地球上すべての生物種のうち5%が棲むと言われ、「環境保護先進国」として名高い。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超える。
詳細はコスタリカの国民を参照1961年-2003年までのコスタリカの人口グラフ(FAOによる)グレシアの金属の教会カルタゴの古い大聖堂
コスタリカ国民は自らをティコ Tico(男性)またはティカ Tica(女性)と呼ぶ。
コスタリカ国民は、他の中米諸国とは異なり白人の割合が多いとされ、人種構成は白人94%、黒人3%、インディヘナ1%、中国系(華人1%、その他1%)となっているとされている。独立後にイタリア人、ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人などの白人移民があった。
しかし、植民地時代のコスタリカは人口希薄地帯である以前に、そもそもヨーロッパ人の入植者の絶対数が少なく、一度としてインディヘナや黒人の総数を上回ったことはなかった。つまりコスタリカの白人人口の多さに関しては、生活様式や言語がスペイン化したメスティーソやムラートが、ある時期に自らを白人であると認識するようになったと考えるのが妥当である。
19世紀半ばに鉄道建設のために、砂糖黍から経済の転換を図ったジャマイカの黒人や、中国人が導入され、ジャマイカ黒人はカリブ海側のリモンに定住した。一方中国系(華僑)は台湾人、香港人をはじめとして現在もコスタリカ社会に流入し続け、都市での飲食店などにおける存在感は高い。しかし、コスタリカでの黄色人蔑視は強い。
インディヘナは居留地(保護区)が指定され、事実上の隔離政策が適用されているが、それでもコスタリカ社会に出てきている人も多い。インディヘナには1992年にようやく選挙権が付与された。
コスタリカは多くの難民を受け入れ、多くは隣国ニカラグアと、コロンビアからの難民である。特にニカラグアに関してはコスタリカ人口の10-15%を占めているとされている。近年はペルーからの難民が多い。また、1970年代から1980年代は軍政に苦しむチリやアルゼンチンからの難民も多かった。
独立時に65,000人ほどだった人口は、1892年時点でも240,000人ほどにすぎなかった。その後20世紀を通して順調に人口増が続き、1960年代には100万人を越え、1950年代以降の乳幼児死亡率の改善や、難民の流入などにより急速に人口が増加し、現在は約400万人以上となっている、
言語は、スペイン語が公用語である。コスタリカのスペイン語には標準コスタリカ方言とニコヤ方言の二つの方言があり、ニコヤ方言はニカラグアの方言とアクセントがとても似通っている。
19世紀にジャマイカから黒人が移民してきたカリブ海側には、ジャマイカ・クレオール語を話す人々もいる。
宗教は、カトリック教会が85%、プロテスタントが14%、その他が1%である。1949年憲法でカトリックが国教として保障された敬虔なカトリックの国で、未だにカトリック教会の政治力が強く、妊娠中絶の不可能や、家族制度の問題、性教育の拒否などコスタリカ社会に大きな影響を与えている。
アジアや中東からの移民によって持ち込まれた仏教(40,000人近い中国系が持ち込んだ)や、イスラーム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教なども信仰されている。
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)も1960年代から地道な拡大を続けており、中央アメリカに二つしかない教会の内の一つが、エレディア県のサン・アントニオ・デ・ベレンに存在する。
詳細はコスタリカの教育を参照
1~2年の就学前教育を終えた後、6年間の初等教育、3年間の前期中等教育があり、この9年間が無償義務教育となっている。その後、後期中等教育は技術科と学術科に分岐し、技術科は3年、学術科は2年で修了する。学術科を卒業すると大学への進学の道が開ける。コスタリカは現行の1948年憲法で教育予算に国民総生産の6%以上を充てることを義務付けており、教育費は無料である。
識字率はコスタリカの94%に対してアルゼンチンは96%、キューバは97%であり、内戦が続いたニカラグアやエル・サルバドル、グアテマラを除けば、周辺国とそれほど違いはない。
高等教育に関しては、最初の大学(コスタリカ大学)が設立されたのが1940年と遅かったため、歴史は浅いが、それでも現在までにコスタリカ工科大学(1971年)や、ナシオナル大学(1973年)、国立遠隔大学(1977年)などの多くの大学が設立されている。
現在のところ目下の問題は、教室の不足、教員への給料の遅配、教育とカトリック教会の関係など。
コスタリカ市民は命や平和や人権や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている、という意見が存在する。[要出典]
ただし、コスタリカは第二次世界大戦後幾度かの戦争に巻き込まれ、1965年のドミニカ共和国の内戦では主体的に紛争に警備隊を派遣したこともあった。またコスタリカのジニ係数は国際連合の調査で49.9と決して低くはない。黒人や先住民、アジア系市民、ニカラグア人難民に対しての偏見や差別は未だに根強いとされ、保護区への隔離政策が取られたために1990年代まで先住民に公民権は存在しなかった。また、国家とカトリック教会の結びつきの強さや、そこから来る宗教的倫理の強さは、間接的に 私生児の増加などの諸問題に影響している。これらはコスタリカにとって解決されるべき諸課題であるとの意見もある。
コスタリカの民主主義における取り組みや、紛争における調停などは、ラテンアメリカの人々を通して世界中に紹介されたため、今では発展途上国における成功例としてのコスタリカのあり方は世界中に知られるようになり、コスタリカに学べという運動は第三世界のみならず、先進国にも広まっている。