インディアン
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概要

一括りに呼ばれる事も多いこれらの人々ではあるが、実際には多くの部族が存在し、また部族に固有の文化形態や社会様式を持つ事から、様々な時期に様々な経路を通って段階的に渡来した人々の末裔であると考えられている。 ただ、このことを強調し、「インディアンも白人と同じように、北米大陸の外から来たんじゃないか」として、白人に土地収奪正当化の言質を取られることが多く、「先住民」としての伝承文化、独自性を台無しにされるとして一般的にこの話題はインディアンには嫌われている。上記の「ファースト・ネイション」の「ファースト」には、これを踏まえた「最初からいた人たち」という強い意味を含んでいる。

人種的にはモンゴロイドの系列にあるとされるが、アラスカ州、北カナダ、では東北アジア人の顔つきに近い。アメリカ合衆国中南米やそれに近い地域においては東南アジア人に似た部族も存在する等、一様ではない。また、ヨーロッパ人(コーカソイド)との混血、アフリカ黒人ネグロイド)との混血が進んだ部族も存在している。

なお、頭にワシの羽をつけ顔に化粧をするといったステレオタイプは、主に西部劇に登場する大平原のインディアンが戦いに臨んで威容を表わす為の(撮影所の美術係がデザインした)スタイルが元になっている。この映画に登場するステレオタイプは非インディアンの間で余りにももてはやされたがために、本来羽根冠の習俗のない部族にまで、このスタイルが採り入れられるようになっていった。初期のハリウッド映画では専ら白人開拓者の敵役とされたが、後年は逆に英雄視する作品が増えた。

また、『アメリカインディアンの教え』など、その家庭教育を道徳教材に用いた書籍もある。


人口

2000年の国勢調査で「自分はアメリカインディアン又はアラスカの先住民」と申告したアメリカ人は247万人で10年前よりも26%増加していた。さらに一部先住民の血を引くとした者は160万人だった。居留地で暮らすインディアンはほんの一握りで、残りは都市部など別の場所で暮らし、アメリカ社会に何とか溶け込んでいる。こういった保留地外の白人の町で暮らすインディアンは、「シティー・インディアン」と呼ばれる。 特にニューヨークは全米の都市の中で最も多くの先住民が住み、約8万7000人ものインディアン(モホーク族モヒカン族など)がニューヨークで暮らしていると言われている。

2003年のアメリカ国勢調査局によると、アメリカ合衆国全体のネイティブアメリカンの人口、2.786.652名の三分の一が、3つの州に居住している(カリフォルニア州413,382名、アリゾナ州294,137名、オクラホマ州279,559名)。2000年の時点での調査では、部族ごとに見ると、最大の人口を持つ部族はナバホチェロキーチョクトースーチペワアパッチラムビー、ブラックフィート( ⇒Blackfeet)、イロコイ、そしてプエブロである。ネイティブアメリカンを先祖に持つアメリカ人はおよそ80%が混血である。2100年までには、10人のうち9人が混血になると見込まれている。

数ある混血の問題では、黒人との混血ブラック・インディアンが、根強い摩擦の種になっている。彼らはインディアンたちの中でも差別され、踊りのリズム感の違いから、儀式から締め出されるなど排除されることが多い。近年、チェロキー族カイオワ族などはこれを部族員として認める裁定をしている。

20世紀初頭から、連邦政府は「血が薄まった」ことを理由に、多数の部族を絶滅認定し、条約交渉を打ち切る「絶滅政策」を採ってきた。こうして1954年から1966年までの間に、全米で100以上の部族が「絶滅」部族として解散させられた。これに対し、1960年代からレッド・パワーとともに「何分の一までの混血なら部族員とみなす」と、部族独自の混血度の規定を設け、散り散りになった部族員を再結集して、連邦に部族の再認定を迫る動きが盛んになった。ニクソン政権下でひとまずこの部族解消方針は打ち切られ、メノミニー族、ピクォート族が復活した。が、ニクソン失脚後の議会は再び「絶滅政策」を打ち出し、これ以外の部族は現在も、アメリカ内務省を相手に頻繁な訴訟を伴う再認定交渉を強いられている。

この再認定要求の流れとして、混血度の高い部族ほど、規定を緩めて再結集しようとする傾向があり、ふた桁以上の混血度でも正部族員と認める部族もある。(この規定でいけば、ビル・クリントンも正式なインディアンということになる)年々この要求は広がりつつあり、連邦側も対応に苦慮している。とはいえ、混血と同化を押し付けてきたのは連邦政府のほうである。

インディアンに対する年金支給などを目当てに、非インディアンがインディアンの身分を偽造し、成りすます例も多い。また、著名なインディアン俳優アイアンアイズ・コディ酋長(実際はイタリア移民だった)など、単純に憧れからの成りすましも多い。こういったニセモノの発言が、インディアン文化の理解を混乱させる例も多い。


文化・思想

一様の民族では無いため、一概にその文化を語る事は適切ではない。

多くの部族がトウモロコシを主食とし、インゲンマメカボチャウリなどを栽培していた。狩猟、漁労、採集と農業を組み合わせる部族が多く、プエブロを除けば多くの部族が程度の差はあれ移動性の生活を送っていた。ヨーロッパ人と接触する以前の家畜はシチメンチョウだった。犬は現在も、部族によって儀式などで食材とされている。

大平原では、メキシコ経由でスペイン人によってが持ち込まれるまでは、ティーピーなど家財道具を乗せるトラボイを運搬するのは犬の仕事だった。馬の登場によって、大平原部族は乗馬を生活に取り込み、「ホース・インディアン」と呼ばれるようになった。馬による運搬・移動力の劇的向上はティピーの大型化も可能にし、さらにバッファロー(アメリカバイソン)の狩りを盛んにしたうえ、各部族の勢力図をも塗り替えていった。

平原とその周辺の部族にとって、バッファローは衣食住の柱であり、宗教儀式に欠かせない霊的な存在だったが、19世紀末に白人はインディアン制圧のため、これを意図的に野生界から絶滅させた。現在、国立公園のバッファローは、定数を超えると植生を「保護」するためとして射殺処理されており、また隣接の白人の農場に迷い込んだバッファローは、白人農場主によって誰の許可を得ることもなく自由勝手に射殺されている。インディアンにバッファローの狩猟を禁じながらのこのダブルスタンダードに、インディアン権利団体は「ばかばかしい(ridiculous)虐殺である」として抗議運動を続けている。

一方、年間かなりの頭数に上るこの「余剰分のバッファロー」をインディアン部族が引き取り、彼らの保留地内で「バッファロー牧場」として繁殖を図る動きが全米のあちこちで試みられており、「ITBC(インタートライバル・バイソン・コーポレーション」)として組織化され運営されている。イエローストーンでは、本来ここを狩りの場としていたショーショーニー族などが伝統としてのバッファロー狩りを公園側に要求し、近年これを実現させている。

南西部のプエブロ諸族やナバホ族は、19世紀初め頃からスペイン人の持ち込んだヒツジの放牧を行うようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki