1953年の夏にエルヴィスはサン・スタジオで最初の両面デモ・アセテート盤を録音するため4ドルを支払った。収録曲は当時のポピュラーなバラード“My Happiness”と“That's When Your Heartaches Begin,”であった。サン・レコードの創業者サム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーはその録音を聞きエルヴィスの才能を感じ、1954年6月に行方不明の歌手の代理としてエルヴィスを呼んだ。セッションは実り多いものであったかは分からなかったが、サムは地元のミュージシャン、スコッティ・ムーア、ビル・ブラックと共にエルヴィスを売り出すこととした。
1954年7月5日のリハーサル休憩中にエルヴィスは“That's All Right, Mama”をいじくり始め、サムはエルヴィスが適所を得たかもしれないと考えて録音ボタンを押した。即興での演奏でドラムスが不在であったため、ベースをかき鳴らしての演奏となった。B面に“Blue Moon of Kentucky”が収録されたシングルは、WHBQラジオが放送した二日後に、メンフィスでのローカル・ヒットとなった。また、公演旅行は彼の評判をテネシー中に広げることとなった。ラジオを聴いた人たちは黒人歌手だと勘違いしていた。
サンとの契約下でエルヴィスは5枚のシングルをリリースした。
That's All Right / Blue Moon Of Kentucky - Sun 209, 1954年7月19日
Good Rockin' Tonight / I Don't Care if the Sun Don't Shine - Sun 210, 1954年9月25日
Milkcow Blues Boogie / You're A Heartbreaker - Sun 215, 1954年12月28日
Baby Let's Play House / I'm Left, You're Right, She's Gone - Sun 217, 1955年4月10日
Mystery Train / I Forgot To Remember To Forget - Sun 223, 1955年8月6日
これらの多くはリズム・アンド・ブルースまたはカントリー・アンド・ウェスタンのヒット曲のエネルギッシュなカバーであった。レーベルには「エルヴィス・プレスリー、スコッティー・アンド・ビル」とクレジットされた。10曲の中で最短の曲は1.55"、最長のもので2.38"である。
1955年8月18日にエルヴィスの両親はプロデューサーのトム・パーカーとの契約書に署名し、サン・スタジオとの関係は終了した。
エルヴィスは1955年11月21日にRCAレコードと契約した。1956年1月28日に「CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショウ」にてTVに初出演し、黒人のR&Bを歌う。そこで彼は白人らしからぬパフォーマンスを披露したが、これに対してPTAや宗教団体から激しい非難を浴びせられた。しかし、その激しい非難にもかかわらず、それを見た若者たちは、エルヴィスのファンになっていった。1957年
1956年1月27日に第6弾シングル「Heartbreak Hotel / I Was the One」がリリースされた。これは1956年4月にチャートの1位に達した(Heartbreak Hotelはその後数多く登場したミュージシャンに多大な影響を与えた)。
エルヴィスが1977年に死去するまでの21年間に、146曲が100位以内に、112曲が40位以内に、72曲が20位以内に、38曲が10位以内にチャートインした。1962年4月21日から2週連続で1位を獲得した「グッド・ラック・チャーム」を最後にエルヴィスは1位から遠ざかったが、1969年11月1日、「サスピシャス・マインド」が1位を獲得し、「エルヴィスの復活」と言われた。1972年10月28日には「バーニング・ラヴ」が2位まで上り詰めたが、チャック・ベリーの「マイ・ディンガリング」(1972年10月21日から2週連続1位)に阻止された。70年代においてはエルヴィスは一度も1位を取ることはなかったが、2002年にリメイクされた「ア・リトル・レス・カンバセーション」は世界24カ国でナンバー1を取得した。アメリカにおいて1位を獲得したシングルの数は18作〈計80週間〉で、ビートルズの20作〈計59週間〉に次ぐ2位の記録となっている(Billboard誌に準拠)。
レコーディング場所について1950年代はニューヨークにあるRCAスタジオを利用したことがあったが、エルヴィスのキャリアにおいて、主演映画の挿入歌以外のレコーディング場所で最も利用されたのはテネシー州ナッシュヴィルにあるRCAスタジオBである。しかし、1972年以降はハリウッドにあるRCAスタジオや地元メンフィスのスタジオを利用した。更に1976年になると、RCAスタッフがエルヴィスの自宅(グレイスランド、ジャングルルーム)に録音機材を持ち込み、レコーディングを行った。
後年レコーディング自体に関心を示さなくなったのは、RCAのミキシングがエルヴィスの意向にそぐわなかったことや体調不良等の様々な理由があると思われる。しかし、エルヴィスは最後まで一発撮りと呼ばれる1テイク完成型のレコーディング・スタイルにこだわった(いくつかのテイクをつなぎ合わせて一つの曲として発表する形式や曲の別録りといった選択肢もあったが、エルヴィスはそれを嫌い、現在まで発表された曲数が700以上ある中で、そのような形式で発表した曲は少ない)。そのため、エルヴィスの死去後現在まで様々な未発表テイクが発掘されており、その中には発表されたテイクと違った趣向のものもある。後年、レコーディングに関心がなくなった頃は、体調不良を訴え、「歌のレコーディングは後で必ずするからミュージックだけ録音しておいてくれ」と言うこともあったが、ほとんどの場合、それは実現しなかった。
ナンバー1ヒットは全18曲、合計80週間である。曲数はビートルズに次ぐ歴代2位である。週間数に関しては歴代1位である。ちなみに2位はマライア・キャリーの79週。(ビルボードに準拠)Elvis Presley by ⇒Bottelho
全米ナンバー1獲得曲
ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel) 1956年 8週間連続1位
ロックの始まりと言われている曲である。この曲に影響されたアーティストの数は計り知れない。
アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラヴ・ユー(I Want You,I Need You,I Love You) 1956年 1週間1位
ハウンド・ドッグ(Hound Dog) 1956年 11週間連続1位
冷たくしないで(Don't Be Cruel) 1956年 11週間連続1位
ラヴ・ミー・テンダー(Love Me Tender) 1956年 5週間連続1位
トゥー・マッチ(Too Much) 1957年 3週間連続1位
恋にしびれて(All Shook Up) 1957年 9週間連続1位
テディ・ベア(Teddy Bear) 1957年 7週間連続1位
エルヴィスは「なぜこんな曲が7週No.1になったのか?」と疑問に思ったという
監獄ロック(Jailhouse Rock) 1957年 8週間連続1位
ドント(Don't) 1957年 5週間連続1位
冷たい女(Hard Headed Woman) 1958年 1週間1位
恋の大穴(A Big Hunk o' Love) 1959年 2週間連続1位
本命はお前だ(Stuck On You) 1960年 4週間連続1位
イッツ・ナウ・オア・ネバー(It's Now or Never) 1960年 5週間連続1位
今夜はひとりかい?(Are You Lonesome Tonight?) 1960年 6週間連続1位
サレンダー(Surrender) 1960年 2週間連続1位
グット・ラック・チャーム(Good Luck Charm) 1961年 2週間連続1位
サスピシャス・マインド(Suspicious Minds) 1969年 1週間1位
その他
好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love) 1961年 全米2位、全英1位
心の届かぬラヴ・レター(Return to Sender) 1962年 全米2位、全英1位
イン・ザ・ゲットー(In the Ghetto) 1969年 全米3位、全英1位
エルヴィスがそのキャリアにおいて発表した曲の未発表テイクが数多く存在するが、プライベート録音を含め、すべての残されたエルヴィスの音源を聴きたいというファンの要望に応えるべく立ち上げられたものが、主演映画のタイトルから引用した「Follow That Dream」レーベルである。
このレーベルのアルバムは限定生産され、世界中のファン・クラブに優先的に流通させるので一般のCDショップ等に出回りにくい。1999年に第一弾「Barbank'68」(1968年のNBC-TVスペシャルのリハーサルの模様を収録)がリリースされた。