チベット動乱が首都ラサに波及した1959年3月10日、ダライラマ14世はノルブリンカ宮をインドへ向け脱出、中国国務院総理の周恩来が「西蔵地方政府の廃止」を宣言したのに対抗し、国境の手前でチベット臨時政府の発足を宣言したのち、インド領に入った。
同年4月29日、インド北部の丘陵地ムスーリーで新たに行政機構が再組織され、チベット亡命政府(中央チベット行政府 Central Tibetan Administration(CTA)が発足した。1960年5月、亡命政府はダラムサラのガンジョン・キショッと呼ばれる地域に拠点を移した。
ダラムサラでは、世界人権宣言をベースとしたチベット憲法草案が交付され、行政を担う内閣(カシャク)、民主的に選出される議会(亡命チベット代表者会議)、行政から独立した司法機関(亡命チベット最高司法委員会)などが整備された。
内閣管轄下の諸省:
宗教・文化省:チベットの宗教的、文化的遺産を保存し発展させることを目的とし、亡命社会のチベット仏教僧院・尼僧院を支援、次の施設を管理する。
チベット舞台芸術研究所(ダラムサラ)
チベット・ハウス(所在地:ニューデリー)
チベット文献図書館(ダラムサラ)
高等チベット学中央研究所 (ヴァラナシのサールナート)
チベット文化ノルブリンカ協会(ダラムサラ近郊のシドプール)
内務省:亡命チベット人入植地支援を主な目的とする。
財務省:亡命政府の活動基金を集めるために、各地で25個の企業体を運営し、献金を集める。また亡命政府の年間予算計画を立てている。
ダライ・ラマ14世とアメリカのジョージ・ブッシュ大統領
文部省:インド、ネパールおよびブータンにある84ヵ所の学校を管理し、30,000人の児童を受け入れている。
公安省:ダライ・ラマ法王の安全確保及び占領下のチベットでの開発事業を監視する調査を主な任務とする。
情報・国際関係省:対外的な宣伝を目的とする
厚生省:チベット人亡命者会で61ヵ所の基本健康管理センターと6ヵ所の委託病院を管理し、チベット医学・暦法研究所の運営を支援する。
国民会議:亡命社会に所属する有権者による民主的な選挙によって選出された議員よって組織された議会。祖国復帰後は、国会となることを想定。
亡命政府の情報・国際関係省はニューデリー、ジュネーヴ、ニューヨーク、東京、ロンドン、カトマンドゥ、ブダペスト、モスクワ、パリ、キャンベラ、プレトリア、台北に代表事務所を設置している。
チベットの実権を掌握する中華人民共和国に対する配慮から、亡命政府を外交的に承認する主要国はないが、欧米の主要国や中華民国などの指導層には亡命政府の主張の賛同者も多い。ダライ・ラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している。
独立チベット、もしくは「中国の主権下の"自治チベット"」の領域として主張されている国土は、基本的に、チベット人が伝統的にチベットの国土だとみなしていた領域の全域に相当し、「ウー・ツァン」、「カム」、「アムド」の「三州」から構成されている。
中国による行政区画と対照すると、「ウー・ツァン」はチャムド地区を除く西蔵自治区のほぼ全域、アムド地方は玉樹地方を除く青海省のほぼ全域および四川省のアバ州、カム地方は四川省のカンゼ州、西蔵自治区のチャムド地区、雲南省のデチェン州、青海省の玉樹地方などに相当する。
辛亥革命によって1912年に清国が滅亡し、その遺領の再配分が問題になった際、ガンデンポタンは、チベットの西南部(西蔵の部分)を実効支配し、チベット国家が中国とは別個の国家であることの確認や、清国の雍正帝に奪取されて以来、清国の隣接諸省に分属せしめられていたアムド、カム東部の回復を目指して中華民国と対決した。ダライ・ラマ14世
1949年に、国共内戦に勝利して中国大陸を制覇した中国共産党政権は、「中国の領土を完成」させると称して人民解放軍を「西蔵」に侵攻させて全域を占拠、ガンデンポタンは、この軍事的圧力のもと、「十七か条協定」の締結を余儀なくされた。