ニュージーランドの主要な金融機関はウェリントンとオークランドに分かれ、幾つかの企業は本社を両都市に置いている。ウェリントンはニュージーランドの政治の中心地であり、議会とすべての行政機関の本庁舎が置かれている。
またウェリントンは、ニュージーランドの映画・演劇産業の中心地である。テ・パパ(Te Papa ニュージーランド国立博物館)、ニュージーランド交響楽団 (New Zealand Symphony Orchestra)、そしてロイヤル・ニュージーランド・バレエ団 (Royal New Zealand Ballet) が本拠地を置いている。隔年でニュージーランド国際アートフェスティバル (New Zealand International Arts Festival) も開催される。
小さくまとまった都心部では、都市の大きさのわりに大規模なアートシーンやカフェ文化、ナイトライフが展開されている。
ウェリントンの名前は、ワーテルローの戦いでナポレオン1世に勝利した初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーに敬意を表してつけられたものである。そしてその「ウェリントン」の爵号は、イングランド・サマセット州のウェリントンという町の名に由来する。
マオリ語ではウェリントンは2つの名前で呼ばれる。「テ・ワンガヌイ=ア=タラ (Te Whanganui-a-Tara)」はウェリントン港を指すもので、「タラ(ポリネシアの神話に登場する女神)の大いなる港」を意味する。もう一つの名称の「ポネケ」の方は、港のかつての名称「ポート・ニコルソン (Port Nicholson)」を縮めた愛称である「ポート・ニック (Port Nick)」の音訳でしかないと信じられているため、必ずしもマオリ語名とは言えないとされることも多い。
ウェリントンの都市圏は単独の地方自治体の境界を大きく越えて広がっている。「大ウェリントン (Greater Wellington)」あるいは「ウェリントン地域 (Wellington Region)」と呼ばれるのは、都市圏全体に加え、それを構成する市の市街地以外の部分、カピティ海岸 (Kapiti Coast)、それにリムタカ山脈 (Rimutaka Range) を挟んでワイララパ (Wairarapa) に至る範囲である。
ウェリントン地域に最初に定住したマオリ人はこの地を「テ・ウポコ・オ・テ・イカ・ア・マウイ(意味は「マウイ(マオリの神話に登場する英雄)の魚の頭」)」と呼んでいた。伝説によればクペ(ニュージーランドに移住した英雄で、ニュージーランドを「アオテアロア(長い雲のたなびく島)」と命名したことで知られる)が10世紀ごろにこの地域を発見し、探検したと言われる。
ヨーロッパ人の移住は、1839年9月20日に「ニュージーランド会社 (New Zealand Company)」の先遣隊が帆船「トーリー (Tory) 号」に乗って到来したことで始まり、続いて150人の移住者が帆船「オーロラ (Aurora) 号」に乗って1840年1月22日にやってきた。移住者ははじめ、ハット (Hutt) 川河口の平らな一帯であるペトネ (Petone) 地区(当初彼らはブリタニア (Britannia) と呼んでいた)に居を構えた。やがてそこが湿地で洪水にも襲われやすいことがわかったために移転したのだが、移転先はもっと起伏の多い場所だったにもかかわらず、ペトネでの開発計画がそのまま適用された。だから、ウェリントンには丘の斜面をまっすぐに登る、極度に急勾配の街路が幾つかあるのである。
1848年の一連の地震と、1855年の地震のため、ウェリントンは深刻な被害を受けた。1855年ワイララパ大地震 (1855 Wairarapa earthquake) は、ウェリントンの北から東へと走る断層によって引き起こされた。この地震はおそらくニュージーランドの有史上最大の地震と位置付けられ、規模は少なくともマグニチュード8.2と推測される。 この地震で、広範囲の土地の標高が2mから3mほど変化し、港の外の海底が隆起して干潟になるという現象も起こった。。この土地の多くはその後に干拓され、いまはウェリントンの中心業務地区の一部となっている。 このような理由で、ラムトン・キー(Lambton Quay; quayとは「埠頭、波止場」の意)という名の通りが、現在では港から100mないし200m離れた場所を走っている。ラムトン・キーの歩道には、1840年当時の海岸線の位置を示す銘板がはめ込まれており、隆起とその後の干拓の規模を伝えている。
この地域は、ニュージーランドの基準に従っても地震活動が活発で、大きな断層が町の中心を走っており、周辺にも幾つかの断層がある。小規模な断層になると、数百本が都市圏内で確認されている。住民は、高層階に住む人は特にそうだが、たいてい毎年数回は地震を体感する。1855年の地震以後の長い歳月、ウェリントンの建造物の過半は木造であった。1996年にウェリントン駅と国会議事堂の付近一帯の政府庁舎が改修され、これらが南半球で最大の木造オフィスビルとなっている。その後、特にオフィスビルの建設では、コンクリートや鋼材なども構造に用いられるようになってきたが、住宅建設では依然としてほぼすべて、材木の枠組みがもっとも基礎的な構成要素となっている。住民たちはまた、20世紀の間しだいに厳しくなっていった建築基準が効力を発揮することに生き残りの期待をかけてもいる。
1841年にウィリアム・ホブソン (William Hobson) が首都に定めたオークランドに代わり、1865年にウェリントンはニュージーランドの首都となった。1862年7月7日に初めてウェリントンで議会が開かれたが、この街が公式に首都になるにはその後しばらくかかった。1863年11月、アルフレッド・ドーメット (Alfred Domett) が(オークランドの)前の議会に「政府の所在地を、クック海峡沿岸のどこか好適な地へ移すことが必要となった」という動議を提出した。南島が金鉱脈の存在を背景に別個の植民地を形成するのではないかという懸念が明らかにあったのである。オーストラリアから派遣された弁務官(中立の立場ということで選ばれていた)は、良港が存在し、国土の中央に位置することから、ウェリントンが首都にふさわしいという意見を述べた。1865年7月26日、議会は初めて公式にウェリントンに置かれた。当時のウェリントンの人口は4900人であった。
ウェリントンはまた、ニュージーランドの最高裁判所の所在地でもある。歴史的な高等裁判所の建物が今後改装され、最高裁判所として用いられる予定である。
地勢と統計人工衛星によるウェリントンの写真。1: ウェリントン、2: ロウワー・ハット (Lower Hutt)、3: アッパー・ハット (Upper Hutt)、4: ポリルア (Porirua)。以上の4市がウェリントン都市圏 (urban area) を構成する
ウェリントンは北島の南西端に位置し、北島と南島を分ける水路であるクック海峡に面している。晴れた日には、雪を被ったカイコウラ山脈 (Kaikoura Ranges) を海峡の向こうの南側に見ることができる。北にはカピティ海岸 (Kapiti Coast) の黄金の浜が伸びている。東側はリムタカ山脈 (Rimutaka Range) が、全国的に名高いワイン産地であるワイララパ (Wairarapa) の広大な平原からウェリントンを隔てている。
緯度は南緯およそ41度である。港と、街を取り囲む丘陵地に挟まれ、市街地を形成できる土地が少ないため、ウェリントンはニュージーランドのほとんどの都市よりも人口密度が高い。「強風の南緯40度 (Roaring Forties)」と呼ばれる緯度に位置していることと、クック海峡を渡って常に吹きつけてくる風にさらされていることから、ウェリントンはニュージーランド人の間では「風のウェリントン (Windy Wellington)」として知られている。
ウェリントンでの生活は中心業務地区が活動の中心となる。