正式名称はEire(アイルランド語: エーラ)であり、憲法は公式の英語名称についてIrelandと定めている。国際連合やヨーロッパ連合においてはIrelandとして登録されているが、その一方で、「1948年アイルランド共和国法」 (The Republic of Ireland Act, 1948) は、憲法の規定を覆す効力は無いもののRepublic of Irelandを公称とする旨を定めている。
日本語では「アイルランド」または「アイルランド共和国」の表記が使われており、日本政府は「アイルランド」を用いている。漢字では愛蘭土と当てられ、愛と略す。アイルランド語名に由来するエールと呼ぶこともある。
詳細はアイルランドの歴史を参照
紀元前265年ごろより、ヨーロッパ大陸よりケルト人の渡来が始まる。
5世紀ごろ、聖パトリックらによるキリスト教の布教。
8世紀終わりごろより、ノルマン人(ヴァイキング)が侵入する。
1014年 アイルランド上王(High King)ブライアン・ボルーがクロンターフでヴァイキングを破り、これ以降ヴァイキングの侵入が収束する。
1169年 ノルマン人の侵攻が始まる。1171年には、諸豪族がイングランド王ヘンリー2世の支配下に下る。
1541年 イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称する。これ以降、イングランドからの入植者が増える。しかしアイルランドの貴族はこれを認めずヘンリー8世と対立した。正式な移民は護国卿となったクロムウェル以降。
1588年イギリスがスペイン海軍を破る。これによりイギリスの海上帝国の時代が始る。
1652年クロムウェルがアイルランド侵略。事実上の植民地化。
1801年 グレートブリテン王国(イギリス)とアイルランド王国が合併する(実質的にはイギリスによる併合)。
1829年 カトリック教徒解放法の制定、オコンネルの尽力。
1840年代後半より、ジャガイモの不作が数年続き、大飢饉となる(ジャガイモ飢饉)。この結果、多数のアイルランド人がアメリカ大陸へと移住していった。
1905年 シン・フェイン党の成立、アイルランド独立を掲げる。
1914年 アイルランド自治法成立、しかし第一次世界大戦勃発を理由に自治は保留。
1916年 イースター蜂起。シン・フェイン党がダブリンで蜂起するが鎮圧される。
1922年 アイルランド自由国が成立し、イギリスの自治領となる。ただし、北部アルスター地方の6州(北アイルランド)はイギリスに留まる。
1937年 新憲法が施行され、エールと改称する。
1938年 イギリスが独立を承認し、イギリス連邦内の共和国となる。
1949年 イギリス連邦を脱退、共和制に移行。
詳細はアイルランドの政治を参照
1949年以降は共和制を採用している。元首は大統領で国民の直接選挙により選出される。大統領は基本的には名誉職であり、儀礼的な役割を主に務めるが、違憲立法審査の請求、首相による議会解散の拒否などの権限があり、国軍の最高司令官をつとめる。初代大統領は作家のダグラス・ハイドが就任した。最近は二代続けて女性が大統領に選出されており(メアリー・ロビンソン、メアリー・マッカリース)、保守的傾向の強かったアイルランドの変化を象徴している。現在北アイルランド問題も問題となっている
アイルランドの議会(ウラクタス, Oireachtas)は二院制で上院がシャナード・エレン(Seanad Eireann)、下院はドール・エレン (Dail Eireann) と呼ばれる。議会から選出された首相(ティーシャク, Taoiseach)が行政府の長となる。
詳細はアイルランド国防軍を参照
アイルランドは陸海空三軍を擁し、平時の兵力は8,500名。他に陸軍の予備役13,000名がある。安全保障については中立政策を採用しており、第二次世界大戦には参戦せず、北大西洋条約機構にも加盟していない。
アイルランド島の南側、約6分の5がアイルランド共和国、残りは北アイルランドでイギリス領である。面積は70,282km2(北アイルランドを加えると84,421km2)、南北に約500km、東西に約300kmある。
大西洋の北東部にあり、東のアイリッシュ海でグレートブリテン島と隔てられている。