ウェーク島は中部太平洋における重要な拠点のひとつであったため、日本軍は開戦前からウェーク島の攻略を企図し、主にトラック諸島を拠点にしていた日本海軍第4艦隊がウェーク島攻略に割り当てられた。
1941年(昭和16)12月8日の開戦と同時に攻撃を開始した。8日、海軍陸上攻撃機34機がルオット島からウェーク島を空襲した。同日、クェゼリン環礁からウェーク島攻略部隊(軽巡洋艦夕張、駆逐艦追風、疾風、睦月、如月、弥生、望月、特設巡洋艦金龍丸、金剛丸、第32号哨戒艇、第33号哨戒艇)と援護隊(軽巡洋艦天龍、龍田)が出撃した。日本軍は9日、10日もウェーク島を空襲した。
アメリカ軍は砲台を設置するなどウェーク島の防備を強化しており、4日に空母エンタープライズが海兵隊のF4F ワイルドキャット戦闘機12機を輸送してきたが、このうち8機は日本軍の空襲で破壊された。地上撃破されたF4F戦闘機
10日夜、攻略部隊はウェーク島沖に到着した。その日は波が高く、金龍丸と金剛丸から陸戦隊を乗せた大型発動艇(大発)をおろすのに難航した。そのため、上陸は一旦延期され、攻略部隊は艦砲射撃を行うことにした。11日3時25分にまず夕張が、続いて3時43分に駆逐艦が砲撃を開始した。4時にはウェーク島の砲台が砲撃を開始し、破壊されず生き残っていたウェーク島のF4F ワイルドキャット戦闘機4機も攻略部隊を攻撃した。4時3分、ウィルクス島沖で砲撃を行っていた疾風が轟沈した。これはウィルクス島L砲台によるものと考えられている。5時42分、今度はウェーク本島ピーコック岬沖にいた如月が爆沈した。原因は航空機による爆撃とする説が有力である。(ワイルドキャットが投下した爆弾が、艦橋を吹き飛ばし、甲板上にあった魚雷を爆発させた)日本軍は上陸は困難であると判断し、10時に上陸作戦を中止し撤退した。
日本軍はすぐに2度目の攻略作戦を計画した。攻略部隊には駆逐艦朝凪、夕凪が加えられ、支援部隊として重巡洋艦青葉、衣笠、加古、古鷹、特設水上機母艦聖川丸なども加わった。また、真珠湾攻撃からの帰投途中にあった空母部隊に支援が要請され、空母飛龍、蒼龍、重巡利根、筑摩、駆逐艦谷風、浦風が分派された。日本軍の哨戒艇
攻略部隊は21日朝再度出撃した。21日、22日に飛龍、蒼龍の艦載機による空襲が行われた。これに対し、ワイルドキャット戦闘機も反撃し、指揮官機を撃墜するなど最後の頑張りも見せたが、程なく全機撃墜された。22日21時45分、攻略部隊はウェーク島沖に到着した。しかし、この日も波が高かったため陸戦隊を乗せた哨戒艇2隻が海岸に擱座し陸戦隊を上陸させた。それに続き、金龍丸、睦月、追風からも大発で陸戦隊が上陸した。アメリカ軍の反撃は非常に激しかったが6時30分に指揮官のカニンガム中佐が捕虜となり、それがアメリカ軍の降伏に繋がった。
このとき、アメリカの空母3隻(サラトガ、エンタープライズ、レキシントン)がウェーク島に接近していたが、ウェーク島が占領されたため後退した。占領の時点で、サラトガ部隊がもっともウェーク島に接近していた(ウェーク島の北東約683キロ地点)。
その後、日本はこの島を直轄地として「大鳥島」と命名し統治を行った。
占領後、陸戦隊士官が米士官に対し、飛行場の弾痕を埋める為の作業に、300名の作業員を要求したところ、米士官は3名で十分と言い、怒った陸戦隊士官の何日で出来るか?の問いに1日もあれば十分と言うので、翌日にやらせてみると倉庫からブルドーザーを引き出して、半日で作業を終えたという。このブルドーザーを、見本として日本に持ち帰り試作品を作るが、実用化は出来なかったという。なお、ウェーク島にはブルドーザーの他にパワーショベルもあったが、こちらも当時の日本で実用化されなかったのは言うまでもない。
ウィルクス島での戦闘後、降伏した米士官が、地面に転がっていたナシの缶詰を拾って食べ始めると、日本士官も一緒に食べた。食べ終わると、日本士官がタバコを取り出し、米士官に渡し、二人は肩をならべてうまそうに吸ったそうだ。また、捕虜を飛行場に集めようとしたとしたところ、飛行場の誘導路に埋めてあった管制地雷で自分たちを吹っ飛ばそうとしているのではないか?と勘違いして捕虜が飛行場になかなか集合しなかったこともあった。
1942年(昭和17)2月24日、ハルゼー中将指揮の米第16任務部隊(空母エンタープライズ基幹)がウェーク島を空襲した。加えて、スプルーアンス中将の率いる重巡洋艦ソルトレイクシティ、ノーザンプトン、駆逐艦2隻がウェーク島を砲撃した。
1943年(昭和18)10月5日、6日には、モントゴメリー少将指揮の米第14任務部隊(空母エセックス、ヨークタウン、レキシントン、インディペンデンス、ベローウッド、カウペンス基幹)がウェーク島の空襲及び艦砲射撃を行い、日本軍に大きな損害を与えた。その後は捨石のような存在となり、また食糧の自活も出来ない島だったため、在島の日本兵は次第に飢餓に陥った。多いときでは、1日25名もの日本兵が飢餓で死んでいったという。
ウェーク島はフィリピンや硫黄島、沖縄の各戦いにも関係はしなかったが、それでも気まぐれのように攻撃を受けている。1945年6月20日には機動部隊の襲撃を受け、同年8月1日には沖縄に向かう途中のペンシルバニアの艦砲射撃を受けているが、日本側も反撃してペンシルバニアに損傷を与えている。