世界食糧計画(WFP)の統計(2003年)によると、イラクの農地は国土の13.8%を占める。天水では農業を継続できないが、ティグリス・ユーフラテス川と灌漑網によって、農地を維持している。13.8%という数値はアジア平均を下回るものの世界平均、ヨーロッパ平均を上回る数値である。
農業従事者の割合は低く、全国民の2.2%にあたる62万人に過ぎない。農業従事者が少ないため、一人当たり16.2haというイラクの耕地面積は、アジアではモンゴル、サウジアラビア、カザフスタンに次いで広い。
同2005年の統計によると、主要穀物では小麦(220万トン)、次いで大麦(130万トン)の栽培に集中している。麦類は乾燥した気候に強いからである。逆に、米の生産量は13万トンと少ない。
野菜・果実ではトマト(100万トン)、ぶどう(33万トン)が顕著だ。商品作物としてはナツメヤシ(87万トン)が際立つ。エジプト、サウジアラビア、イランに次いで世界第4位の生産数量であり、世界シェアの12.6%を占める。畜産業では、ヤギ(165万頭)、ウシ(150万頭)が主力である。
ナツメヤシはペルシャ湾、メソポタミアの砂漠地帯の原産である。少なくとも5000年に渡って栽培されており、イラク地方の農業・経済・食文化と強く結びついている。とくにバスラとバクダードのナツメヤシが有力。バスラには800万本ものナツメヤシが植わっているとされ、第二次世界大戦後はアメリカ合衆国を中心に輸出されてきた。イラン・イラク戦争、湾岸戦争ではヤシの木に被害が多く、輸出額に占めるナツメヤシの比率が半減するほどであった。バクダードのナツメヤシは国内でもっとも品質がよいことで知られる。
イラクで栽培されているナツメヤシは、カラセー種 (Khalaseh)、ハラウィ種 (Halawi)、カドラウィ種 (Khadrawi)、ザヒディ種 (Zahidi) である。最も生産数量が多いのはハラウィ種だ。カドラウィ種がこれに次ぐ。カラセー種は品質が最も高く、実が軟らかい。ザヒディ種はバクダードを中心に栽培されており、もっとも早く実がなる。実が乾燥して引き締まっており、デーツとして輸出にも向く。
イラクの工業は自給的であり、食品工業、化学工業を中心とする。食品工業は、デーツを原料とする植物油精製のほか、製粉業、精肉業、皮革製造などが中心である。繊維産業も確立している。化学工業は自給に要する原油の精製、及び肥料の生産である。重油の精製量は世界生産の1%から2%に達する(2002年時点で1.6%)。一方、建築材料として用いる日干しレンガ、レンガはいまだに手工業の段階にも達しておらず、組織化されていない個人による生産に依存している。
製鉄、薬品、電機などの製造拠点も存在するが、国内需要を満たしていない。農機具、工作機械、車両などと併せ輸入に頼る。
原油確認埋蔵量は1,120億バレルで、サウジアラビアに次ぐ。米国エネルギー省は埋蔵量の90%が未開発で、掘られた石油井戸はまだ2,000本に過ぎないと推定。 2003年時点の総発電量295億kWhの98.5%は石油による火力発電でまかなっている。残りの1.5%はティグリス・ユーフラテス川上流部に点在する水力発電所から供給された。
イラクの送配電網は1861年にドイツによって建設が始まった。19世紀、イギリスとドイツは現在のイラクがあるメソポタミアへの覇権を競っていた。鉄道と電力網の建設はドイツが、ティグリス・ユーフラテス川における蒸気船の運行はイギリスによって始まった。
イラクは鉄道が発達しており、国内の主要都市すべてが鉄道で結ばれている。2003年時点の総延長距離は2200kmだ。旅客輸送量は22億人キロ、貨物輸送量は11億トンキロに及ぶ。イラクの鉄道網はシリア、トルコと連結しており、ヨーロッパ諸国とは鉄道で結ばれている。バクダットとアナトリア半島中央南部のコニアを結ぶイラク初の鉄道路線はドイツによって建設されている。
一方、自動車は普及が進んでおらず、自動車保有台数は95万台(うち65万台が乗用車)に留まる。舗装道路の総延長距離も8400kmに留まる。
イラクの貿易構造を一言で表すと、原油と石油精製物を輸出し、工業製品を輸入するというものである。2003年時点の輸出額に占める石油関連の比率は91.9%、同じく輸入額に占める工業製品の割合は93.1%であるからだ。同年における貿易収支は輸出、輸入とも101億ドルであり、均衡がとれている。
輸出品目別では、原油83.9%、石油(原料)8.0%、食品5.0%、石油化学製品1.0%である。食品に分類されている品目はほとんどがデーツである。輸入品目別では、機械73.1%、基礎的な工業製品16.1%、食品5.0%、化学工業製品1.0%。
貿易相手国は、輸出がアメリカ合衆国 18.6%、ロシアとCIS諸国、トルコ、ブラジル、フランス、輸入がアメリカ合衆国 13.6%、日本、ドイツ、イギリス、フランスとなっている。
イラン・イラク戦争中の1986年時点における貿易構造は、2003年時点とあまり変わっていない。ただし、相違点もある。輸出においては、総輸出額に占める原油の割合が98.1%と高かったにも関わらず、採掘から輸送までのインフラが破壊されたことにより、原油の輸出が落ち込んでいた。結果として、12億ドルの貿易赤字を計上していた。製鉄業が未発達であったため、輸入に占める鉄鋼の割合が5.9%と高かったことも異なる。貿易相手国の顔ぶれは大きく違う。2003年時点では輸出入ともアメリカ合衆国が第一だが、1986年の上位5カ国にアメリカ合衆国は登場しない。輸出相手国はブラジル、日本、スペイン、トルコ、ユーゴスラビアであり、輸入相手国は日本、トルコ、イギリス、西ドイツ、イタリアであった。
国民バグダードに住むイラクの少女(2003年5月)イラクの民族と宗教の分布 地方行政区分とは一致しない。オレンジ色はアラブ人(イスラム教シーア派)、北部の青色はクルド人(シーア派)、緑色はアラブ人(スンナ派)、北部の赤紫色はアッシリア人・カルデア教徒・アルメニア人(いずれもキリスト教徒)、北部の赤色はトゥルクマーン(シーア派もしくはスンナ派)、南部の紫色はマンダ教徒、斜線部は人口希薄地帯、白色部は砂漠であるイラクの水利システム 複数のダム (barrage) と灌漑水路、排水路を組合せて乾燥地、沼地のいずれも農地に変えていった
イラク国民は、1990年8月のイラク軍によるクウェート侵攻後、それに続く2003年からのイラク戦争によって悪影響を被っている。例えば、戦前、平均寿命は1985年の63.0歳(男性)、64.8歳(女性)から、1990年の77.43歳(男性)、78.22歳(女性)へと向上した。これはフセイン政権による医療改革の影響である。1990年時点の平均寿命はほぼ連合王国(イギリス)と同水準にまで向上していた。
しかし、戦乱が続く中、2000年には57歳(男性)、60歳(女性)まで後退してしまう。乳児死亡率は、69‰(1985年)、57.8‰(1990年)、95.3‰(1995年)、102‰(2004年)と変化しており、平均寿命の変化と一致している。都市人口率の変化を追うと、70.2%(1987年)、70.3%(1988年)、69.9%(1990年)、67.2%(2003年)となっており、産業人口率の変化と併せると、都市の破壊、都市機能の低下が平均寿命や乳児死亡率の変化と同じ時期に進行したことが分かる。
国連の統計によれば、住民はアラブ人が79%、クルド人16%、アッシリア人3%、トゥルクマーン(テュルク系)2%である。ただしクルド人については難民が多く、1ポイント程度の誤差があるとされている。右図にあるように各民族ははっきりと分かれて居住している。クルド人は国土の北部に、アッシリア人はトルコ国境に近い山岳地帯に、トゥルクマーンは北部のアラブ人とクルド人の境界付近に集まっている。それ以外の地域にはアラブ人が分布する。気候区と関連付けると砂漠気候にある土地はアラブ人が、ステップ気候や地中海性気候にある土地にはその他の民族が暮らしていることになる。
イラク南部ティグリス・ユーフラテス川合流部は、中東で最も水の豊かな地域である。イラク人は合流部付近を沼に因んでマーシュと呼ぶ。1970年代以降水利が完備される以前は、ティグリス川の東に数kmから10km離れ、川の流れに並行した湖沼群とユーフラテス川のアン・ナスリーヤ下流に広がるハンマール湖が一体となり、合流部のすぐ南に広がるサナフ湖とも連結していた。マーシュが途切れるのはようやくバスラに至った地点である。アシで囲った家に住み、農業と漁労を生業としたマーシュ・アラブと呼ばれる民族が1950年代には40万人を数えたと言う。
マーシュ・アラブはさらに2種類に分類されている。まず、マアッダンと呼ばれるスイギュウを労役に用いる農民である。夏期には米を栽培し、冬期は麦を育てる。