オルモック輸送作戦
不朽の名作から
ケータイ小説(笑)まで

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第8次作戦

輸送船:赤城山丸、白馬丸、第5真盛丸、日洋丸

護衛艦艇:梅、桃、杉、駆潜艇第18号、38号、輸送艦第11号

第68旅団の主力約4000名を輸送する。12月5日にマニラを出港。当初は7日1730にオルモック到着の予定だったが当日米軍がオルモック南部に上陸。そのため揚陸地をサンイシドロに変更した、7日1000より擱座、揚陸を始めた。揚陸中敵艦爆やB-24の30機の攻撃を受けて人員は上陸したが物資は砲2門他の揚陸に留まった。輸送船4隻と輸送艦第11号は大破したため放棄され、残りの護衛艦艇5隻はマニラに帰着した。


第9次作戦

輸送船:美濃丸、空知丸、たすまにや丸

護衛艦艇:夕月、卯月、桐、駆潜艇第17号、第37号

輸送艦第140号、第159号

輸送艦第9号(セブ島に向かうが途中まで同行)

輸送船には歩兵第5連隊を基幹とする高階部隊約4000名と兵器弾薬1200m3、糧食800m3を搭載、輸送艦第140号、第159号にはオルモック湾に逆上陸を目指す海軍特別陸戦隊約400名を搭載した。またセブ島へ輸送する甲標的2隻を載せた輸送艦第9号も途中まで同行した。12月9日に予定の1日遅れでマニラを出港。11日にパロンポン沖でF4U50機の攻撃を受け、たすまにや丸、美濃丸が沈没した。空知丸はパロンポンでの強行揚陸に作戦変更、卯月、駆潜艇第17号、第37号はパロンポンに残り空知丸護衛と沈没船の溺者救助に従事した。卯月はその後オルモックに向かったが敵魚雷艇の攻撃により沈没する[3]。残りの夕月、桐、輸送艦第140号、第159号は2200にオルモックに突入、強行揚陸を開始する。人員、戦車の全部と機材の半分を揚陸したが第159号は陸上からの砲撃で大破した。桐は12日朝、パロンポンに戻り陸兵を揚陸した。パロンポンにいた空知丸と駆潜艇2隻はそれより先に揚陸を終了しマニラに向かっており13日1500に帰着した。オルモックにいた夕月と輸送艦第140号は桐と合流し同じくマニラに向かったが途中でP-38など46機の攻撃を受け12日2027に夕月が沈没、桐も損傷をうけた。桐、輸送艦第140号は13日1900にマニラに帰着した。


第10次作戦

第10師団の1個連隊基幹と第23師団の1個大隊を12月14日マニラ発、レイテ島北西部のクランシアン岬に上陸させる計画を立案した。しかし13日に発見された敵上陸部隊が14日には北上を始めルソン島へ向かう公算が大きくなった(実際にはミンドロ島に上陸)。そこで第14方面軍は計画を中止、輸送予定部隊をルソン島守備の配置に就かせた。これを受け同日第10次作戦の中止が発令され、ここで多号作戦は終了した。


参考文献

岸見勇美『地獄の海 レイテ多号作戦の悲劇』(光人社、2004年) ISBN 4-7698-1172-1

佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇』(光人社、1984年) ISBN 4-7698-0231-5

雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1

防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』(朝雲新聞社、1967年)


脚注^ 『戦史叢書』では大河内長官の命令で帰投したとの記述だが、『艦長たちの太平洋戦争 続編』によると竹の宇那木艦長は「作戦続行命令が出たが独断でマニラに帰投した」ことを証言している。
^ 『艦長たちの太平洋戦争 続編』p117より。
^ 『写真日本の軍艦第10巻』による。


関連項目

捷一号作戦

レイテ島の戦い


フィリピンの戦い日本軍の進攻 | ユサッフェ | フクバラハップ | 捷号作戦 | モロタイ島の戦い | 台湾沖航空戦 | レイテ島の戦い | レイテ沖海戦 | 多号作戦 | ミンドロ島の戦い | ミンドロ島沖海戦 | ルソン島の戦い | マニラの戦い | セブ島の戦い | ミンダナオ島の戦い | 北号作戦 | ボルネオ島の戦い
カテゴリ: 太平洋戦争の作戦と戦い

更新日時:2008年7月10日(木)14:46
取得日時:2008/09/07 20:47


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki