キリスト教
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教義を異にし聖体の概念を否定するプロテスタントでも、類似の儀式を行う。これを聖餐という。キリスト教最大の祭である復活祭は、この聖餐をキリストが復活したと信じられる日に行うもので、毎年春に行われる。

教義には教派ごとに若干の変異がみられる。ローマ・カトリック、聖公会、プロテスタントなどの西方教会は、聖霊を「父と子両者から発し」とし、東方の「父から」のみ発するとする立場に対立する。またプロテスタントとローマ・カトリック他の伝統的教会では教会についての教義に差があり、使徒の精神を共有することをもって使徒性と解するプロテスタントに対し、カトリック他では聖職者が先任者から任命されることに神聖な意義を認め、その系譜が使徒にまでさかのぼること(使徒継承性)を教会の正統性の上で重視する。また聖餐論においても、カトリックや正教会など伝統的教会とプロテスタント諸派の間には大きな意見の差がある。詳しくはそれぞれの教派の項を参照されたい。


異端

上記の多数派と異なる教義を有し、かつキリスト教を自認する教派(セクト)は、多数派から「異端」と呼ばれることもある(自称することはない)。

「神概念を多神論的に解釈する」、「キリストの人性のみか逆に神性のみしか認めない」、「キリストの十字架(贖罪死)と復活を認めない」、「聖霊を人格的存在ではなく神の活動力とする」、「キリストを被造物とする」などの特徴がある。

聖霊を神の活動力とし、キリストを被造物とする理由からエホバの証人が、三位一体を否定し聖書以外に聖典を持つ理由から末日聖徒イエス・キリスト教会(蔑称モルモン教)がこれに該当し、多くの正統キリスト教から異端とされている。

歴史的には、異端と正統の違いは、視点の違いが含まれていた点にも留意されたい。

モルモン教については末日聖徒イエス・キリスト教会を参照


ユダヤ教・イスラム教との関係

キリスト教、ユダヤ教イスラム教イスラーム)は類縁関係を強調されることがある。唯一神信仰を持ち、聖典の一部を共有しているからである。

キリスト教はユダヤ教の一宗派として誕生している。『福音書』や『使徒言行録』に描かれているとおり、ナザレのイエス自身もその弟子達も皆がユダヤ人でユダヤ教徒であり、エルサレム神殿で礼拝を行い、その宣教活動も主にユダヤ人を対象としたものだった。当時のユダヤ教には多くの立場が存在し、神殿祭儀を中心にしていたサドカイ派、禁欲主義のエッセネ派、在俗の律法主義を担ったパリサイ派などが活動しており[12]、イエスの信奉者達の集団もそうした一宗派と見なされた。今日、彼らはパリサイ派のヒレル学派と似た立場にあったと考えられているが、それはキリスト教の特徴とされる博愛と慈愛の強調や、ナザレのイエスが示した律法の尊重はヒレル学派の特徴でもあったからである[13][14]。とはいえ、イエスの死後のかなり早い時期にステファノがエルサレムで論争の末に殺害されたことなど[15]、ユダヤ教主流派とイエス信奉者たちとの軋轢は存在した。正統的なユダヤ教の教義からは、ナザレのイエスという男が神の子であったというイエス信奉者たちの見解は容認しがたいものだったのである。

1世紀頃のローマ帝国内におけるユダヤ人は、全人口の1割程度を占めていたという推定があるほどに、ユダヤ属州外でもユダヤ人は勢力を誇っていた。そして、ユダヤ教の信仰生活に興味を示してユダヤ教に改宗する異邦人も多かっただろうとされている[16]。しかし、こうした異邦人への宣教活動はキリスト教で盛んとなり、ユダヤ教をはるかに上回る異邦人改宗者をキリスト教は獲得することになる[17]。『使徒言行録』に記されたように、キリスト教は改宗者への割礼を強制しなくなり、厳しい食物規制も緩め[18]、それがギリシャ語圏の人間も改宗しやすくさせたものと考えられている[19]

そしてユダヤ教は神殿崩壊後の1世紀末にヨハナン・ベン・ザッカイの指導の下、神殿中心の体制を放棄して各地のシナゴーグを中心としたコミュニティに重きを置く体制に移行し[20]、世界宗教への指向を放棄して民族主義宗教の中に戻っていった[21][22]。こうしたユダヤ教再編の中で80年代にはキリスト教はユダヤ教から正式に閉め出され[23][24]、またキリスト教側もユダヤ人からの入信者が激減して異邦人入信者が多数を占めることで、ユダヤ教から離脱していくのである[25]。また、ヘレニズム思想と最終的に折り合うことができなかったユダヤ教とは異なり、キリスト教はそれに成功してローマ・ヘレニズム文化の中で独自の思想を発展させた[26]。ユダヤ教の聖典はそのままキリスト教にも用いられて『旧約聖書』となり、ユダヤ教の典礼や習慣の多くがそのままキリスト教に引き継がれたが、キリスト教の教父たちはユダヤ人たちがキリストを十字架刑に追いやったとしてユダヤ人を厳しく糾弾し、これがキリスト教社会におけるユダヤ人差別を準備することになる[27]

イスラームはユダヤ教やキリスト教の影響を受けて成立した。イスラームはこの2つの先行宗教を共通の始祖アブラハムを戴くアブラハムの宗教であり、信徒は唯一神から啓示を受けて聖典を授かった啓典の民であるとして、根本的にはイスラームと異ならないものとしていた。イスラームによれば、モーセなどの旧約の預言者も、イエスもアッラーフの預言者なのである[28]。そして、アッラーフはユダヤ人やキリスト教徒に対してそれぞれに『聖書』を与え、アラビア人には『クルアーン』が与えられたのだとしている[29]

しかし、ムハンマドが口述する『クルアーン』にはユダヤ教とキリスト教に関する誤解が多く含まれており、メディナのユダヤ教徒はこれを嘲笑したという[30][31]。政治的にもユダヤ教とイスラームは対立するようになり、624年にはそれまでエルサレムに向かって行っていた礼拝(キブラ)がメッカに向かって行われ始め、ユダヤ教から独立した宗教を形成していくことになる[32][33]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki