エルサレム
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交通

テルアビブ・エルサレム間は高速道路で1時間、エゲッドバスが急行で1時間3本程度テルアビブの中央バスセンターから出ている。 エルサレム市内はエゲッドバスが網羅している。エゲッドバスはエルサレム中央バスセンターに発着し、そこからヨルダン川西岸を抜け、死海沿岸を通りゴラン高原方面へ北上するものや、同じく死海沿岸のリゾート地を通ってネゲブ方面へ南下するものもある。鉄道は、エルサレム・マルハ駅とロッド、テルアビブを1時間強で結ぶ路線がある。2008年には市内を循環する新交通システムが開通する予定。


歴史主要記事: ⇒History of Jerusalem

紀元前30世紀頃、カナンと呼ばれていたパレスチナにおいて古代セム系民族がオフェルの丘に集落を築いたのが起源とされている。前1000年頃にヘブライ王国が成立すると、2代目のダビデ王によって都と定められた。その後、3代ソロモン王の死後に王国は南北に分裂、エルサレムはユダ王国の都となった。

その後、新バビロニア王国アケメネス朝ペルシアアレクサンドロス帝国セレウコス朝シリアなどの支配を受け、一時はユダヤ人がハスモン朝を建てて自立するものの、まもなくローマ帝国の支配下におかれた。

638年、アラブ軍による征服でエルサレムはイスラーム勢力の統治下におかれ、7世紀末頃、岩のドームが建設された。970年より、シーア派を掲げるファーティマ朝の支配下に入った。しかし、11世紀後半に大飢饉などによりファーティマ朝が弱体化すると、この地をスンナ派セルジューク朝が占領した。この征服を率いた軍人アトスズは、占領時に略奪や異教徒を含む住民の虐殺などを禁止しており、エルサレムの平安は維持されていた。1098年にファーティマ朝が再びエルサレムを奪回するが、まもなく十字軍の軍勢がエルサレムになだれ込み、多くのムスリムやユダヤ教徒の住民を虐殺した。そして、1099年にエルサレム王国を成立させた。しかし、12世紀後半にアイユーブ朝サラディンがエルサレムを奪回し、再びイスラーム勢力の支配下に入った。1229年、当時のイスラーム側における内部対立にも助けられ、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝のカーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせた。しかし、1239年にはダマスクスのナースィルによってエルサレムが奪回されたため、その統治は短期的なものに終わった。

第二次世界大戦後の1947年国連案によって都市は旧市街を含む東エルサレムと、西エルサレムに分断された。第一次中東戦争1967年6月の第三次中東戦争(六日間戦争)を経て、ヨルダンによって占領されていた東エルサレムは現在イスラエル管理下にある。イスラエルは東エルサレムとの統合を主張している。1980年にイスラエル議会により、エルサレムはイスラエルの永遠の首都であるとされたが、国連ではその決定の無効が決議された。


宗教とエルサレム嘆きの壁岩のドーム?

エルサレムは単に地理的にパレスチナの要所であるのみならず、アブラハムの宗教にとっての聖地でもある。

ユダヤ教にとっては、エルサレムはユダ王国の首都であった場所であり、その信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた場所である。幾つかの神聖とされる場所が残っている。中でも嘆きの壁は有名で、これはA.D.70年ローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときに外壁の一部が残されたものである。

キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬され、復活したとされる場所である。それらの場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。

イスラム教にとっては、エルサレムはムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。クルアーンは、マディーナ(メディナ)に居住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちマッカ(メッカ)のカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。伝承によると、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル=アクサー・モスクが建設され、聖なる場所と見なされている。

これらの宗教それぞれにとってエルサレムは重要な都市であるので、エルサレムの帰属の問題はパレスチナ情勢を難しいものとしている一因である。ただし、それぞれの宗教の聖地であることと、領有権とは問題が異なることも忘れてはならない。聖典において、教徒の領有権を唯一主張しているのは、意外にもユダヤ教の旧約聖書だけである。新約聖書においては、「エルサレムがキリスト教徒のもの」とはされていない。イエスはもちろんのこと、弟子たちさえもエルサレムの政治的支配は望んでいなかった[1]。さらにイスラムのクルアーンにおいてさえも、「エルサレムはイスラム教徒のもの」とは書かれていない。逆に、ユダヤ人のパレスチナ領有権を認めている[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki