イラク
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エネルギー

原油確認埋蔵量は1,120億バレルで、サウジアラビアに次ぐ。米国エネルギー省は埋蔵量の90%が未開発で、掘られた石油井戸はまだ2,000本に過ぎないと推定。 2003年時点の総発電量295億kWhの98.5%は石油による火力発電でまかなっている。残りの1.5%はティグリス・ユーフラテス川上流部に点在する水力発電所から供給された。

イラクの送配電網は1861年にドイツによって建設が始まった。19世紀、イギリスとドイツは現在のイラクがあるメソポタミアへの覇権を競っていた。鉄道と電力網の建設はドイツが、ティグリス・ユーフラテス川における蒸気船の運行はイギリスによって始まった。


交通

イラクは鉄道が発達しており、国内の主要都市すべてが鉄道で結ばれている。2003年時点の総延長距離は2200kmだ。旅客輸送量は22億人キロ、貨物輸送量は11億トンキロに及ぶ。イラクの鉄道網はシリア、トルコと連結しており、ヨーロッパ諸国とは鉄道で結ばれている。バクダットとアナトリア半島中央南部のコニアを結ぶイラク初の鉄道路線はドイツによって建設されている。

一方、自動車は普及が進んでおらず、自動車保有台数は95万台(うち65万台が乗用車)に留まる。舗装道路の総延長距離も8400kmに留まる。


貿易

イラクの貿易構造を一言で表すと、原油と石油精製物を輸出し、工業製品を輸入するというものである。2003年時点の輸出額に占める石油関連の比率は91.9%、同じく輸入額に占める工業製品の割合は93.1%であるからだ。同年における貿易収支は輸出、輸入とも101億ドルであり、均衡がとれている。

輸出品目別では、原油83.9%、石油(原料)8.0%、食品5.0%、石油化学製品1.0%である。食品に分類されている品目はほとんどがデーツである。輸入品目別では、機械73.1%、基礎的な工業製品16.1%、食品5.0%、化学工業製品1.0%。

貿易相手国は、輸出がアメリカ合衆国 18.6%、ロシアとCIS諸国、トルコ、ブラジル、フランス、輸入がアメリカ合衆国 13.6%、日本、ドイツ、イギリス、フランスとなっている。

イラン・イラク戦争中の1986年時点における貿易構造は、2003年時点とあまり変わっていない。ただし、相違点もある。輸出においては、総輸出額に占める原油の割合が98.1%と高かったにも関わらず、採掘から輸送までのインフラが破壊されたことにより、原油の輸出が落ち込んでいた。結果として、12億ドルの貿易赤字を計上していた。製鉄業が未発達であったため、輸入に占める鉄鋼の割合が5.9%と高かったことも異なる。貿易相手国の顔ぶれは大きく違う。2003年時点では輸出入ともアメリカ合衆国が第一だが、1986年の上位5カ国にアメリカ合衆国は登場しない。輸出相手国はブラジル、日本、スペイン、トルコ、ユーゴスラビアであり、輸入相手国は日本、トルコ、イギリス、西ドイツ、イタリアであった。


国民バグダードに住むイラクの少女(2003年5月)イラクの民族と宗教の分布 地方行政区分とは一致しない。オレンジ色はアラブ人(イスラム教シーア派)、北部の青色はクルド人(シーア派)、緑色はアラブ人(スンナ派)、北部の赤紫色はアッシリア人・カルデア教徒・アルメニア人(いずれもキリスト教徒)、北部の赤色はトゥルクマーン(シーア派もしくはスンナ派)、南部の紫色はマンダ教徒、斜線部は人口希薄地帯、白色部は砂漠であるイラクの水利システム 複数のダム (barrage) と灌漑水路、排水路を組合せて乾燥地、沼地のいずれも農地に変えていった

イラク国民は、1990年8月のイラク軍によるクウェート侵攻後、それに続く2003年からのイラク戦争によって悪影響を被っている。例えば、戦前、平均寿命は1985年の63.0歳(男性)、64.8歳(女性)から、1990年の77.43歳(男性)、78.22歳(女性)へと向上した。これはフセイン政権による医療改革の影響である。1990年時点の平均寿命はほぼ連合王国(イギリス)と同水準にまで向上していた。

しかし、戦乱が続く中、2000年には57歳(男性)、60歳(女性)まで後退してしまう。乳児死亡率は、69‰(1985年)、57.8‰(1990年)、95.3‰(1995年)、102‰(2004年)と変化しており、平均寿命の変化と一致している。都市人口率の変化を追うと、70.2%(1987年)、70.3%(1988年)、69.9%(1990年)、67.2%(2003年)となっており、産業人口率の変化と併せると、都市の破壊、都市機能の低下が平均寿命や乳児死亡率の変化と同じ時期に進行したことが分かる。


民族

国連の統計によれば、住民はアラブ人が79%、クルド人16%、アッシリア人3%、トゥルクマーン(テュルク系)2%である。ただしクルド人については難民が多く、1ポイント程度の誤差があるとされている。右図にあるように各民族ははっきりと分かれて居住している。クルド人は国土の北部に、アッシリア人はトルコ国境に近い山岳地帯に、トゥルクマーンは北部のアラブ人とクルド人の境界付近に集まっている。それ以外の地域にはアラブ人が分布する。気候区と関連付けると砂漠気候にある土地はアラブ人が、ステップ気候や地中海性気候にある土地にはその他の民族が暮らしていることになる。

イラク南部ティグリス・ユーフラテス川合流部は、中東で最も水の豊かな地域である。イラク人は合流部付近を沼に因んでマーシュと呼ぶ。1970年代以降水利が完備される以前は、ティグリス川の東に数kmから10km離れ、川の流れに並行した湖沼群とユーフラテス川のアン・ナスリーヤ下流に広がるハンマール湖が一体となり、合流部のすぐ南に広がるサナフ湖とも連結していた。マーシュが途切れるのはようやくバスラに至った地点である。アシで囲った家に住み、農業と漁労を生業としたマーシュ・アラブと呼ばれる民族が1950年代には40万人を数えたと言う。

マーシュ・アラブはさらに2種類に分類されている。まず、マアッダンと呼ばれるスイギュウを労役に用いる農民である。夏期には米を栽培し、冬期は麦を育てる。スイギュウ以外にヒツジも扱っていた。各部族ごとにイッサダと呼ばれるマホメットを祖先とうたう聖者を擁することが特徴だ。マアッダンはアシに完全に依存した生活を送っていた。まず、大量のアシを使って水面に「島」を作り、その島の上にアシの家を建てる。スイギュウの餌もアシである。

南部のベニ・イサドはアラビアから移動してきた歴史をもつ。コムギを育て、マーシュ外のアラビア人に類似した生活を送っている。マアッダンを文化的に遅れた民族として扱っていたが、スイギュウ飼育がマアッダンだけの仕事となる結果となり、結果的にマアッダンの生活様式が安定することにつながっていた。


言語

アラビア語クルド語が公用語である。その他アルメニア語や現代アラム語(アッシリア語)なども少数ながら使われている。

書き言葉としてのアラビア語(フスハー)は、アラブ世界で統一されている。これはコーランが基準となっているからだ。しかし、話し言葉としてのアラビア語(アーンミーヤ)は地域によって異なる。エジプト方言は映画やテレビ放送の言葉として広く流通しているが、この他にマグレブ方言、シリア方言、湾岸方言、アラビア半島方言などが認められている。イラクで話されているのはイラク方言だ。ただし、イラク国内で共通語となっているバクダードの言葉と山岳部、湾岸部にもさらに方言が分かれている。


宗教

イスラム教徒が国民の95%を占め、次いでキリスト教4%、マンダ教である。歴史的にはユダヤ教徒も存在したが、現在は数百人以下だとされている。住民の分布と宗教の分布には強い関係がある。イスラム教徒の最大派はアラブ人シーア派の50%。アラブ人スンナ派の25%、クルド人スンナ派の20%が続く。キリスト教(カトリック東方正教会アッシリア東方教会等)はアッシリア人と少数民族に限られている。

イスラム教シーア派

全世界のイスラム教徒に占めるシーア派の割合は高くはないが、イラク国内では過半数を占める。イラク国内では被支配層にシーア派が多い。シーア派は預言者の後継者・最高指導者(イマーム)が誰であるかという論争によってスンナ派と分裂した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki