CM出演
広島ナタリー(1974年/初CM)
旭化成レオナ66(1974/75年)
キスミーシャインリップ(1976年)
バンダイキャンディーズ・ステージオンマイク(1976年)、キャンディーズ・フラッシュマイク(1977年)
ハウス食品ククレカレー(1976/77年)、ククレミートマーボ(1977年)
森永製菓チョコフレーク(1976年)、チョコスナックトリオ(1976年)、ラブチャット(1976年)、チョコぼうし(1976年)、チョコモナカ(1977年)、森のどんぐり(1977年)
三洋電機ブラックシャーシ/ズバコン《カラーテレビ》(1975/76年)、ひえひえ《エアコン》(1977年)
TDKカセットテープ(1977年)
エピソード等
引退までの期間に全国をコンサートツアーした(「ありがとうカーニバル」)。これはいわゆる引退記念興行路線であり、これは後の山口百恵を始め、大物歌手やロックバンドの解散時に恒例のものになっていった(この形式での興行は1975年のザ・ピーナッツが最初と言われる)。リリースするレコードも、刻々と迫る引退を視野に入れた内容になっていった(「わな」はその例である)。この時、ずっとメインボーカルの機会がなかったミキに、1曲のみとはいえメインの座が与えられた。
15枚めのシングル「アン・ドゥ・トロワ」は作曲者の吉田拓郎もセルフカバーしているが、拓郎版では曲の終わりに「さよなら、キャンディーズ」と歌っている。
当時のコンサートでは客席から多数の紙テープが投げられていた。ファンはキャンディーズが怪我を負わないように、予め紙テープの芯を抜いていたが、それでもステージ上に大量に蓄積された紙テープが足に絡まり、細かい切り傷が絶えなかったという。「哀愁のシンフォニー」のサビの部分で、客席から一斉に紙テープが投げられるシーンは圧巻。
キャンディーズが活躍していた時代、ラジカセが普及し始めた。当時のラジカセはオープンリールと比較すると、音質に難は有ったが安価であったため、若年層に好まれた。多くのコンサート会場では、観客がラジカセを持ち込むことが認められていたため、コンサートを録音しながら観ることが可能であった。この傾向は若年層が多かったキャンディーズファンに顕著に見られ、客席の椅子の肘掛部分に、マイクをガムテープ等で固定する者もいた。その痕跡は、キャンディーズ解散後も暫らく残ったという。
日本初の、全国組織型ファンクラブ「全国キャンディーズ連盟」(「全キャン連」)を持ったアイドルとしても知られる。なお、当時のファンには学生運動崩れの武闘派も多数いた。現在アイドルのコンサートで行われているオタ芸の原形もメジャーなアイドルの中ではキャンディーズが元祖である。デビューから数曲の間は8時だョ!全員集合等で新曲を披露しても殆どメンバーの名前などを叫ぶコールがなかったが、その気にさせないで辺りからコールが激増した。
同一事務所に所属していた太田裕美もキャンディーズのオーディションに参加しており、メンバーになる可能性もあった。もし実現していれば、ラン・スー・ミキに倣って「ヒロ」と呼ばれていたであろうと言われている。
同一事務所に所属していたザ・ピーナッツから衣装をプレゼントされたが、2着しかなかったのでもう1着をザ・ピーナッツ側が作成して用意した。
キャンディーズの妹分として結成されていたキャンディーズjrというグループがあったが(同じ事務所)、キャンディーズ解散後にトライアングルに改名した。キャンディーズファンから「違和感がある」という声が多かったため、あるいは敬意を表して、「キャンディーズ」の名称を半ば永久欠番扱いとしたため、と諸説ある。
各仕事によりかなり違ったキャラクターを見せていた。歌番組やゲスト出演ではアイドルらしくしおらしい受け答えをするが、ラジオ番組ではくだけた言葉遣いで、台本とは言え下ネタも口にするなどかなり弾けたキャラクターである。もっともスタッフや出演者が多いテレビと違った、ラジオ番組独特の親密さゆえのリラックスした姿であろう。ライブのステージにおいてはファンに対してはありがちなタメ口ではなく「皆さん、ノってくださーい!」と言った具合に、ライブのノリの良さにしては丁寧な言葉を使っている。ただし現在の一部のアイドル見られるような過剰なリップサービスをせずに最後に掃けるときも「ありがとうございました」「また逢いましょう」等と定例文型を述べるに留まっていた。唯一例外として、後楽園球場におけるファイナル・カーニバルの後半では、3人のMCが一部くだけた口調になっていた。
全盛期当時既に大学生世代であったメンバーではあるが、週刊誌の対談などでは処女である事を強調していた。
三人それぞれのイメージに関しては、「妻にするならスー、恋人にするならラン、秘書にするならミキ」との評があった。松下治夫の著書には「蘭は気丈なタイプ、スーはおっとりしたタイプ。」と書かれていた。
女性グループとしては非常に珍しい事に、3人で仲が良い。仕事で常に3人一緒にもかかわらず、ツアー中のホテルではツインにエクストラのベッドを入れてもらい、同じ部屋で寝ていたという。まれに連休が取れると、3人で泊りがけで旅行に行った(3人だけでなく、友人も同行することがあった)。ケンカもしたことがないんだって?という質問にランは「2人の気持ちが分かりすぎるから」と答え、ミキは「感情的に姉妹以上になってる」と語っている。現在でもプライベートでたまに集まる事があると田中好子(スー)が最近(2006年、2007年)のテレビ番組で、伊藤蘭がラジオ(2007年)で語っている。
2007年(平成19年)に公開された映画『Little DJ?小さな恋の物語』では、劇中「年下の男の子」が物語の重要なキーとなる楽曲として登場し、シングル盤も小道具として用いられた。「年下の男の子」は同作品のサントラCD(アミューズソフトエンタテインメント)にも収録されている。
解散への軌跡とその後
「キャンディーズ」とは本来ラン・スー・ミキのグループユニット名であるが、これに3人を支えた関係者、および全国のファンが一体となったムーブメントこそが「キャンディーズ」だったという見方もある。