ウィキペディアは比較的大規模なプロジェクトであり、運営方針や編集・執筆方針などについて多くの問題を抱えてもいる。編集・執筆のレベルでは、非登録ユーザーを含む多くのユーザーに開かれているが、同時にルールが一切存在しないわけではなく、また、そうしたルールを定めるための意思決定が行われないわけでもない。
プロジェクトはその初期ジミー・ウェールズおよびインターネット会社 “Bomis” によって資金を提供されていた。“Bomis” は彼が以前CEO(最高経営責任者)を務めていた会社である。後に財団が設立されてからは、寄付金や外部の団体から無償提供されたハードウェアの占める割合が増えた。運営団体によるハードウェアの購入は2004年以降、全額寄付金に依存している。ウェールズが2004年からCEOを務める企業 “Wikia” からも帯域の経費などの資金援助がなされている。
記事が中立的な観点から書かれるべきだとする方針も、ウェールズによって全ウィキペディアの共通方針だと定められた。また、ウェールズは、後述するプロジェクト全体の問題についての議論に参加し、質問や意見を述べ、あるいは採決に加わる。彼の発言は必ずしも議論を終結させるものではないが、その意見は他の参加者の意見よりも尊重される傾向にある。
ウェールズはまた英語版の運営については比較的具体的な問題に関しても意見を述べる傾向がある。英語版の初期には、登録済ユーザーのアカウントを停止する場合には、彼の了承を得るようにとの要請があった(2004年以降、この決定は選任されたユーザ代表に任されている)。他言語のウィキペディアで同様の問題が発生した場合にどうなるべきかについては特に明確にされていない。一方ウェールズが英語以外の言語は話さないこと、利用者の自治を尊重することもあり、英語以外の言語版の運営にウェールズが積極的な関与を行うことはほとんどない。ただしウェールズが利用者の紛争の調停に当たったり、あるいは利用者のアクセス権限についての決定を行う場合もある。これは関係者がみな英語を解する場合、かつ自治の枠組が問題の解決においてうまく機能していない場合に行なわれることが多い。
ソフトウェア開発のモデルである「善意の独裁者」をウィキペディアに当てはめることがしばしば行われる。ウェールズはこれを否定しないが、一方でウィキペディアが常につねに編集可能であることにより、自身の関与が常に及ぶわけではないことをもって、自分は厳密な意味でこうしたモデルにはあてはまらないと発言している。
開発者権限やサーバへのアクセス権限などは一部の人物に限られている。ソフトウェアの改変や非常時の対処などは彼らに任されているが、基本的には自由参加型であるため、一定期間の活動を経て信用を築いた者にはそうした権限が与えられることになる。また、ソフトウェアの仕様変更については開発者とそれ以外の利用者を含めた公開・自由参加型の議論が行われている。
プロジェクト全体の問題は、公開のメーリングリストで扱われる。基本的には全て英語で、ごく稀にフランス語などが混ざる。議題には、各言語のウィキペディアの記事数の集計方法、新しい言語のウィキペディアの発足、デザインや機能の変更、運営上の方針やユーザー間の争いの調整、法律問題などが含まれる。この議論は複数のリストで行われるが、誰でも参加、発言できるようになっている。またアーカイブはインターネット上で公開されている。
ウィキペディア全体の話題を扱うメーリングリストのほか、各言語プロジェクト固有の話題を扱うメーリングリストが存在する場合もある。
またメタ・ウィキメディアという、ウィキメディア財団(後述)のプロジェクト全体を扱うウェブサイトがある。メーリングリスト以外に、ここでも全言語版共通の問題、あるいは他プロジェクトと共通の話題が取り上げられる。運営団体であるウィキメディア財団の将来計画などは、このメタ・ウィキメディアで公開され、質問や議論が行なわれる。話題はまた財団の運営に関する別のメーリングリストでも話しあわれる場合がある。
各言語版毎に管理者がおり、一定の権限が与えられている。管理者は通常、その言語のウィキペディアの初期段階での立候補やそのウィキペディアの参加者内の議論などによって決まる。権限にはページの削除、ページの保護(管理者以外には編集できなくなる)、「荒らし」とみなされたユーザーの投稿ブロックの方針などがある。ただし、ウィキペディアの各言語版の多くでは、削除などのプロセスは参加者や関係者の話し合いによって決まり、管理者は独自の裁量に基づいて行動するという形をとらないことが多い。
執筆方針については、項目名の付け方、フォーマットや表記上の諸問題に関して多くの方針が存在している。これらの大半は利用者間の話し合いで決定、改変されるもので、各言語によって異なる。また、これらの内にはガイドラインという位置付けになっており、必ずしも万人が常に従うべきルールであるとはされていないものがある。これは部分的には、これらの方針を知らない参加者からの投稿も積極的に受け付けるためであり、ガイドラインに通じた常連投稿者などが新規参加者の投稿を編集することが比較的容易であるためでもある。
記事の内容について関係者間で論争が起きた場合には基本的にノートページでの話し合いが行われる。最終的にはウィキペディアの最も重要なガイドラインの一つ「中立的な観点」に従い“両論併記”によって決着することが求められる。
主要人物ジミー・ウェールズ ウィキペディアの創始者。愛称はジンボ。1966年生まれで現在アメリカのフロリダ州在住。妻と娘が一人おり、父親としての顔も持つ。
ウィキペディアは多くの場面で参加者一般を強調し、特定のリーダー、所有者、最終決定権の保持者、などを強調しない傾向にあり、コミュニティ参加者の共同作業、共同自治などを謳うことも多い。
特殊な役割を担った人物として例外的にしばしば言及される者に、ラリー・サンガーとジミー・ウェールズがいる。両者はウィキペディアの創設者であり、ラリー・サンガーはプロジェクトの発足から1年と数ヶ月の間、賃金の支払いを受けた参加者だった。このせいもあって、彼は折に触れてほかのメンバーから仲裁役を頼まれることもあったとされる。また彼は、ウィキペディアに先立って発足した査読制度付のオンライン百科事典作成プロジェクト「Nupedia(ヌーペディア)」の編集主幹も勤めた。
ジミー・ウェールズはプロジェクトの出資者であり、発足当初から、サーバやインターネット・トラフィックの料金を支払ってきた。ウィキペディアは彼を「寛大な独裁者」として戴くコミュニティ自治の集団である、と形容されることがある。項目の中立性の方針など、ごく一部の件については、議論の余地なく重要かつ不変のプロジェクトの方針であるとウェールズは宣言している。また、登録ユーザーのアクセス禁止処分の決定についても彼が最終的な判断を下すとしている。これは英語版で特に顕著であり、ユーザーのみの決定によるアクセス禁止は最長で1年とされている。
ジミー・ウェールズはインターネット関連会社 “Bomis” の前最高経営責任者 (CEO) である。プロジェクトに協力している同社の関係者の中には、他にもティム・シェル(同社の共同創立者、現最高経営責任者、ウィキメディア財団理事)や、プログラマのジェイソン・リッチー(後に退社、現Wikia)、トアン・ヴォーがいる。
2006年10月にウェールズはプロジェクトの運営母体ウィキメディア財団理事長の職を退いて終身名誉理事長となり、後任としてフロランス・ドゥヴアールが理事長に就任した。フロランスは任期の切れる2008年6月の理事選挙に立候補せず、翌7月に理事を退任するとともに理事長の席を ⇒マイケル・スノウに譲った。