建築史家であるマーク・ジルアードは『英国のカントリー・ハウス』において、カントリー・ハウスとは「権力の家」(power house) であり、持ち主の勢威を地元および他の貴族・ジェントリに見せつける為に存在したのだと論じている。ケドルストン・ホールやホーカム・ホールなどは確かに観察者に対する印象を考慮して設計されている。特記すべきなのは全ての地主が政治に関心を有していた訳ではないということである。カントリー・ハウスは頻繁に上流階級の会談の場(例えば議員選挙の相談など)として使用された。それに加えカントリー・ハウスの所有者には総督や治安判事として働く者が多く、19世紀に入っても地方裁判がカントリー・ハウス内で行われている。20世紀に入ってもカントリー・ハウスの主人である貴族・ジェントリ層は社会における重要な役職に就き続けた。20世紀後半に保守党政治家として外相やNATO事務局長を務めた第6代カリントン男爵ピーター・カリントンはこのような者たちの最後の例であろう。
多くの貴族は複数のカントリー・ハウスを所有しており、シーズンに従ってそれらを使い分けていた 典型的な例としては、スコットランドではライチョウ撃ちを、イングランドでキジ撃ちとキツネ狩りを、といった具合である。ローズベリー伯爵はスコットランドのダルメニーとバッキンガムシャーのメントモアタ・ワーズにカントリー・ハウスを有しており、さらに競馬シーズン用としてエプソム競馬場周辺にも別邸を所有していた。
19世紀に入ると1832年の改正選挙法の施行と産業資本家の勃興によって彼らの社会的地盤が揺らぎ始めた。新興の富裕商たちは自身の地位を上げようとカントリー・ハウスの建設や買収を行い、以前の時代には必須であったカントリー・ハウスと大規模土地所有との関係は薄れていった。
カントリー・ハウスは田舎における社会単位の中心であり、その荘園では数百人もの人々が労働していた。荘園内における労働者は無料の宿泊施設と安定した雇用を確保されており、一般の農民とは一線を画している。さらにカントリー・ハウス内部で働く家事使用人はさらに恵まれた環境にあった。彼らは毎夜ベッドで眠り、仕立てられた服を着け、一日三食の食事を与えられていたが、これらは20世紀以前の下流階級では特筆すべきことであった。一方で主人から支払われる賃金は非常に少なかった。栄養価不足や栄養失調によって多くの人々が死亡していた時代には、長時間労働はわずかな金額にしか値しなかったのである。2001年製作の映画『ゴスフォード・パーク』においては、厳しい階級社会が存在しながらも安定しているイングランドのカントリー・ハウスにおける生活をよく再現している。
カントリー・ハウスの構造イングランドのノーフォークにあるホーカム・ホール
パラーディオ主義に基づく代表作ウィリアム・ケントにより1735年頃に作成されたホーカム・ホールの図面
ピアノ・ノービレ(主要階)の四隅とつながる離れが対照的に配置されている。
A:玄関ホール
B:広間
C:画廊
D:食堂室(狭い通路によって右下の棟にある厨房とつながっている)
E:パーティコ
F:図書室
大広間
マナー・ハウスおよび初期のカントリー・ハウスにおいてはグレート・チャンバーが生活の中心であった。家族と使用人は皆この部屋で食事、団欒そして就寝している。中心には炉床が置かれ、煙を部屋上部の格子戸から排出する仕組みになっていた。石工技術が発達し暖炉が普及すると部屋の天井を高くする必要がなくなったため、16世紀後半からは二階に複数の部屋が設置されるようになり、グレート・チャンバーはホールとなり、晩餐会などにのみに用いられるようになる。さらに18世紀以降には、玄関を入ってすぐの位置に存在する玄関ホールへと変化していった。
応接間
食事後の団欒に使用されたウィズドローイング・チャンバー(ホールから「引揚げる」withdraw に由来)が発展したもので、家族はこの部屋で長時間過ごす事が多かった。
広間
サルーンはホールから正餐の場を引継いだ部屋である。客を招いての正式な食事の場、舞踏会の会場などとして使用された。18世紀以降にはその地位が再び低下する。
画廊
複数の部屋が設けられるようになると、16世紀前半にそれらを機能的に繋ぐ廊下が設けられた。時代が下ると、この廊下に絵画や彫像をおくようになり、さらには通路としての機能を失い、自由に歩き回ることができる運動の場、または居間と応接間を兼ねたような部屋になった。
図書室
18世紀のプラトン主義の流行に触発されて書籍の収集がおこなわれるようになると、ファッションとして図書室が設けられるようになった。壁を書架で囲んで読書や執務をおこなう部屋であると同時に、団欒の場としてソファーなどが置かれた。
食堂室
グレート・チェンバーから機能が分割された。家族だけでの普段の食事はここでとられる。
寝室
17世紀以降に就寝用の部屋として設けられた。
この他に浴室、厨房、洗濯室、撞球室、喫煙室、書斎などが存在する。厨房、洗濯室や使用人の住居などは本邸とは離れた別棟や半地下に設けられることが多かった。後者三つは男性のみが使用した。
建築史サセックス州のホルハム・ホール
小規模ではあるが、エリザベス1世が二度にわたって宿泊するなど由緒ある邸宅である。ホルハム・ホールの改築部分
カントリー・ハウス形成の過程を観察することができる。
黒色は1510年以前に、灰色はそれ以降に建設された部分。15世紀以前はホールとその北側の上座につながる主人の部屋のみで構成されている。その後ホールの南(下座)にキッチン、食器室、食料保管室など、北にはウィズドローイング・チャンバーが設けられ、さらに階段と二階が増築された。サウス・サマセット州モンタキュートのモンタキュート・ハウス
エリザベス王朝期に建設された。モンタキュート・ホールのピアノ・ノービレ
玄関ホール、食堂室、応接間、パーラー、厨房が幾何学的に配置されている。オックスフォードシャーウッドストックに存在するブレナム・パレス
18世紀にスペイン継承戦争で功をなした初代マールバラ公爵ジョン・チャーチルがアン女王より下賜された土地、資金をもとに建設した。