カントリー・ハウス
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古典様式

チューダー王朝期にイタリアにおいて花開いたルネッサンスは建築にも導入されていた。建築書の翻訳によってこれらのルネッサンス様式がブリテン島へ伝えられ、多くの建築物に影響を与えた。ルネッサンス建築が重視したのは建物の外観におけるシンメトリー性と古典様式に基づく装飾である。バーリントン・コートやモンタキュート・ハウスはエリザベス女王のイニシアルであるEの形状をした対称性が採用された。内部構造についてもホールが重要度を失い、既存の邸宅は二階建へと改築された。ガラスを利用した窓が増え、張り出し窓に見られるように装飾性も向上した。壁は羽目板が用いられ、その上や家具タペストリーで覆われるなど居住性の向上が図られている。

ロバート・スミスソン 


ロングリート(1568年-1572年)

ウォラトン・ホール(1580年-1588年)

ハードウィック・ホール(1590年-1597年)

これらの邸宅に隣接して設けられた庭園は幾何学的構造、トピアリー(動物などの形状をした刈込み)などの特徴を有していた。多くは後の時代に風景式庭園へと改修され現存していない。


パラーディオ主義とバロック建築

1603年に即位したジェイムズ1世 に始まるスチュアート朝においても、引き続きルネッサンスの影響が色濃く見られる。その中心として本格的なルネッサンス紹介者となったのがイニゴー・ジョーンズである。アンドレア・パラーディオの影響を受けた彼の建築様式はパラーディオ主義として知られている。彼の後を継いで活動した多くの後継者たちの中でも、王制復古後に活躍したクリストファー・レンはヨーロッパ大陸から影響を受けたバロック建築を広め、イングリッシュ・バロックと称される建築様式の中心となった。この二人は共に王室営繕局長官であったため、カントリー・ハウスの設計はほとんどおこなっていない。レンの弟子であるウィリアム・トールマンはチャッツワース・ハウスの改築、ドレイトン・ハウスの設計などで知られている。さらにその後の世代にあたるジョン・ヴァンブラはニコラス・ホークスムアの協力によってカースル・ハワードやイーストン・ネストン、ブレナム・パレスシートン・デラヴァルなどを設計した。

オードリー・エンド・ハウス(1603年-1616年)

ハットフィールド・ハウス(1607年-1612年)

庭園については前時代から引き続き幾何学的な形状を有したものが好まれた。これらはバロック庭園と称されている。


新古典主義

1714年のアン女王の死によってハノーヴァー出身のジョージ・ルイスがジョージ1世として即位した。ジョージ王朝期にはパラーディオ様式に再び注目が集まり、第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイル(バーリントン卿)および彼の庇護を受けた多数の建築家がポーティコに象徴される建築物を設計した。その中でもイタリアでの画家修行中にバーリントン卿と出会ったウィリアム・ケントは邸宅および庭園の設計に多彩な才能を発揮している。

パラーディオ主義が発展したものが新古典主義と称される建築様式である。代表的な建築家であるロバート・アダムは邸宅のみならず、庭園や果ては家具までも自分で設計し、そのどれもが高い評価をえた。ケドルストン・ホール、ルートン・フー、ケンウッド・ハウスなどが代表作として挙げられる。ヘンリー・ホランドは造園家ケイパビリティ・ブラウンの弟子として修行を積み、ペリングトン・ホール、クレアモント・ハウスなどを設計した。これらの邸宅の内部構造としては廊下が多用され、応接間、食堂室、図書室などが設置されるようになった。

風景式庭園はジョージ王朝期の18世紀後半に登場し、ヨーロッパ大陸の影響を受けずに発展した英国独自の要素である。田舎の自然を再現する事を目的とし、自然な形の池や小川、なだらかに起伏する芝生、林などが配置された。前述のウィリアム・ケントとケイパビリティ・ブラウンがこの様式を完成させた。さらに、自然のみならずそこに人工の建築物を置いて絵画的な景観を造ろうと試みるピクチャレスク景観がユーヴェデイル・プライスによって提唱され、小作農の住居を思わすコテジを庭園内に配置させるなどの方法がとられた。この思想は邸宅の建築にも影響を与え、その後のゴシック建築研究へとつながっていった。


ゴシック・リヴァイヴァルと建築様式の多様化

18世紀後半から開始された産業革命農業革命によって繁栄する英国は、1837年に即したヴィクトリア女王の治世にその円熟期を迎えた。この時代のヨーロッパは復興主義(リヴァイヴァリズム)と称される過去の様式の再評価および、それらの特徴を混合して用いる折衷主義(エクレクティシズム)が盛んとなり、イギリスの建築においては中世のゴシックに対する関心が高まった。このゴシック・リヴァイヴァルはゴシックが英国独自の物であり、英国国教会としても好ましいという民族主義的な意見によってウェストミンスター宮殿を始めとする国家による建築に多用された。18世紀後半にジェームズ・ワイアットが設計に関与したストロベリー・ヒルやフォントヒル・アビーなどはこの建築様式に基づいて建設された初期のカントリー・ハウスである。内部構造はさらに細分化され、使用人の空間には食器室、ワイン・セラー、ナイフ室、リネン室、食料保管室、スティル・ルーム、洗濯室、乾燥室など多様な部屋が設けられた。1885年に完成したクラグサイドにおいては電気照明が初めて利用されている。

ハンフリー・レプトンによって庭園には温室が導入され、熱帯地方の珍しい植物を栽培することが流行した。チャッツワース、クリスタルパレスにおける温室が代表例である。

ヴァナキュラー・リヴァイヴァル


ハーラクストン・ホール(1834年-1855年)

スコットニー・カースル(1835年-1843年)

ベッテスハンガー・ハウス(1861年)


オールド・イングリッシュ・スタイル


リーズウッド(1866年-1869年)

クラグサイド(1869年-1885年)

アドコート(1876年-1881年)


カントリー・ハウスの凋落

カントリー・ハウスの凋落は1870年代に発生したイングランドにおける農業不況と20世紀初頭の第一次世界大戦がきっかけであった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki