組織はコロンビア革命軍 (FARC) と民族解放軍 (FLN) だけになっており、近年ではウリベ政権はコロンビア自警軍連合などの極右民兵の武装解除をアピールしている。ベネスエラのウーゴ・チャベス大統領がFARCに聖域を提供するなどの行為もあり、未だに予断を許さない状態である。ウリベ政権はアメリカ合衆国のコロンビア計画を履行し、同国の支援を受けて軍拡を行い、治安維持に全力をあげている。


経済キンディオのコーヒー農園1000コロンビア・ペソ紙幣ボゴタからシパキラまでを行く列車(2005年ナリーニョ県のラス・ラハス大聖堂

アンデス共同体の加盟国、メルコスールの準加盟国であり、南米共同体の加盟国でもある。

コロンビアの経済は、繰り返される内戦という政治の不安定さとは裏腹に、20世紀に入ってからはラテンアメリカ諸国の中でも最も安定した成長を続け、「ラテンアメリカの失われた10年」である1980年代にも他の南米諸国が苦境に喘ぐのとは対照的に、ハイパー・インフレやマイナス成長を記録したことはなかった。例を挙げると、国連ラテンアメリカ経済委員会の報告では1981年から1990年までのGNP総成長率は10年間で42.2%となり、一人当たり成長率でも16.2%となった。1999年には1932年以来はじめてのマイナス成長を記録したが、その後は再び順調な成長を続けている。しかし、このような安定成長と引き換えに、他の南米諸国のようなダイナミックな高成長を記録することもあまりないのが特徴である。

現在は首都ボゴタが最大の都市だが、元々はボゴタは内陸にあったのが災いしたため経済の中心地ではなく、20世紀後半にさしかかるまではアンティオキア地方の中心地メデジンや、1960年代に入ってから急速に成長を遂げたカウカ地方のカリなどがコロンビア経済を牽引していた。

最近では大規模な油田も発見されるなど産業は豊かであるが、貧富の差が激しく治安は悪い一方で厚い中間層も存在する。


農業

19世紀の終わりから熱帯の換金作物のプランテーションが導入され、特にコーヒーは20世紀を通して外貨の稼ぎ頭であり、現在も貢献は続いており、現在でもコーヒーの産出量は世界で二番目である。なお、コロンビアの可耕地面積は国土の3.3%程(2005年)である。

切り花(特にバラ)の輸出国でもあり、米国、欧州の他日本へも輸出されている。

またコカインなどの麻薬産業が問題となっており、コロンビア政府は取り締まりを強化しているが、政府の腐敗などの様々な問題によりこの問題が解決する様子は見えない。


鉱業

コロンビアは1991年憲法により、すべての地下資源を国家が所有している。2000年以前は地方の治安が悪かったために探鉱・油田開発が殆ど行われていなかったが、近年は治安の改善もあり、欧米の資源メジャーによる開発がされており、今後に期待が持てる。石炭、石油、天然ガスを産し、全輸出額に占める原油と石炭の割合は30%に達する。コロンビアの石炭産出量は西半球に限定すれば3位に達する。品位の高い瀝青炭の比率も高い。油田はベネズエラ国境に近いマグダレーナ川流域に分布する。最も重要な金属資源は世界シェア7位(5.1%)を占めるニッケル鉱(7.1万トン、2003年)である。そのほか、鉄、銅、鉛、金、白金、銀、マグネシウムを産する。金と白金の産出量は南米では2位、1位を占める。すべての金属鉱床はアンデス山脈に沿って点在する。このほか、リン鉱と塩も産出する。

エメラルドの産出量は世界市場の約80%を占める。1990年時点では300万カラットに達した。


観光

コロンビアの観光業は1940年代から開発され、現在も発展し続けている。主な観光地としてはボゴタ、カルタヘナ、サンタ・マルタ(ボリーバルの没した町)、メデジン、カリ、バランキージャ、サン・アンドレス諸島などがあり、それぞれ異なる嗜好の観光客をひきつけている。

観光協会はコロンビア内戦による治安悪化を理由にコロンビアへの旅行をやめるように警告しているにも関わらず、近年多くの旅行者がコロンビアに惹きつけられている。コロンビアには2006年150万人の観光客が入国し、これは前年比の50%増である。

地理や植生に多様で豊かであるため、近年エコ・ツーリズム産業が盛んである。

カリブ海岸のカルタヘナはビーチ・リゾートとして有名である。


国民北部アンデスの人口密度。赤い部分は特に人口が多い。コロンビアの人口増加グラフ。 2005年のFAOのものにより、人口は千人単位である。

コロンビアの住民は、国の歴史の多様性と同じように様々な人々によって構成され、ヨーロッパ系移民、インディヘナ、アフリカ系、中東系をはじめとするアジア系などが主な構成要素となっている。インディヘナの多くはメスティーソに統合されたが、現在もメスティーソとははっきり異なるインディヘナの集団は存在する。 ヨーロッパ系移民はやはりスペイン人が多かったが、それ以外にも第二次世界大戦から冷戦終結までの間にオランダ人ドイツ人、フランス人、スイス人ベルギー人、及び数は少なくなるが、ポーランド人、リトアニア人、及びイギリス人、クロアチア人などの移民もあった。例を挙げると、ボゴタ前市長のアンタナス・モクスは名前が示すようにリトアニア系の子孫である。 アフリカ系住人は16世紀から19世紀にかけて奴隷として移入された人々の子孫であり、大部分はカリブ海岸の熱帯低地に居住する。 アジア系移民はレバノン人、ヨルダン人、シリア人、中国人、日本人、韓国人などの入植があった。

人種構成はメスティーソが58%、ヨーロッパ系が20%、ムラートが14%、アフリカ系コロンビア人が4%、サンボ(アフリカ系とインディヘナの混血)が3%、インディヘナが1%である。

コロン来航以前のこの地は現在インディヘナと呼ばれている先住民が居住しており、インディヘナの数は約80万人と見積もられ、50以上の部族に別れている。彼らの多くはチブチャ系の言葉か、カリブ系の言葉を話す。アルウアコス族、ムイスカ族、クナ族などが現在も大きなコミュニティを築いている。

移民の多くはカリブ海沿岸のバランキージャに定着した。移民の出身国としては、レバノン、イタリア、ドイツ、アメリカ合衆国、中国、フランス、ポルトガル、そしてロマなどが挙げられる。カリブ海沿岸においてドイツ系と中国系の占める役割は大きい。南西部のカリを中心にカウカ地方には少数ながら日系人もいる。


人口

1950年代前半には推計で約1200万人だった人口は、1964年のセンサスでは約1748万2000人に、1974年の推計では約2395万人に、1983年の年央推計では約2752万人となり、現在で約4300万人の人口を抱え、ブラジルメキシコに次いでラテンアメリカで三番目に人口の多い国である。20世紀半ばに地方から都市への大きな人口移動があったが、次第に沈静化してきた。人口の都市化率は1938年に31%、1951年に57%、1990年に70%となっており、現在は77%である。


★制服でHなバイト★
1日5万円★日払い★

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:81 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki