インドの仏教
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インド社会との交流史


ヴェーダとの交渉

アーリア人の発祥地は不明である。これはかなり怪しいが、現在のドイツ周辺部から東行して、イランからインドに入ったという説もある。おそらくは、カスピ海周辺部の遊牧民族の一部が南下東行して前2000年頃インドに入ったと考えられている。そのころにはインダス文明が栄えていたが、ほぼアーリア人に制圧された。前1500年頃にはパンジャーブ地方に進行し国の基礎を築いたとされる。このころから数世紀にわたって作り上げられたのがヴェーダである。この教典によって成立したのがヴェーダの宗教バラモン教)であり、そこには支配者としてのアーリア人によって作られた規範が盛り込まれている。前1000年頃になると、祭式をとりしきるバラモン(司祭)の力が増大し、カースト制度が成立したのもこの頃と思われる。

このバラモンの力があまりに強固になったので、祭式至上主義を批判する者たちからウパニシャッド哲学が起こってきた。この新たな運動は、バラモンが優位に立っていた政治的制度的力を再検討し、本来のヴェーダに回帰しようとの動きでもあった。このような運動がおし進められて、さらにはヴェーダそのものからも自由になろうとする沙門(シュラマナ、出家した行者)と呼ばれる自由思想家たちが登場する(六師外道)。釈迦もその一人であった。当時の沙門たちの基本的な方法論は、瞑想などの修行によって、認識論的にすべての束縛からの解脱を求めようとするものである。それは、ヴェーダやウパニシャッドからも解脱しようとするものであった。


興隆期

マウリヤ朝のアショーカ王によりインドの国教として選ばれインド全体に広まった。アショーカ王は最初から仏教徒であったわけではなく、インドを統一後に自分の行った殺戮を後悔して仏教に改宗したといわれている。アショーカ王は仏教を保護し、仏教の布教を援助した。

また、当時はローマ帝国との東西交易によりインド経済が発展・繁栄し、ビジネスで成功した富裕層(長者)が仏教に帰依・支援していたこともインド仏教の興隆の社会的要因の一つである。


没落期

5世紀頃から11世紀頃にかけてインドにおける仏教の弾圧があり、インドから仏教徒は一掃された。インド仏教への弾圧はマウリヤ朝の崩壊とともにはじまり、インド北部から南部へ、西部から東部へと広まった。マウリヤ朝の崩壊とともに、新しく誕生したグプタ朝ヒンドゥー教を国教とした。また、4世紀から5世紀にかけてローマ帝国(西ローマ帝国)が衰退・崩壊すると、当時ローマ帝国(西ローマ帝国)との東西交易で成功していた富裕層(長者)は仏教の有力な支持層であったが社会的・経済的に没落していったため、それに替わってヒンドゥー教徒のバラモンの勢力が社会的に影響力を増した。当時のヒンドゥー教は、バラモン教と土着の宗教との融合が進んで萌芽を迎えていた。ただし、まだこの時点では、仏教やジャイナ教シーク教などは包含されていない。

14世紀以降はインド亜大陸の政治的実権がイスラム教徒に移り、偶像崇拝を否定する名目で仏像や仏教寺院の破壊や、非暴力主義の仏教の僧侶尼僧に対する虐殺、あるいは仏教徒のイスラム教への半強制的な改宗が行われた。また後期インド仏教はヒンドゥー教の影響を受けてタントラ密教化していたが、かえってヒンドゥー教との間での信徒獲得の競合に敗れ去った。さらにヒンドゥー教では、仏陀がヴィシュヌ神の化身の一つであり、誤った教義である仏教で悪神アスラ阿修羅)群を惑わしてアスラ群から聖典ヴェーダを守護する方便としてのインチキ教祖として矮小化されてバーガヴァタ・プラーナに描かれており、このことも大衆の間でインド仏教の人気凋落に拍車をかけた。

インド仏教の崩壊後も、ミャンマーに近いベンガル地方では戒律を重視する上座部仏教の集団が近世まで非常にわずかながらも存続したが、後期インド仏教であるタントラ仏教や後期密教はネパールチベット地方に伝播してインドからは姿を消していった。

19世紀後半、イギリス人によって提婆達多の系列という森林修行者の集団が報告されている。このことは結集に参加しなかったグループがおり、この時期まで存続していたということなのかもしれない。現在は不明。


その後の仏教徒の歴史

南インドからスリランカに移動し仏教を続けた。

スリランカの仏教


北インドからネパールやチベット、ブータンに移動し仏教を続けた。

ネパールの仏教 | チベット仏教 | ブータンの仏教


東南アジアに移動し仏教を続けた。

東南アジアの仏教


中国に移動した。

中国の仏教

中国禅の文献にマハカーシャパの系列とされるボーディダルマが、船で中国に伝えた教えが禅宗となったとされる。

ヒマラヤを越えて中国に渡った説もある。



インドから西に逃げてアフガニスタンなどで仏教を続け、後にイスラム教に改宗した。

インドに残留してヒンドゥー教に改宗し最下層の階級(シュードラ:労働階級。奴隷と訳されることもある)に組み込まれた。その後に一部がイスラム教に改宗した。


現在

ヒンドゥー教徒に比べるとマイノリティーであるが、新しいインドの仏教徒が増えてきている。近代に入って、ダルマパーラら大菩提会の運動によるスリランカからの仏教再移入があり、被抑圧カースト(いわゆる不可触民)の集団改宗があったとされる。

またインド独立直後、ビームラーオ・ラームジー・アンベードカル ( ⇒B. R. Ambedkar) の率いた社会運動によって、およそ50万人の被抑圧カーストの人々が仏教へと改宗した(新仏教運動)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki