戦いはもつれ、共王が晋の大夫の呂?に目を射られて負傷するほどの混戦となった。共王は怒り、家臣の養由基に命じて一矢で以て射殺させた。しかし、共王の負傷に動揺した楚軍の意気は振るわなくなった。
そこで共王は夜になって子反を招き、翌日の作戦について相談しようとしたが、あろうことか子反は酒に酔い潰れ、共王の御前に出ることが出来なかった。共王はこれを知って楚軍の敗退を予見し、その日のうちに陣を抜けて首都郢に帰った。
戦後、子反は戦いの最中の失態を子重に責められて自殺する。
勝った晋であったが、?公がこの勝利により増長し、この後の晋に災いが来る事を恐れた士燮は家臣に己を呪わせて死ぬ。その後の?公は威勢を頼んで国内の豪族達を廃して公室の力を取り戻そうと画策し、大族・郤氏の卿三人を殺した。しかし、これで自分達もそうなるのではと恐れた欒書と荀偃によって殺される事になった。
先立っての?の戦いで楚へと傾いていた覇権はこの戦いの勝利により晋へと傾く。?公が殺された後に晋では名君悼公が登場して覇権を確たるものとする。 カテゴリ: 春秋戦国の戦闘
更新日時:2008年8月7日(木)03:26
取得日時:2008/08/13 14:15