以下に、ニカイア・コンスタンティノポリス信条によるキリスト教の基本教義を示す。
神は三位一体である。
父は天地の創造主である。
子なる神イエス・キリストは万物に先立って生まれた父の独り子である。したがって被造物ではない(アリウス派の否定)。また子は父とともに天地を創造した。
キリストの聖母マリアからの処女生誕。地上におけるキリストは肉体をもった人間であり、幻ではない(グノーシス主義や仮現説の否定)。これはわたしたち人類を救うためであった。のち、キリストの人性についての解釈の違いから東方諸教会が生まれた。
キリストは罪人としてはずかしめられ、十字架上で刑死したが、三日目に復活した。昇天し、栄光の座である「父の右に座している」。キリストは自らの死によって死を克服し、人類をもまた死から解く正当な権能を得たと信じられる。
キリストは再臨し、死者と生者すべてを審判し、その後永遠に支配する。
聖霊も神(=人格をもった存在)である。聖霊はイエスの地上での誕生に関係し、また旧約時代には預言者を通じてその意思を伝えた。聖霊もまた被造物ではない。なお聖霊は父から生じたか、それとも父と子両者から生じたかは後世議論の的となり、カトリック教会と正教会の分裂の契機となった(フィリオクェ問題)。
教会の信仰。新約聖書では教会を、イエスの意思によってたてられた地上におけるイエスの象徴的身体であり、聖霊がその基盤を与えたとする。そのような理想的教会は、時間と空間を超えた統一的な存在であり(一性)、神によって聖とされ(聖性)、万人が参加することができ(普遍性)、イエスの直弟子である使徒たちにつらなるものである(使徒性ないし使徒継承性)と信じる。これを実現することが信者の務めである。キリスト教信仰は、他者との歴史的また同時代的共同(交わり)の中にのみ成り立つもので、孤立した個人によって担われるものではない。なお使徒性ないし使徒継承性については、西方教会では意見の相違がある。
洗礼(バプテスマ)による罪の赦し。神すなわち「父と子と聖霊」の名において教会においてなされる洗礼は、時代や場所や執行者に左右されず、ひとつのものであり、それまでに洗礼を受けるものが犯した罪を赦す。洗礼を受けることは信者となって教会に入ることであり、またキリストの死による贖いを信じうけ認めることでもある。ここから、罪を赦された後=入信後は、信者はその赦しに応えて再び罪を重ねないように努力するべきであると信じられる。
死者の復活と来世の生命。上述のようにキリストの再臨において、すべての死者は審判を受けるべく復活させられる。信じるものには来世の生命が与えられる。伝統的にキリスト教では、この来世を、永遠、つまり時間的な持続をもたない永遠的現在と解する。
またこれに加えキリストの死(ないし犠牲)を記憶することも信者の重要な義務である。これは礼拝においてパンとぶどう酒を用いてなされる。プロテスタント以前に成立した教会では、パンとぶどう酒が祈りによりキリストの体(聖体)と血に変化すると信じる。カトリックでいうミサ、正教会でいう聖体礼儀はこの記憶を行うための礼拝である。教義を異にし聖体の概念を否定するプロテスタントでも、類似の儀式を行う。これを聖餐という。キリスト教最大の祭である復活祭は、この聖餐をキリストが復活したと信じられる日に行うもので、毎年春に行われる。
教義には教派ごとに若干の変異がみられる。ローマ・カトリック、聖公会、プロテスタントなどの西方教会は、聖霊を「父と子両者から発し」とし、東方の「父から」のみ発するとする立場に対立する。またプロテスタントとローマ・カトリック他の伝統的教会では教会についての教義に差があり、使徒の精神を共有することをもって使徒性と解するプロテスタントに対し、カトリック他では聖職者が先任者から任命されることに神聖な意義を認め、その系譜が使徒にまでさかのぼること(使徒継承性)を教会の正統性の上で重視する。また聖餐論においても、カトリックや正教会など伝統的教会とプロテスタント諸派の間には大きな意見の差がある。詳しくはそれぞれの教派の項を参照されたい。
上記の多数派と異なる教義を有し、かつキリスト教を自認する教派(セクト)は、多数派から「異端」と呼ばれることもある(自称することはない)。
「神概念を多神論的に解釈する」、「キリストの人性のみか逆に神性のみしか認めない」、「キリストの十字架(贖罪死)と復活を認めない」、「聖霊を人格的存在ではなく神の活動力とする」、「キリストを被造物とする」などの特徴がある。
聖霊を神の活動力とし、キリストを被造物とする理由からエホバの証人が、三位一体を否定し聖書以外に聖典を持つ理由から末日聖徒イエス・キリスト教会(蔑称モルモン教)がこれに該当し、多くの正統キリスト教から異端とされている。
歴史的には、異端と正統の違いは、視点の違いが含まれていた点にも留意されたい。
モルモン教については末日聖徒イエス・キリスト教会を参照
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教(イスラーム)は類縁関係を強調されることがある。唯一神信仰を持ち、聖典の一部を共有しているからである。
キリスト教はユダヤ教の一宗派として誕生している。『福音書』や『使徒言行録』に描かれているとおり、ナザレのイエス自身もその弟子達も皆がユダヤ人でユダヤ教徒であり、エルサレム神殿で礼拝を行い、その宣教活動も主にユダヤ人を対象としたものだった。当時のユダヤ教には多くの立場が存在し、神殿祭儀を中心にしていたサドカイ派、禁欲主義のエッセネ派、在俗の律法主義を担ったパリサイ派などが活動しており[12]、イエスの信奉者達の集団もそうした一宗派と見なされた。