エルヴィス・プレスリー
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アロハ・フロム・ハワイ

1973年1月14日、ハワイ州ホノルルで行われたコンサート。 全世界36ヶ国、15億人以上に視聴され、芸能人で世界で初めて衛星生中継された。「伝説が宇宙から降り注いだ日」といわれている。

ハワイの現地時間の午前0時に始まった。これは日本のゴールデン・タイム(午後7時)にあわせたものである。放送は約2時間続いた。

このコンサートの目的は、「クイ・リー癌基金」のためのチャリティー・コンサートである


死と埋葬エルヴィスの墓

1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレースランドで死去した。ガールフレンドのジンジャー・オールデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3:30に死亡を確認した。42歳没であった。検死後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。75年くらいからエルヴィスは処方された睡眠薬などを誤った使い方で服用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらにデル・“ソニー”・ウェストなどのメンフィス・マフィアのメンバーたちも語っている。グレンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないといっているが、ソニー・ウェストは暴露本を書いて中傷した。違法なドラッグは一切使用していないが、この処方ドラッグの影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。

当初はメンフィスのフォレスト・ヒル墓地で母親の隣に埋葬されたが、遺体の盗掘未遂事件後に、母親と共にグレースランドに再埋葬された。グレースランドには、彼の様々な遺品やピンクに塗られたキャディラック、愛娘の名前をつけた自家用機、コンベア880型、「リサ・マリー号」などが展示されており、現在も世界中からファンや観光客が訪れている。


世界に与えた影響

ヨーロッパにおいて、ロックンロールに対する興味を生じさせた。冷戦下で、彼はヨーロッパ進出を考えていたアメリカのミュージシャンの先駆者になった。世界中のティーンエイジャーは彼の「ダックテール」と呼ばれる横髪を後ろへなで付けるヘアスタイルをこぞって真似し始めた。そして、黒いズボンや緩い開襟シャツといった彼のニュールックは、ファッションの新たな潮流を作り、その大きな需要を生み出した。エルヴィスの影響は、経済大国における大量消費を行う最初のティーンエイジャー世代を生み出した。エルヴィス・プレスリーを慕うミュージシャンに、ドイツオペラ歌手ペーター・ホフマンらがいる。

1977年カーター大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人の国家と、黒人特有のリズムブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」と語った。ジェームズ・ブラウンは「彼は白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」という言葉を書き残している。

アメリカ内務省長官のゲイル・ノートンは2006年3月27日にエルヴィスが約20年間を過ごした、アメリカ合衆国テネシー州メンフィスの邸宅「グレースランド」を国の国定史跡に認定した。認定の式典は一般公開で行われ、娘であるリサ・マリー・プレスリーも出席した。


死後

エルヴィスの急死後、その肖像権は非常に危うい位置にあった。彼はステージ以外の事は人任せであった。肖像権は一応管理はされていたのだが杜撰だった為、金儲けの道具とされ、エルヴィスのイメージを損なうものであっても簡単に商品化出来る状態だった。死去後まもなくして遺族らが膨大なエルヴィスの物的財産を管理する組織を結成、肖像権も管理しようと訴訟を起こした(当時、亡くなった有名人の肖像権の取り扱いは帰属等がはっきりしていなかった)。遺族らは勝訴し、肖像権を手に入れ、以後今日までしっかりと管理されている。

肖像権が管理できるようになって、エルヴィス・プレスリーという名を使い現在まで様々なプロジェクトを世界に向かって発信してきた。エルヴィスのキャリアはサン・レコードからデビューした1954年から死去する1977年である。エルヴィス自身は、もし僕が死んだらファン達は僕の事などすぐに忘れるだろうね、と語っていた。本業の歌の部門では、数多くの未発表テイクが発掘されている。

最近の話題だと新編集された曲が2002年FIFA World Cup KOREA/JAPANの公式テーマソングになったり、未発表映像も発掘され、1968年のTVスペシャルや1973年のアロハ・フロム・ハワイのアウトテイクを収録した完全版がリリースされ好評だった。その他、側近や友人、家族らが語るエルヴィスの人物像に焦点をあてた物や、エルヴィスのゴスペルに対する思いを映像化した物もある。エルヴィスの物まねタレント

それ以外にもエルヴィスをモチーフにした映画の製作や彼の曲が数多くの映画の挿入歌に使用される事も多い。エルヴィスに因んだセリフも数多くの映画の中で聞くことが出来る。ブロードウェイのミュージカルにも取り上げられる等、そのような話題はとどまる事を知らない。

エルヴィスの物まね、または成りきる(演じる)事を生業とする人々が世界に存在し、その数は数百人と言われている。また、エルヴィスを尊敬するアーティストも多く、そのようなアーティスト達が一堂に会したトリビュート・コンサートが実現した。

更に1997年には新たなる試みとして、エルヴィスのコンサート映像を使用し、それにあわせて当時のバンド・メンバーが演奏する「ELVIS THE CONCERT(エルヴィス・ザ・コンサート)」(最近「ELVIS PRESLEY IN CONCERT(エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート)」に名称変更された)のメンフィス公演が行われ、以後全米各地のほか、ほぼ年に1回のペースでアメリカ以外の地域でツアーを行っている。

死後、彼の生存説、目撃情報などが相次いで報告された。年をとったエルヴィスを見たという証言がある一方、若い頃そのままのエルヴィスを見たという証言もある。エルヴィスが生きているという確実な証拠には300万ドル〈約3億4000万円〉が支払われる。もちろん、根拠は全くない。


映画・メディア作品の中のエルヴィス

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このタグは2008年5月に貼付されました。


映画『フォレスト・ガンプ』 - 無名時代のエルヴィスがガンプの家に泊まり、背骨の固定装置を足に着けたガンプの動きにヒントを得て独自のステージパフォーマンスを編み出すというくだりがある。また、劇中でフォレストの母親が「子どもの見るものではない」と当時のエルヴィスに対する親の考えが表されている。

映画『ミステリー・トレイン』(ジム・ジャームッシュ) - エルヴィスのゆかりの地としてメンフィスを訪れる若い日本人観光客のカップルのエピソードが含まれている。女の子のジュンはエルヴィスに心酔している。エルヴィスの亡霊が登場したり、ラジオからエルヴィスの曲が流れたりもする。

映画『スコーピオン』という映画では主人公ら5人の強盗グループがラスベガスで開催されているエルヴィス・プレスリーそっくりさんコンテストの会場にジャンプスーツ姿で現れ、騒ぎに乗じて金を盗み出す場面がある。

映画『ババ・ホ=テップ』(2006)( ⇒Bubba Ho-Tep)(邦題「プレスリーVSミイラ男」)という映画の主人公はブルース・キャンベルが演ずるエルヴィス。エルヴィスは現在も、人知れず南部のとある老人ホームで余生を送っており、1977年に亡くなったのは実はそっくりさんだったという設定。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki