「グラビアアイドル(以下特別な場合を除きグラドルに略記)」の歴史は、1970年代半ばより活躍したアグネス・ラムに始まるといえる。
この時代の女性を扱ったグラビア掲載誌は1964年創刊の『平凡パンチ』(マガジンハウス刊)、1966年創刊の『週刊プレイボーイ』(集英社刊)などがあり、その誌面を飾っていたのは当時の女性アイドルと専任のヌードモデル達であった。女性アイドルは、そのほぼすべてがテレビ出演やコンサートでの歌手活動をメインとしていたことで「アイドル歌手」とも呼ばれ、彼女たちのグラビアにおける水着披露は、歌手としての人気を獲得するプロモーションの一環に過ぎず、「あくまで本業は歌手」という括りであった。
1974年に小学館からA4大判のグラビア雑誌『GORO』が創刊される。それまでの雑誌グラビアがどちらかといえば読み物記事の添え物といったような扱いだったのに対し、『GORO』は表紙と巻頭グラビアを写真家の篠山紀信が担当。無名女性モデルのヌードからアイドル歌手、新進の若手女優を等価に扱った『激写』という名グラビアコーナーを生み出し、セクシーさや何気ない普段着のエロスを強調したグラビアを発表。これが世に受けてグラビア写真により大きな比重を置いた雑誌として成人男性読者を中心に大きな反響を呼ぶ。そんなグラビア誌という土壌が出来つつあった1975年に初代クラリオンガールとして芸能界デビューしたのがアグネス・ラムである。彼女はその時代性ゆえに歌手デビューも果たしているが、あくまで雑誌グラビアをメインに活動する点で従来のアイドル歌手とは明らかに趣が異なっていたことからグラビアアイドルの始祖と呼べる存在であった。その人気は大磯ロングビーチイメージガールを初代から3期連続で務めるほど高く、今日、雑誌紙面において特にグラビアが注目されるようになった背景には彼女の功績が非常に大きかったといえる。
またその翌年にスタートした『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』で優勝した榊原郁恵が歌手デビューするのと同時に豊満なバストを持つ健康的なビキニ姿でグラビアでも大きな人気を獲得している。特に歌曲『夏のお嬢さん』を発表した時期の榊原は、明るくハツラツとしたイメージと相まってグラビアをより大衆的に身近なものにしたといえるだろう。
1979年3月には現存するグラビアアイドル専門誌としては最古になる『BOMB』が学研より創刊。当時の紙面はアイドル関係とは無縁であったが、翌年以降に松田聖子らアイドル歌手を表紙やメインの特集記事として起用するようになって発行部数を飛躍的に伸ばし、やがてグラビアアイドル専門誌へと移行した。
1980年に入り、同年1月に週刊朝日の表紙モデルでデビューした宮崎美子が、同年3月に放送された一眼レフカメラのCMで私服からビキニに着替えるシーンとその軽快なCMソングで大きな反響を呼び、グラビアでも同様の活躍をみせた。さらに回を重ねた『ホリプロタレントスカウトキャラバン』も1981年に堀ちえみ、翌年にはセクシーでワイルドなイメージを持つ大沢逸美を輩出し、グラビアに華やかさを添えている。
1982年に講談社が少年漫画誌の企画としてアイドルグラビアの読者投票コンテスト『ミスマガジン』を創設。写真家の野村誠一が企画段階から参賀したことでグラビア写真そのものの質も高く、第1回の受賞者・伊藤麻衣子(現:いとうまい子)が好評を得た事から年1回の定期開催が決定。以降アイドル歌手以外に雑誌をベースに活躍するアイドルというものが定着し始める。その後も1984年第3回開催グランプリの斎藤由貴、同準グランプリの田中美奈子、第4回開催グランプリの八木小織(現:八木さおり)、1986年第5回開催グランプリの高岡早紀、また受賞者以外からも「マガジンメイト」と称して森尾由美、南野陽子、小沢なつきという好素材が続々と現れた。彼女たちのグラビアは、総じて水着を着用しながらも新人アイドルの初々しくさわやかで清純なイメージを損なわないものであり、それまでの水着グラビアが内包していた肉感的なエロティックとは正反対のものであった。はたしてこの戦略は世の男性に大いに受け入れられ、これ以降のアイドルグラビアの一基本形となっていった。また彼女たちはグラビアと平行してそれぞれ歌手や女優としての活動もスタートさせ、おおむね成功していった。
またミスマガジンの成功を受ける形で、同年に創刊された『スコラ』(当時の株式会社スコラ刊)他、彼女たちを誌面で大きく取り上げたグラビア雑誌もこの頃続々と創刊されている。この流れは1990年に「ミスマガジン」が終了(6年後に復活)するまで続き、今日のグラビアアイドルは、主に1980年代半ばにその根幹が形成されたといっても過言ではない。なお野村誠一は『恋写』のシリーズタイトルで数多くの雑誌グラビアや写真集において新人グラドルを多数世に送り出し、篠山紀信、山岸伸等と共に、グラビアの地位向上に大きな影響を与えたカメラマンの一人として大きな足跡を残した。
しかし1980年歌手デビューの松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、岩崎良美、浜田朱里、甲斐智枝美、三原順子、1982年歌手デビューの中森明菜、石川秀美、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、松本伊代など(俗に『花の82年組』と呼ばれた)、1980年代前半当時の芸能界は山口百恵引退後の第2期女性アイドル歌手ブームが起きていた時期であり、世間的にも「女性アイドルがグラビアに載っている」という捉え方でしかなかった。またグラビアもどちらかといえばアイドル歌手がグラビアで水着を披露する割合がまだ多かった。
1984年、黒沢プロモーションから堀江しのぶがデビューする。堀江は後に巨乳アイドルブームの立役者となる野田義治(現:サンズエンタテインメント社長)の秘蔵っ子であり、後に自ら「堀江を売り出すためにイエローキャブをつくった」と公言した程に惚れ込んだ存在だった。