ハーシム王家はイギリスの支援のもとで中央集権化を進め、スンナ派を中心とする国家運営を始め,1932年にはイラク王国として独立を達成した。1958年にはエジプトとシリアによって結成されたアラブ連合共和国に対抗して同じハーシム家が統治するヨルダンとアラブ連邦を結成したが、同年カーシム准将率いる自由将校団のクーデターによって倒され、共和制となった。そのカーシム政権も1963年にバアス党将校団のクーデタで倒れる。かくしてバアス党が権力を握り、1968年にアフマド・ハサン・アル=バクル、続いて1979年にサッダーム・フセインが大統領に就任した。
1984年にイラクはアメリカと国交を回復し、1988年に至るまでサッダーム・フセイン政権に総額297億ドルの兵器供給を行った。サッダーム・フセイン政権は1980年から1988年まで国境紛争でイランと戦い(イラン・イラク戦争)、この戦争のさなか1988年3月に、フセイン政権が国内に住むクルド人に対して、毒ガスを使って大量虐殺を行った。当時のアメリカ政府の、レーガン政権もこれを黙認した。
1990年に石油資源を求め隣国のクウェートに侵攻、国連の決定による1991年の湾岸戦争でアメリカを中心とする多国籍軍との戦いに敗れて、周辺国からも国際社会からも孤立した。また湾岸戦争後、兵器購入や研究を困難にするための経済制裁によって市民は貧困に喘いだ(イラク武装解除問題)。
アメリカの侵攻と新政府イラクをパトロールするアメリカ軍(2005年6月)
2003年3月、国連決議に反して大量破壊兵器を保有しているとして、アメリカ主導によるイラク戦争が起こり、フセイン政権は崩壊し、フセイン大統領もアメリカ軍に拘束された。その後アメリカ・イギリスを中心とする有志連合の軍事占領下に置かれ、戦後一年余に渡って連合国暫定当局(CPA)によって統治されていたが、2004年6月28日をもって暫定政権に主権が移譲されて暫定行政当局は解散した。また、同時に有志連合軍は国際連合の多国籍軍となり、治安維持などに従事することとなった。暫定政権は2005年1月30日にイラクで初めての議会選挙を実施し、3月16日に初の国民議会が召集された。この議会で準備が進められた移行政府は4月28日に発足して新憲法草案の政策に取り掛かり、10月25日に憲法草案を賛成多数で可決承認させ、12月15日に正式政府発足に向けて2度目の議会選挙を行った。しかし、政権を巡りスンニ派とシーア派とクルド人勢力と3大勢力の対立があり争いが発生し、実質は内戦状態・無政府状態であるとされ、1日あたり約60人のイラク人が犠牲になっていると言われている。
2006年4月22日にシーア派議員連合のイラク統一同盟がヌーリ・マリキを首相に選出、5月20日に米国のイラク民主化プロセス最終段階となる正式政府が議会に承認されて発足した。これはイラクで初めての民主選挙による政権発足であった。
サッダーム政権当時の政治は、革命指導評議会(RCC)が担っていた。行政権はもちろん、立法権も評議会に属する9人の元にあった。さらに、RCC議長は、大統領、首相、国軍最高司令官を兼ねており、極端な権力の集中が見られた。定数250人の国会にあたる一院制の国民議会が存在していたが、RCCが国会の議決を差し戻すことができた。
イラクの新憲法は、2005年10月15日の国民投票での承認により成立した。
国家元首の役割を果たすのは、共和国大統領および2人の副大統領で構成される大統領評議会である。それぞれ、イラク国民の3大勢力である、スンナ派(スンニ派)、シーア派、クルド人から各1名ずつが国民議会によって選ばれる。評議会は、国民統合の象徴として、儀礼的職務を行う。
行政府の長である首相は、国民議会議員の中から議会によって選出される。副首相が2名。その他の閣僚は、大統領評議会に首相・副首相が加わって選任される。現政権の閣僚は37名(首相・副首相を除く)。
憲法は、立法府について両院制を定めるが、上院は未成立。下院である国民議会は275議席、任期4年で、第1回総選挙が2005年12月15日に行われた。政党(政党連合)別獲得議席数は以下の通りである。
統一イラク同盟: 128 - シーア派
クルディスタン同盟: 53 - クルド人
イラク合意戦線: 44 - スンナ派
イラク国民リスト: 25- リベラル・世俗主義
国民対話イラク戦線: 11 - スンナ派
その他7党: 14