13世紀初頭に、町の人々と対立してオックスフォードから逃れてきた学者たちが、この町に住み着き、研究・教育活動を始めたのを起源としている(大学としての公式な創立年度は1209年)。彼らの活動はやがて、イングランド国王の保護なども受けて発展をはじめ、現存する最古のカレッジ、Peterhouse(ピーターハウス)は1284年の創立。アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィン、ジョン・メイナード・ケインズ等、近世以降の人類史において、社会の変革に大きく貢献した数々の著名人を輩出してきた。
ケンブリッジ大学は、31のカレッジから成るカレッジ制を採る大学である。
カレッジは、「学寮」とも訳され、全ての学生は、学部生・大学院生を問わず、どこか必ず1つのカレッジに所属することになっている。歴史的に見れば、カレッジは、教師と学生が寝食を共にし、そこで共に学ぶという修道院の形態に由来している。19世紀の半ばまで、教員は英国国教会徒であること、および生涯独身であることなどが義務付けられていたが、19世紀を通じての大学改革によりこうした義務は緩和されていった。現在では、国教会に限らずカトリックのカレッジも存在している。
かつてはそれぞれのカレッジに強い学問分野や特徴があり、現在では、その名残が一部に見られるものの、基本的にどのカレッジも様々な分野の勉強をする学生や研究者が集まっている。そのため、分野を越えた人間関係を作り、学際的な研究や知的なフォーラムの生まれる可能性が高いこと、また、学内のカレッジ間で学究やスポーツ・文化活動などについて自発的な切磋琢磨を誘発しうることなどの点で、強みを持ったシステムとなっている。その一方、現代の大学としては、カレッジ間の財政格差が著しいこと、大学事務が煩雑で非効率になっていることなど、種々の弊害も指摘されることがある。
ケンブリッジ大学には、もともと、他の大学とは異なったしきたりやルールが多数存在していた。例えば、かつては、大学の自治警察に町内の警察権が与えられていたり、大学にワインや食料を独占的に販売する特権が与えられていたり、学生がカレッジの外に出る際にはガウンを着用する義務があったりした。それらは数百年にわたる大学改革によって、徐々に姿を消してきたが、例えば、授業期間中は大学教会であるセント・メアリー教会から2マイル以内に居住しなければならないこと、カレッジごとに「フォーマル・ホール (formal hall)」と呼ばれる晩餐会が設けられていること、所属するカレッジのフォーマル・ホールにおいてはガウンを着用することなど、中世由来の慣習の一部は現在でも通用している。
学部生の入学者選抜は、カレッジ毎に行われ、一部の学科を除いて、Aレベル試験の成績の他に、面接試験で判定される。学部生の教育は、伝統的には、カレッジで教員と学生の1対1で行われていた。こうしたカレッジの責任で行われる指導を「チュートリアル (tutorial)」と呼び、チュートリアルを施す教員を「チューター(tutor)」と呼ぶ。現在では、このチューターは形骸化しており、単に生活面で学生の面倒を見る教員を指すに過ぎなくなっている(ほとんど全ての学部生が親元を離れてカレッジ内で生活するため)。但し、「シニア・チューター(senior tutor)」と呼ばれる、各カレッジにおけるチューターのリーダーは、現在でも、それぞれのカレッジにおける教育の最高責任者と見なされており、いわば「教頭」格の存在である。
現在の授業は、カレッジではなく、学部・学科が中心となって行われている。授業には2つの形態があり、一つは、学部・学科の提供するもので多くの学生が集まって聴講する講義形式の授業、もう一つは、カレッジの責任で行われる「スーパービジョン(supervision)」と呼ばれる個人または少人数形式の授業である。各カレッジには科目毎に学習指導教員(Director of study)がおり、学習指導教員は学部・学科から推薦された教員・研究員・大学院博士課程の学生の中から、学生ひとりひとりに「スーパーバイザー(supervisor)」と呼ばれる指導教員を任命する。スーパービジョンでは、文科系の場合、与えられた課題に対して小論文(essay)を事前に提出し、その小論文について指導教官が添削したものを学生と議論しながら指導していくという形式を取ることが多い。
学部生の教育は、このように、カレッジが大きな役割を担っているのに対して、大学院生の場合には研究科(学部・学科)が主にその責任を担っている。例えば、大学院の入学者を選抜する権限は第一義的には専門の研究科にあり、研究科からの入学許可を得た後に、初めてどのカレッジに配属されるかが決定する仕組みとなっている。大学院においても、修士課程や博士課程の初年度には講義が行われる場合が多いが、その勉学・研究活動の中心は指導教官とのスーパービジョンにある。学部生の場合とは異なり、大学院のスーパービジョンは現在でも一対一の原則がほぼ貫かれている。また、スーパーバイザーの選択は、カレッジの学習指導教員でなく、それぞれの研究科の責任で行われる。したがって、大学院生にとってカレッジは、寝食や福祉・社交の場の提供がその存在意義となっている。
ケンブリッジ大学は、1学年を3つの学期に分けている。学則上、10月1日〜12月19日をMichaelmas Term、1月5日〜3月25日をLent Term、4月10日〜6月18日をEaster Termと呼ばれている。このうち、授業が行われる「フル・ターム(full term)」と呼ばれる期間は、各学期8週間である。学部と一部の大学院のコースの試験は、5月に一斉に行われる。この学部の試験と数学の修士の試験は、「トライポス(tripos)」と呼ばれる。日の長くなる6月には各カレッジ毎にメイ・ボール(May Ball)あるいはジューン・イベント (June Event)等と呼ばれる園遊会のシーズンを迎える。大学院の場合は、6〜7月に学年の終了するコースもある。
世界で最も有名な大学の1つということもあり、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカ各国からの留学生も多い。2005年現在、EU外からの学生は3,000人を超え、日本からの留学生も毎年十数人〜数十人規模となっている。学生としての留学のみならず、研究者の交流も大変に盛んで、日本からの在外訪問研究者も後を絶たない。
オックスフォード大学とは強いライバル関係にあり、両大学合わせて、"Oxbridge"(オックスブリッジ)と呼ぶことも多い。両校の間では、スポーツなど各種の親善試合が頻繁に行われる。中でもとりわけ有名なのは、毎年春にロンドンのテムズ川で行われるボートレース(レガッタ)である。両大学は、互いに「あちら(the other place, another universityなど)」と呼び合うだけでなく、パントと呼ばれる舟遊びでも逆方向から漕ぐ徹底振りである。市内中心部を諸カレッジの壁面が覆うことよりオックスフォード大学が「大学の中に町がある」と言われるのに対し、市内中心部が明るく伸びやかな雰囲気のあるケンブリッジ大学はよく「町の中に大学がある」と称される[1]。
日本人卒業生の親睦団体として、政財界に広く有力メンバーを抱える、The Cambridge and Oxford Society(前身:The Cambridge Society、1903年設立)が存在する。現会長は Sir Graham Fry 駐日英国大使。
なお、英語の「キャンパス (campus)」の語を大学の敷地の意味で使用したのは、アメリカのプリンストン大学が初めてであり、それ以前に設立されたケンブリッジ大学においては、「ケンブリッジ大学のキャンパス云々」といった表現が用いられることはない。代わりに、大学の校地を指す用語としては、「サイト(site)」という語が用いられることが多い。
また、時に「ケンブリッジ大学という名前の大学はない」「ケンブリッジ大学とは複数のカレッジの集合体に過ぎない」と実しやかに言われることがあるが、これらの描写は適切ではない。例えば、大学院生の入学の権限や学部生・大学院生への学位授与の権限は、個々のカレッジではなく大学(university)に属している。また、大学における研究活動の中心を担っているのは各学部学科・研究科であり、これはカレッジではなく大学の下位機関である。いまだカレッジ制を維持しているとは言え、現在のケンブリッジ大学はロンドン大学やパリ大学のようなカレッジの集合体ではない。