イスラームの項目でもあるように、「イスラム教は宗教的理念のみならず、民間の慣習や政治に深く関わっている。そのため、政教分離を特徴とするシステムとイスラーム的なシステムは相矛盾する」という主張がある。これは伝統的社会秩序を維持したい保守派ムスリムによって主張されることが多い。そのためどの程度折り合いをつけるかが、20世紀以来のイスラーム社会の大きな問題となってきた。
多くの国は、政教分離原則と保守的イスラムの間で融和を図ろうとしているが、こうした姿勢自体に対する反発も根強い。いわゆる「イスラム原理主義」、あるいは政治的運動としてのイスラーム主義は、こうした改革に反対し、可能な限り保守的イスラームの伝統、クルアーンの教えにのっとらねばならないと主張する。しかし、世界経済の進展や、国際社会に対する欧米諸国の国力の圧倒的な優位のもとではイスラーム主義的な主張は多くの困難を抱えており、武力を行使してまで理想の実現をはかる人々も少なからずあらわれる。ホメイニーが指導するイラン革命やアフガニスタンのターリバーンがそれである。
また、中東戦争など、ムスリムが大多数を占める国々に対する欧米諸国の介入を目にして、欧米のキリスト教社会がイスラーム社会を圧迫し、蹂躙していると構図でとらえるムスリムは多い。にもかかわらず、イスラーム諸国は国際的な発言力が大きいとはいえないし、イスラーム諸国の中に強い影響力を持つエジプトやサウジアラビアなどが親米・欧米協調路線をとっているため、イスラーム諸国はしばしばイスラーム社会が「被害者」となる情勢に対して無力である。これらのことが、イスラーム社会の多くの民衆に反欧米感情とともに、自国政府の「同胞の危機に対する無力」に対する失望・不満を鬱積させることになっていて、暴力によって欧米社会の圧力を排除しようとする過激派(アルカーイダ、ジェマ・イスラミアなど)の誕生のひとつの要因になっている、との見方もある。
イスラム教国に於ける、若しくはイスラム教国以外でもムスリムで構成される社会に於ける人権侵害などはしばしば反イスラーム主義的傾向を持つ立場の人々からイスラーム自体の欠陥として攻撃されることがある。また、アッバース朝の時代にほぼ固まったイスラーム法を遵守する結果、その後の社会情勢の変化に対する柔軟な対応を欠くようになったという主張も根強い[11]。
指摘される人権侵害は、非ムスリム男性とムスリム女性の結婚の妨害[12]、強制改宗[13]、人体の切断を伴うハッド刑、非ムスリムのイスラーム圏での待遇[14]、離教の妨害[15]、同性愛者への差別[16]などである。また宗教多元主義者からは、ムスリムの中の宗教的エスノセントリズム[17][18]が他宗教における同種のイデオロギー同様厳しく批判されている。
一方で、イスラーム社会の内部では、イスラームの伝統の名のもとに行われてきた慣習や法を、イスラームの教えの解釈の適用変更によって改善すべきだという主張や、イスラームと人権などの価値観、政教分離原則は共存可能である、あるいはイスラームは本来人権を尊重する教えである、といった言説も見られる。
しかしその一方で、これらの人権侵害を『イスラームの善き教え』、『アッラーフのお定めになった道』として熱烈に擁護するムスリムも一定数存在している。[19][20]
現代でもイスラーム法に厳格に基づく刑罰が行われている国もあり、サウジアラビアやイラン革命後のイラン、ターリバーン時代のアフガニスタンなどでは、イスラーム法を厳格に適用した結果、国際社会から人権侵害として憂慮された事例が報告されている。イランでは、道徳裁判所の判決が人権を無視していると伝えられることが頻繁に起こっている。サウジアラビアでは、窃盗の罪で手を切り落とす刑罰が実施されていると伝えられている。
しかし一方で、イスラム教徒が圧倒的多数を占める国でありながら、死刑を廃止した国(トルコ・セネガルなど)、廃止されていないもののほぼ執行停止状態にある国(アルジェリア・チュニジア・モロッコなど)も存在する。イスラム圏全域で厳格なイスラーム法の適用が行われているわけではない。このことから、一部の事例だけを挙げてイスラム教全体を判断するのは偏見に基づいたものなのではないかという批判もある。ただしこれらの国では世俗主義をかかげる政府側がイスラム教と対立している状態にある。トルコやアルジェリアではイスラム教を掲げる政党が政府あるいは実権を握る軍部から弾圧されている。
全体的な趨勢としては、社会の都市化・近代化が進んだ地域では、イスラームの教えを根拠とする価値観が薄らぎやすい傾向があるとされる一方、都市化・近代化で伝統的な共同体が破壊された結果、人々がアイデンティティの拠りどころをイスラーム的な価値観に求め、生活を再び保守化する傾向があるとされている。特にトルコなどでは田舎から都市部へ流れた労働階級の宗教的保守化は現在の政情に大きな影響を与えている。しかし、保守的なイスラム教徒といえども、現代社会の価値観と全く無縁に生活するというわけにはいかないため、彼らも一定程度は現代社会の価値観を受け入れる動きを見せている。
詳細はズィンミー、イスラーム国家、イスラム教における棄教をそれぞれ参照
現代社会においては、特定の宗教を奉ずる宗教国家もしくは共産主義国などの無神論国家などが、特定の宗教的信条を擁護し、他を迫害してきたこと、それにより宗教を理由とした戦争も起こったことなどを踏まえ、先進諸国の多くで信教の自由が承認されている。国際人権宣言などでも、信教の自由は国家が人間に保障するべき最重要の権利のひとつとして位置づけられている。
しかしイスラーム法(シャリーア)はこのようなコンセンサスが出来上がる以前、いまだに宗教的エスノセントリズムが常識であった時代の法体系である。そのためシャリーアにはムスリムに対しイスラームの絶対的優越に基づく統治を促し、その領域内の異教徒や無神論者をムスリムの下に置くことを義務付ける部分が存在している。彼らはズィンミーとして一定の権利保障を得るが、イスラームに改宗しないかぎりさまざまな差別を受け、宗教的実践にも一定の制限がついていた。