正式名称はキルギス語では、Кыргыз Республикасы(Kyrgyz Respublikasy; クルグズ・レスプブリカス)、ロシア語では、Кыргызская Республика(Kyrgyzskaia Respublika; クルグススカヤ・レスプーブリカ)。通称は、Кыргызстан(Kyrgyzstan; クルグススタン)。
1991年の独立時にキルギス語の国名を Кыргызстан Республикасы(Kyrgyzstan Respublikasy; クルグズスタン・レスプブリカス)としたが、1993年に憲法を改正して正式国名を現行の Кыргыз Республикасы に改めた。ただし、国名変更以降も Кыргызстан の呼称が公式の通称として認められている。
公式の英語表記は、Kyrgyz Republic。通称、Kyrgyzstan。
日本語の表記は、キルギス共和国。通称、キルギス。
クルグズ(キルギス)の語源は不明だが、「クル」は「草原」、「グズ」は「走り抜ける」を意味するという解釈がなされることもある。
日本語名のキルギスは、ソ連から独立する以前のこの国を、主要民族であるКыргыз (Kyrgyz クルグズ) のロシア語表記 Киргиз(Kirgiz) および英語表記 Kirgiz に基づいて、キルギス・ソビエト社会主義共和国と呼んでいたことに由来する。
独立時に、キルギスのロシア語表記・英語表記は、キルギス語の自称に基づいた Кыргыз・Kyrgyz に改められたが、日本語ではそのままキルギスと呼びつづけ、正式国名の日本語名はもっぱらキルギスタン共和国と表記された。その後のキルギス共和国への国名変更によって、現在ではキルギスが通称として通用されている。
なお、中央アジア研究者を中心に、日本語でもキルギス語・ロシア語・英語による表記である Кыргыз・Kyrgyz, Кыргызстан・Kyrgyzstan に厳密に従い、クルグズ、クルグズスタンと発音・表記すべきであるという主張が行われているが、一般的となってはいないため、本項では国名には原則としてキルギスを用いる。
歴史
古代 - キルギス人の祖先は、シベリアを南北に流れるエニセイ川上流に定住していたと考えられている
1世紀ごろ - 匈奴の支配下に入る。
6世紀 - 突厥の支配下に入る。
7世紀 - 唐の支配下に入る。
8世紀 - 遊牧ウイグル帝国の支配下に入る。
9世紀 - ウイグル帝国を滅ぼし、キルギス帝国を立てる。
13世紀 - モンゴル帝国の支配下に入る。
16世紀 - キルギス民族が現在のキルギス共和国の領域に移住。
1863年 - 北キルギジアがロシア帝国に併合される。
1922年 - ソビエト連邦が成立。
1910年代〜1920年代 - 反ソ運動が活発化するもののソビエトの支配下に入り、トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の一地域となる。
1924年 - 中央アジアに位置する共和国の国境が整理され、ソビエト連邦内のカラキルギス自治州となる。
1925年 - キルギス自治州に改称。
1926年 - キルギス自治共和国に改称。
1936年 - ソビエト連邦を構成するキルギス共和国となる。
1991年8月31日 - ソビエト連邦のクーデターにより独立を果たす。
1991年12月21日、独立国家共同体 (CIS) に参加。
1992年3月 - 国際連合に加盟。
1992年5月 - 独自通貨であるソムを導入、国際通貨基金 (IMF) に加盟、独立国家共同体 (CIS) の集団安全保障条約に調印。
1993年 - 新憲法下で現国名に改称。
2003年 - 憲法改正の国民投票実施。これにより憲法を改正し二院制から一院制に移行することが決定。
2005年3月 - チューリップ革命。議会選挙の不正疑惑をきっかけに、南部で強権的なアカエフ大統領に対する野党側の反政府運動が激化。反政府運動は首都のビシュケクまで拡大し、野党勢力が大統領府を占拠。アカエフ大統領が逃亡し政権が崩壊した後、野党勢力は暫定政権を樹立したと報じられる。
2005年4月4日 - アカエフ大統領、正式に辞任。
詳細はキルギスの政治を参照
議会(ジョゴルク・ケネシ)は一院制、75議席。2005年に新憲法が発布される以前、1994年10月から2005年1月までは二院制であり、上院に相当する立法議会(定数60議席)と下院に相当する国民代表議会(45議席)に分かれていた。共和制であり、国民投票により大統領を選ぶ。大統領は議会の承認に基づき首相を任命する。大統領は議会の承認があれば閣僚を任免できる。大統領が不在の場合は議会の議長が代行する。政党の活動は自由であり、キルギスタン民主運動、キルギスタン共産主義者党、農民党など約40の政党が存在する。
2005年2月および3月の総選挙の腐敗が欧州安全保障会議により指摘されたことを直接のきっかけとして、2005年3月24日にアカエフ大統領の辞任を求める大規模な抗議行動が行われた。政権は崩壊し、大統領が逃亡した後、議会の議長が代行を務める暫定政権が樹立された(チューリップ革命)。
2005年7月10日に行われた大統領選挙で、「国民のために働く質の高い政府をつくる」と訴えたクルマンベク・バキエフが大統領に当選した。民主化を目指す人物が大統領に就任したことで、中央アジアの他の長期独裁政権にも影響を与える可能性もある。
国土全体の40%が標高3000mを超える山国。国土は東西に長く、中華人民共和国との国境には天山山脈が延びる。南に位置するタジキスタンに向かってパミール高原が広がる。
国土の中央など東西に山脈が走り、国土を数多くの峡谷に分断している。最高峰は、中国国境にそびえるポベティ山(Pobeda または Jengish もしくは 勝利峰、7439m)、ついでハン・テングリ(Khan-T?ngri または Kan-Too、6995m)だ。4000m級の峰は珍しくない。
主な河川は、シルダリア川支流のナルイン川。主な湖は国内北東部に位置するイシク湖 (Isik-K?l)。東西180km、南北60km、周囲長700kmに及ぶ。湖面の標高は1600m。イシク湖とナルイン川は水系が異なる。
隣国のカザフスタンや中華人民共和国とは異なり、国内に砂漠は存在せず、この地方の中では気候に恵まれている。