11月23日マニラを出港。24日カタイガンに待避していたが空襲により輸送艦は3隻とも沈没した。駆潜艇46号もマニラへの帰途、翌25日に被爆沈没し船団は全滅した。
11月24日マニラを出港。25日カマリンドケ島に待避していたが空襲により輸送艦6号、10号が沈没。9号も損傷により揚陸装置が故障、また竹も損傷する。そのため2隻はマニラに引き返した[1]。
第6次作戦
輸送船:神祥丸、神悦丸
護衛艦艇:駆潜艇45号、53号、哨戒艇105号
11月27日マニラを出港、途中空襲を受けたが大きな損傷無く28日1900にオルモックに突入した。弾薬250m3、糧食1100m3を揚陸した。しかし夜間に敵魚雷艇の攻撃を受け駆潜艇53号、哨戒艇105号が沈没、更に翌朝の空襲で神祥丸が炎上し擱座する。残った神悦丸と駆潜艇45号はマニラを目指したが30日にセブ島東方で遭難沈没し、船団は全滅した。
第1梯団
輸送船:陸軍SS艇3隻
護衛艦艇:駆潜艇第20号
11月28日マニラを出港。29日マスバテ湾でSS艇1隻が座礁、残りの3隻は30日2300にイピルに到着し人員200名、糧食510m3、弾薬60m3、衛生材料45m3を揚陸した。12月1日0140に揚陸完了し2日に無事マニラに帰着した。
11月30日マニラを出港。12月1日パロンポン北方のシラド湾に到着した。
第3、第4梯団
輸送船:輸送艦第9号、140号、159号
護衛艦艇:竹、桑
12月1日マニラを出港。2日2330ころ、オルモックに突入した。翌3日0030ころ警戒中の桑、竹が米駆逐艦3隻、魚雷艇と交戦となった。駆逐艦1隻(クーパー)を撃沈、1隻(アレン・M・サムナー)を撃破、魚雷艇2隻を撃沈し敵(もう1隻はモーアール)を撃退したが、日本側も桑が沈没、竹も損傷した。このとき竹は魚雷により戦果をあげたがこれが日本海軍水上艦艇最後の魚雷戦と言われている[2]。輸送艦3隻と竹は12月4日マニラに帰着した。
第8次作戦
輸送船:赤城山丸、白馬丸、第5真盛丸、日洋丸
護衛艦艇:梅、桃、杉、駆潜艇第18号、38号、輸送艦第11号
第68旅団の主力約4000名を輸送する。12月5日にマニラを出港。当初は7日1730にオルモック到着の予定だったが当日米軍がオルモック南部に上陸。そのため揚陸地をサンイシドロに変更した、7日1000より擱座、揚陸を始めた。揚陸中敵艦爆やB-24の30機の攻撃を受けて人員は上陸したが物資は砲2門他の揚陸に留まった。輸送船4隻と輸送艦第11号は大破したため放棄され、残りの護衛艦艇5隻はマニラに帰着した。
第9次作戦
輸送船:美濃丸、空知丸、たすまにや丸
護衛艦艇:夕月、卯月、桐、駆潜艇第17号、第37号
輸送艦第140号、第159号
輸送艦第9号(セブ島に向かうが途中まで同行)
輸送船には歩兵第5連隊を基幹とする高階部隊約4000名と兵器弾薬1200m3、糧食800m3を搭載、輸送艦第140号、第159号にはオルモック湾に逆上陸を目指す海軍特別陸戦隊約400名を搭載した。またセブ島へ輸送する甲標的2隻を載せた輸送艦第9号も途中まで同行した。12月9日に予定の1日遅れでマニラを出港。11日にパロンポン沖でF4U50機の攻撃を受け、たすまにや丸、美濃丸が沈没した。空知丸はパロンポンでの強行揚陸に作戦変更、卯月、駆潜艇第17号、第37号はパロンポンに残り空知丸護衛と沈没船の溺者救助に従事した。卯月はその後オルモックに向かったが敵魚雷艇の攻撃により沈没する[3]。残りの夕月、桐、輸送艦第140号、第159号は2200にオルモックに突入、強行揚陸を開始する。人員、戦車の全部と機材の半分を揚陸したが第159号は陸上からの砲撃で大破した。桐は12日朝、パロンポンに戻り陸兵を揚陸した。パロンポンにいた空知丸と駆潜艇2隻はそれより先に揚陸を終了しマニラに向かっており13日1500に帰着した。オルモックにいた夕月と輸送艦第140号は桐と合流し同じくマニラに向かったが途中でP-38など46機の攻撃を受け12日2027に夕月が沈没、桐も損傷をうけた。桐、輸送艦第140号は13日1900にマニラに帰着した。
第10師団の1個連隊基幹と第23師団の1個大隊を12月14日マニラ発、レイテ島北西部のクランシアン岬に上陸させる計画を立案した。しかし13日に発見された敵上陸部隊が14日には北上を始めルソン島へ向かう公算が大きくなった(実際にはミンドロ島に上陸)。そこで第14方面軍は計画を中止、輸送予定部隊をルソン島守備の配置に就かせた。これを受け同日第10次作戦の中止が発令され、ここで多号作戦は終了した。
参考文献
岸見勇美『地獄の海 レイテ多号作戦の悲劇』(光人社、2004年) ISBN 4-7698-1172-1
佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続篇』(光人社、1984年) ISBN 4-7698-0231-5
雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦I』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1
防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<2> フィリピン沖海戦』(朝雲新聞社、1967年)
脚注^ 『戦史叢書』では大河内長官の命令で帰投したとの記述だが、『艦長たちの太平洋戦争 続編』によると竹の宇那木艦長は「作戦続行命令が出たが独断でマニラに帰投した」ことを証言している。
^ 『艦長たちの太平洋戦争 続編』p117より。
^ 『写真日本の軍艦第10巻』による。
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