カリフォルニア州
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日本との関係
日系人

カリフォルニアはハワイと並んで、日本人と関係の深い州のひとつである。古くはジョン万次郎福澤諭吉勝海舟から、この地を訪れた日本人は多い。意外なところでは、竹久夢二もこの地を訪れている。

明治以降は日本人移民が相次ぎ、1924年日本人の移民を禁じる排日移民法が制定される。この差別的待遇は太平洋戦争によってさらに悪化し、日系人は土地や財産を没収され、10ヶ所強制収容所に収容されることになる。(キャンプは陸軍省下のWRAによって管理されたものと、司法省によって管理されるキャンプがあった。日系アメリカ人強制収容所と一般に言われる場合には前者のことをさす場合が多い)これら大戦前の移民の出身地は、圧倒的に山陽地方及び北部九州が多く、その理由として、かつては「山陽道は旅人の往来が多く、他所への移住に抵抗感が少ない地域であるから」とされたが、「この地方は中世以来水軍の活動が顕著で、鎖国が解かれ再び出国ラッシュとなったから」と云う説もある。このためか、かつては「アメリカの標準語は広島弁である」とまで言われた。

戦後、日系人は戦時中に活躍した日系アメリカ人部隊(陸軍第442連隊戦闘団・第100歩兵大隊)の存在や、日系アメリカ人議員の輩出などで、その地位と名誉を回復する。1988年には強制収容所での不当な扱いに対して補償法案を通過させ、生存者への金銭的補償を勝ち取った。一般に、日系人は経済的には平均より恵まれているといえるが、依然としてグラス・シーリング「見えない天井」という社会問題が残されている(そもそも日系アメリカ人は大都市に多く住み、ゆえに所得も平均以上となるのは当然と言われている)。米国の農場主は圧倒的に白人が多い中、カリフォルニアでは、サクラメント近郊等にかなりの割合で日系農場主が存在することも事実であり、日本人の勤勉さを引き継いでいる。

日系人社会はおよそ1世と2世、そして戦後から1980年代までの戦後移民、バブル以降の新移民に大別することができる。1世は経済難民的で、苦労して現在の地位を築き上げてきた功労者といえるが、アメリカ社会には同化しにくく、他の移民集団と同様にリトル・トーキョーに代表されるエスニック・タウンを形成する傾向がある。戦前・戦中の迫害経験から社会に対する猜疑心が強い、とも言われるが、とりわけ強制収容所での経験は1世の父権主義を心理的に崩壊させ、2世リーダーの台頭によって完全にその権威が失われてしまった。

2世や3世、4世は全てにわたって「アメリカ人」である。彼らは父祖の地としての日本に興味はあるものの、それ以上の感情は持たず、思考や行動はアメリカ人的である。ただ2世は親と生地という2つの文化に自己を引き裂かれるというアイデンティティ・クライシスを経験することが多く、日系アメリカ人文学のテーマとして描かれることが多い。アメリカで生まれ、幼少時より日本で教育を受けた後、再びアメリカに戻った人を帰米という。この場合は、心情的にも日本人とほとんどかわらないが、彼らのアメリカでの苦労もまた2世と同様に苦難を伴う場合が多かった。

戦後移民は米軍人妻(戦争花嫁)や、成功を目指して渡米した人が多い。ロッキー青木ショー・コスギが代表例である。彼らは日本人と付き合わず、積極的にアメリカ社会に飛び込んでいくという傾向が見られる。そのためこの集団は個々に分散して、1つのエスニック・グループとしては形成されていない。しかし高齢化するにつれ、日本回帰の現象も見られる。

新移民はバブル以降の日本の国際化を受けて、アメリカで生活することを選んだ人たちである。脱サラ者や定年退職者、留学生などが多いが、彼らの生活は日本との関係に依存している面が多く、近年の不況から、帰国を選択するものも増えてきている。

中国人韓国人など他の移民社会と比べると、日系人社会は分散的である。団結力が弱く、無視しあったり、非難しあったりするケースが多いが、それは1つには上記のように各集団が全く異なる出自や目的を持っているからだと思われる。中華文化などに比べた日本文化の求心力の弱さ、キャンプでの密告合戦による相互不信、社会的地位向上のために積極的に日本文化を棄てたということも関係していると考えられる。
日本の企業進出

1951年にサンフランシスコを中心とするカリフォルニア州北部にある日系企業、北加日本商工会議所 (JCCNC) が設立された。2007年現在、約300社が加盟している。1960年代には、ロサンゼルスやサンディエゴを中心とする南カリフォルニア日系企業協会 (JBA) が設立され、2007年現在の加盟社数は約500に達する。両団体とも、州の認可を受けた非営利団体である。他州にある日系企業団体や日本人会同様、会員対象のセミナーや親睦行事、日系企業実態の調査、地元地域への日本文化紹介や奉仕活動などを行っている。

2000年にJBAが行った調査『南カリフォルニア日系企業実態』[3]によると、調査対象企業の70%がロサンゼルス郡に集中しており、ロサンゼルス(108社)とトーランス(94社)が突出している。次いで20%がオレンジ郡に拠点があり、アーバインとサイプレスに多い。またメキシコ国境に近いサンディエゴ郡にも20社存在する。ただし製造業は過密状態のロサンゼルスよりも、オレンジ郡やサンディエゴ郡のメキシコ国境沿いの工業地帯(マキドーラ Maquidora)に多い。日系企業の南カリフォルニアへの進出数は1980年代をピークに減ってはいるものの、新規設立は続いている。62.4%が米国の法人本社、24.3%が支店として設立しており、アメリカ進出への足掛け地点となっている。雇用者は72.8%の現地採用者が占め、その多くが金融・保険業、製造業に就いている。日本からの派遣社員は不動産業と建設業に多いが、全体の3.1%程度で減少傾向にある。従業員100人以上の中・大規模レベルの企業数と雇用数は減少しており、逆に全体の70%が小規模な企業であり、雇用を増やしている。対象企業の80%が増収、あるいは前年と同程度の利益を見込んでいる。不動産、卸・小売、製造、金融・保険といった業界が好調である。

2002年にはJCCNCが『ベイエリア日系企業実態調査』を行っている。2000年度の調査と比較して、ベイエリアの企業が減少、1社あたりの平均雇用数も49人と大幅に減少している。日本からの派遣社員は平均4人で変化はない。80%が日本企業の現地法人である。拠点は80%がサンタクララ、サンフランシスコ、サンマテオ郡にある。60%がサービス業または製造業である。売上が過去2年間に増加した企業が36%、減少は46%であり、営業利益は赤字が約34%、今後1、2年の見通しが改善あるいは横ばいと答えた企業が約90%であった。全体の25%が何らかのボランティア活動を行い、アメリカの団体等に対する寄付は総額1940万ドルにのぼっている。

毎年、JCCNCとJBAの代表者が合同でサクラメントの州議会を表敬訪問している[4] [5]2007年度はシュワルツネッガー州知事に面会する機会があり、日系企業の投資(1739社による290億ドル)および雇用(15万人)に対する感謝を受けた。州議員には、医療保険や運転免許証といった個人生活レベルから、コンテナ課税、施設に対する消費税、環境法案など企業レベルでの問題に対する改善を要請すると同時に、州の企業誘致に対するアドバイスを与えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki