1365年創立のウィーン大学は現在のドイツ語圏最古(プラハのカレル大学が創設時はドイツ語圏)・最大の大学であり、教官や卒業生から11名のノーベル賞受賞者を輩出している。エゴン・シーレらの出身校であるウィーン美術アカデミーはヒトラーが受験して合格できなかったため、後に独裁者になる道を開いてしまったことでも知られる。サリエリが初代学長だった歴史があるウィーン国立音楽大学および、戦後市によって設立されたウィーン音楽院は多くの著名なクラシック音楽の演奏家を輩出している。この他に国立大学としてはウィーン経済大学、ウィーン工科大学、ウィーン農科大学、ウィーン医科大学(旧ウィーン大学医学部)、ウィーン獣医大学、クリムトの出身校であるウィーン応用美術大学がある。かつてウィーン大学医学部は医学研究において世界的な中心のひとつであり、日本からも斎藤茂吉らが留学した。 しかし、第二次大戦後はユダヤ人学者が流出したことや鉄のカーテンにより東欧からの人材の流入がとまったことや、アメリカの大学が発展をとげたことにより、学問の中心としてのウィーンはその地位を失った。 現在、再び東欧圏などからの学生の流入が多くなり学生数は著しく増加傾向にある。 経済大学(WU)はブラターのメッセの南側に移転することが決定された。
従来のオーストリアでは大学は全て国立であったが、今世紀に入って私立大学(Privatuni)を認める制度が出来たため、 多くの私立大学が設立されている。ウィーン音楽院(市立)やリンツのブルックナー音楽院のように既存の学校がこの制度で大学となったところも多い。
近年のオーストリアは科学技術立国の方向を強めており研究費のGDP比を増加させている。 トップレベルの科学技術研究施設を目標に、Institute of Science and Technology Austriaを設立した。ウィーン郊外Klosterneuburgに建設され、博士課程の学生およびポスドクを受け入れる。教育、研究は英語で行われる。
ウィーンではモーツァルト、ベートーヴェンをはじめ、数多くの作曲家が活躍し、「音楽の都」と呼ばれている。
歌劇場・コンサートホールウィーン国立歌劇場
ウィーン国立歌劇場
世界で最も有名な歌劇場の一つ。
ウィーン・フォルクスオーパー
オペレッタを上演する劇場。
ウィーン楽友協会(ヴィーナー・ムジークフェライン)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地
ウィーン・コンツェルトハウス
ウィーン交響楽団の本拠地
アン・デア・ウィーン劇場 最近オペラが上演されるようになった。
ローナッハー
演奏団体
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ウィーン・フィル) - ウィーン・フィルは、ウィーン国立歌劇場でオペラの伴奏を行うウィーン国立歌劇場管弦楽団が、それ以外の演奏会で演奏するときの名前である。数あるオーケストラの中でも最も有名なオーケストラの1つである。本拠地はウィーン楽友協会グローサーザール。また、マーラーの交響曲第8番など大規模編成を要する曲を演奏する場合などのように、やや大きな舞台を持つコンツェルトハウスで演奏会を行うことも少なくない。
ウィーン交響楽団 - 1900年創設。本拠地はコンツェルトハウスだが、ウィーン楽友協会でも相当数の演奏会を行っている。
トーンキュンストラー交響楽団
ウィーン放送交響楽団
ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団 - 例年年末年始に来日し、サントリーホールのジルヴェスターコンサートにも出演する。
ホーフブルクカペレ
ウィーン室内管弦楽団
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス - 1953年に指揮者ニコラウス・アーノンクールが結成した古楽器オーケストラ。
アルバン・ベルク弦楽四重奏団 - 現代最高の弦楽四重奏団の1つ。ウィーン音楽大学教授でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターも務めていたギュンター・ピヒラーが同僚と結成。なお、2008年限りで活動を停止する予定。
ニューイヤーコンサート - 毎年元日のマチネーに行われるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート。シュトラウス一家を中心にしたワルツやポルカが曲目のほとんどを飾る。
舞踏会の街でもある、ウィーンでは数多くの舞踏会がカーニバル(ファッシング)シーズン中に開かれている。
皇帝舞踏会
花の舞踏会
ウィーンフィルの舞踏会
オペラ座舞踏会・オーパンバル
カフェハウスオーナーの舞踏会