信者は、古代教会に直接連なる教会では、平信徒と聖職者に分かれる。聖職者は、輔祭(助祭)・司祭・主教(司教)の三階級に大別される。大司教、枢機卿、教皇等の区別は、教会の組織的発展の結果、教会行政的必要性から、主教職が細分されたものである。一方、宗教改革以降成立したプロテスタント諸教会には、聖職者を設けず、信徒のなかから教職として牧師をおくものが多い。教職の他に教会政治(管理)に長老、監督といった役職を置く事もある。
伝統的な教会においては、女性は聖職者になることができない[36]が、プロテスタントでは女性教職は珍しくない[37]。現代では教派によらず、聖職・教職に就くには神学校等で数年の専門的訓練を受けるのが一般的である。
一部の教派では神に生涯を捧げる信者がいる。これを修道者という。修道者は必ずしも聖職者ではなく、多くは平信徒である。修道者は独身でなければならない。修道生活は3世紀ごろ、他宗教の先行例を模倣しつつエジプトで始まったと考えられている。元来は砂漠で一人行われることが多かったが、すでに古代に集団生活をする例が知られており、中世以降、修道院で行われることが普通である。カトリックにおいては、修道会という独自の組織があり、ローマ教皇に直属する。現代のカトリックでは、修道士・修道女はなんらかの修道会に所属している。どの教派においても、正式に修道者となるためには、数年の準備期間があり、十分な準備が出来たもののみが修道生活に入る。準備段階、またまれに修道者となった後で、世俗の生活に戻るものもある。
一般的な教派では、信者はみなどこか特定の教会に所属している。これを教会員制という。欧米では洗礼記録により、必要に応じて信者であることの証明(洗礼証明書)を受けることが出来る。日本の教会では教会籍という制度で、洗礼による教会員の新規入会、転会、死去などを記録、管理する例が多い[38]。
教会員の多くは、居住地近隣の教会に所属するが、自宅からもっとも近くの教会に属す義務があるわけではない。教会の規模はまちまちであり、日本では、都市部の巨大教会では、1万人を超える信者が所属するところもあり、地方の小教会では信者が10人前後の場合もある。
複数の教会を持つ教派では、管轄範囲を地理的区分によって分けることが多い。これを教区という。カトリック・正教会・聖公会など監督制教会の場合、教区の中心となるのは、主教(司教)座聖堂である。教区にはいくつかの教会が所属する。一部教派では、教区はさらに教会を単位とする小教区に細分される。また、いくつかの教区をさらに統括する区分を設置する場合もある。複数の教会からなる教会(教派)に対し、ひとつの教会だけで一教派をなすものを単立教会という。単立教会は原理的にプロテスタントである。教義の近い単立教会が連合した協力組織も存在する。
信徒が自分の籍を置いていない教会の礼拝に参加することは、同じ教派の教会でなくても、まったく問題はない。また転居などに伴い、同一教派の教会から他の教会に移籍すること(転会)も必要に応じて行われる。これに対して、所属教派自体を変えることは、場合によっては宗教を変える(改宗)に等しいインパクトを持って受け取られる。カトリックでは自教派に改宗することを「帰一」、正教では「帰正」という。プロテスタント教会では多くは単に転会という。洗礼は大抵の教会間で他の教会のものも有効と認めるが、他の秘跡については認めないことが多い。聖餐の共有は聖餐理解が教派ごとに異なることを反映して複雑であり、本項では詳述しない。
キリスト教徒も参照
本項ではキリスト教徒の生活について解説する[39]。 キリスト教の信者をキリスト教徒またはクリスチャン(ハリスティアニン)という。『使徒行伝』によると、この呼称は1世紀半ばにアンティオキアで初めて用いられた。原義はキリスト支持者というほどの意味である[40]。日本ではかつて「キリシタン」と呼ばれた[41]。
多様化する現代のキリスト教世界において、キリスト教信者の一般的な生活を描くことは、それが細部に及べば及ぶほど、困難である。以下の記述は最大公約数を述べたものであって、これに当てはまらないキリスト教徒も一定数いる。
クリスチャンの範囲については、伝統的には洗礼を受けたもののみを信者とみなしているが、最近では特に自由主義神学といわれるキリスト教徒のなかに、(少数ではあるが)キリストを信じているものは洗礼の有無によらずクリスチャンであると主張するものもいる[42]。またプロテスタントのなかには洗礼を行わない教派もある。
将来的に洗礼を受けることを前提に、教会と交わる者を求道者(きゅうどうしゃ、カトリックおよびプロテスタントの用語)、啓蒙者(正教会の用語) などという。洗礼を受けるための条件やその式次第などは、教派によって異なる。詳しくは、洗礼の項を参照。
信者が行う祈祷行為のうち、司祭や牧師らにより執行される公のものを公祈祷・典礼・奉神礼等という。信者でないものも列席することができるが、聖餐には与ることが出来ないのが一般的である。ほとんどの教派では定期的な公の礼拝を行う。公の礼拝は形式があらかじめ定められていることが一般的である。典型的な形を示すと、祈祷・聖書の朗読・聖体ないし聖餐にかかわる儀式がなされ、また司祭や牧師らによる説教が行われる。ここでの祈祷はしばしば歌唱を伴った聖歌や賛美歌のかたちで行われる。席上、信者からの献金が集められることが普通であるが、献金は義務ではない。聖餐のあと、短い祈りがあり、終了が告げられて礼拝が終わる。礼拝全体の時間は、教派によって異なるが、1時間から2時間ほどである。ほとんどの教派は日曜日を重視し、これを主日と呼んで共同の礼拝を行うが、少数ながら土曜日を公の礼拝の日とする教派も存在する。詳しくは、祈祷・典礼・奉神礼の項を参照。
信者となったものは、それぞれの教派の聖餐に与ることができる。パンとぶどう酒がキリストのまことの肉と血になるという聖体の教義をもつ教派では、これを、ミサ、聖体礼儀と呼ぶ。他教派の類似の儀式に参加を許されるかどうか、また自教派が特定他教派の類似の儀式に参加を許すかどうかは、それぞれの教派によって考え方を異にする。またプロテスタントの教会のなかには、洗礼を受けていないものにも聖餐への参加を許すものがある。
最初期の教会では、ミサ(聖体礼儀)などの礼拝行為への参加、定期的な断食などの義務があった。これと歴史的に連なる伝統的な諸教派では、信者に、年に決まった数以上の聖体拝領・断食・告悔(痛悔)の義務などの信仰実践が教会法によって義務付けられている。